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夜凪に溶ける  作者: 深幸-みさき-
第3章:「海の底の世界」
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第8話「憧れ」


深海は静かだった。


白い神殿。


崩れた石柱。


青い海流。


何百年も変わらない景色。


人魚たちにとっては、

当たり前の世界。


生まれた時から、

ずっとここにいる。


そしてこれからも、

海へ還る日まで続いていく。


けれど。


ノアの心だけは、

最近ずっと落ち着かなかった。


神殿の回廊を泳いでいても。


歌を聞いていても。


月の光が届く方角を、

探してしまう。


海面。


遥か上。


深海からでは、

ほとんど見えない場所。


けれどノアは知っている。


あの向こうに、

ナギがいる。


ノアはひとり、

遺跡の高い塔の上へ泳いだ。


深海側の人魚は、

あまり来ない場所。


ここは少しだけ、

海面に近い。


遠く。


薄い光が揺れている。


ノアは静かに目を閉じた。


すると。


思い出す。


ぽろん。


柔らかな音。


波音へ溶ける旋律。


ナギのギターだった。


最初に聞いた夜のことを、

今でも覚えている。


綺麗だった。


胸が苦しくなるくらい。


どうしてあんな音があるのだろうと、

不思議だった。


ナギも不思議だった。


優しくて。


少し寂しそうで。


名前を呼ぶ声が好きだった。


ノアは胸へ手を当てる。


温かい。


ナギを思い出すと、

いつもそうなる。


会いたい。


話したい。


歌を聞いてほしい。


名前を呼んでほしい。


それだけだったはずなのに。


最近は少し違う。


もっと。


もっと近くへ行きたいと思う。


同じ景色を見たい。


同じ場所にいたい。


海の中から見上げるだけじゃなくて。


隣に。


――隣に行きたい。


その願いに気付いた瞬間。


ノアは少しだけ目を見開いた。


隣。


人魚の自分では、

叶わない場所。


海と陸。


人魚と人間。


その境界は、

思っていたより遠い。


ざあ、と海流が揺れる。


ノアは再び海面を見上げた。


月の光が、

遠くで滲んでいる。


手を伸ばしても届かない。


けれど。


届かないからこそ。


もっと知りたくなる。


もっと近付きたくなる。


「……ナギ」


小さく名前を呼ぶ。


誰にも届かない声。


それでも胸が温かくなる。


その時だった。


ふと。


昔聞いた歌を思い出す。


レヴィの歌。


深海より静かで。


どこか寂しい歌。


どうしてあんな歌だったのだろう。


どうしてお兄様は、

歌わなくなったのだろう。


ノアには分からない。


けれど。


今なら少しだけ、

分かる気がした。


誰かを想う歌は。


きっと、

嬉しいだけじゃない。


それでも。


ノアは小さく笑う。


今はまだ。


苦しさよりも。


会いたい気持ちの方が、

ずっと大きいから。


深海の王国の上。


遥かな海面の向こう。


ナギがいる。


明日になれば、

また会える。


そのことが嬉しくて。


ノアは静かに目を細めた。


早く。


夜になればいいのに。


その願いは、

まだ小さな憧れだった。


けれど。


後に海の魔女すら動かすほどの、

強い願いへ変わっていくことを。


この時のノアは、

まだ知らなかった。

ご覧いただきありがとうございます。

『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『深海に溺れる』

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