第1話「夏祭り」
その夜も。
凪はいつもの岩場へ座っていた。
波音。
潮風。
月明かり。
そして。
「ナギ」
嬉しそうな声。
ノアが海の中から顔を出す。
白金の髪が月光を受けて輝いていた。
凪は少し笑う。
「今日も早いな」
「待ってたから」
即答だった。
凪は思わず視線を逸らす。
最近、
こういう言葉にも慣れてきたはずなのに。
たまに不意打ちで来る。
「今日は何してたの?」
ノアが身を乗り出す。
凪は少し考えた。
「港の方行ってた」
「港?」
「祭りの準備」
その瞬間。
ノアの目がぱっと輝く。
「まつり!」
凪は少し笑った。
やっぱり食いついた。
「そんなに気になる?」
「うん!」
即答だった。
尾ひれが嬉しそうに揺れる。
「前も言ってたよね」
「人間がいっぱい集まるやつ」
「そうそう」
「何するの?」
ノアは完全に興味津々だった。
凪はギターを膝へ置く。
「屋台とか」
「やたい?」
「食べ物売ってる店」
「店!」
「あとゲームとか」
「げーむ!」
一つ説明するたびに、
ノアの反応が返ってくる。
凪は少し笑ってしまった。
「そんなに面白いか?」
「面白いよ」
ノアは真っ直ぐ頷く。
「私、
行ったことないもの」
その言葉に。
凪は少しだけ黙った。
そうだ。
ノアは人魚だ。
祭りなんて行けるわけがない。
けれどノアは気にしていないようだった。
「それで?」
「花火」
凪が言う。
ノアが瞬く。
「はなび?」
「夜空に上がる火」
「火?」
「空で咲くんだよ」
ノアは目を丸くした。
「空で?」
「うん」
「花みたいに?」
「まぁそんな感じ」
ノアはしばらく想像しているらしかった。
それから。
「見たい」
ぽつりと言う。
凪は少し笑う。
「だろうな」
「綺麗?」
「綺麗」
即答だった。
夏の夜空。
海の上に広がる花火。
凪は毎年見ている。
でも。
今年は少し違った。
自然と、
隣のノアを見る。
もし。
本当に見せられたら。
どんな顔をするだろう。
きっと。
今みたいに目を輝かせる。
そんな気がした。
「あと浴衣」
凪が言う。
ノアが首を傾げる。
「ゆかた?」
「祭りの時に着る服」
「服!」
また反応した。
凪は思わず吹き出す。
「お前ほんと好きだな」
「好き」
ノアは迷いなく頷いた。
「人間の世界」
月明かりの下。
青と金の瞳がきらきらと輝く。
「ナギが話してくれるから」
どくり。
胸が鳴る。
最近、
こういうのが多い。
ノアは何も考えていない。
でも。
言われる側は困る。
「……そうかよ」
誤魔化すようにギターを鳴らす。
ぽろん、と音が響く。
ノアは嬉しそうに耳を傾けた。
しばらく静かな時間が流れる。
波音。
ギター。
月明かり。
そして。
「いいなぁ」
不意にノアが呟く。
凪が顔を上げる。
ノアは遠く、
港の灯りを見ていた。
「人間の人たちは」
静かな声だった。
「みんな一緒に行けるんだね」
その言葉に。
凪の胸が少しだけ痛む。
海と陸。
その境界を。
今まであまり考えないようにしていた。
けれど。
祭りには行けない。
屋台も知らない。
花火も見たことがない。
ノアは、
こちら側へ来られない。
当たり前の事実だった。
凪は遠くの港を見る。
祭りの日まで、
あと少し。
「……花火なら」
ぽつりと呟く。
ノアが振り向く。
「ここから見えるかもしれない」
「ほんと?」
「たぶん」
ノアの顔がぱっと明るくなる。
その笑顔を見て。
凪も少し笑った。
「じゃあ見よう」
「うん」
嬉しそうな返事。
月明かりが海へ落ちる。
まだ祭りは始まっていない。
けれど。
その夜のノアは、
ずっと楽しそうだった。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




