第2話「写真」
その夜。
凪は岩場へ座ると、
ポケットからスマホを取り出した。
ノアがすぐ反応する。
「それ」
青と金の瞳がきらりと光る。
「またその箱」
「箱じゃない」
凪は苦笑した。
「スマホ」
「すまほ」
ノアは何度か繰り返す。
まだ少し言い慣れていないらしい。
凪は画面を開いた。
ノアが興味津々で身を乗り出す。
距離が近い。
最近は慣れたはずなのに、
たまに急に近付かれると困る。
「何見てるの?」
「写真」
「しゃしん?」
凪は少し考える。
それから画面を見せた。
去年の海だった。
青空。
白い雲。
穏やかな波。
ノアの目が丸くなる。
「海だ」
「うん」
「でも今じゃない」
「前の海だから」
ノアはしばらく画面を見つめていた。
「……残ってる」
ぽつりと呟く。
凪は頷いた。
「写真は残るよ」
「前の景色なのに?」
「うん」
ノアは不思議そうな顔をする。
凪は次々と画面を切り替えた。
港。
祭り。
祖母。
幼い頃の自分。
兄の碧。
ノアは一枚一枚、
宝物を見るように眺めている。
「すごい」
小さな声だった。
「人間は時間を残せるんだね」
その言葉に。
凪は少し考える。
当たり前だった。
写真なんて。
誰でも持っているものだから。
「人魚はないの?」
凪が聞く。
ノアは首を振った。
「ないよ」
少し笑う。
「思い出は歌にするから」
人魚らしい答えだった。
凪はなんとなく納得する。
歌。
祈り。
感情。
人魚たちはそうやって記憶を残しているのだろう。
「でも面白いね」
ノアは画面を見つめる。
「昔の時間が残ってる」
その横顔は、
本当に楽しそうだった。
凪はふと思い付く。
「じゃあ撮るか」
「え?」
「写真」
ノアが瞬きをした。
「私を?」
「うん」
ノアは少し嬉しそうに笑った。
「撮って」
凪はスマホを構える。
月明かり。
海。
岩場。
そして波打ち際のノア。
画面越しに見る姿は、
やっぱり綺麗だった。
ぱしゃり。
シャッター音が鳴る。
「撮れた?」
「たぶん」
凪は画面を確認する。
そして。
思わず眉をひそめた。
「……あれ」
「?」
ノアが首を傾げる。
画面には確かに海が映っていた。
月も。
波も。
岩場も。
全部綺麗に写っている。
なのに。
ノアがいた場所だけ。
淡く光が滲んでいた。
人影のようなものはある。
けれど。
輪郭が曖昧だ。
まるで最初から、
そこに誰もいなかったみたいに。
「壊れた?」
ノアが聞く。
「いや……」
凪はもう一度見返す。
おかしい。
確かに目の前にはいるのに。
写真には残らない。
ノアも画面を覗き込んだ。
それから。
少しだけ目を見開く。
「……私だ」
「分かるのか?」
「うん」
淡い光の向こう。
確かに自分の髪の色が見える。
尾ひれの光も見える。
けれど。
ちゃんとした姿ではない。
ノアはしばらく画面を見つめていた。
そして。
少しだけ寂しそうに笑う。
「海は残るのに」
静かな声。
「私は残らないんだね」
その言葉に。
凪の胸が少し痛んだ。
何故なのか分からない。
でも。
それが当たり前だとは思えなかった。
ノアはすぐに笑った。
悲しそうではない。
ただ不思議そうに。
「人魚だからかな」
月明かりが揺れる。
波音が響く。
凪はもう一度写真を見る。
海は残る。
夜も残る。
でも。
ノアだけが残らない。
その事実が。
妙に引っ掛かった。
まるで。
最初からこの世界に存在していないみたいで。
それが少しだけ、
嫌だった。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




