第7話「レヴィの歌」
ノアは昔、
一度だけ。
レヴィの歌を聞いたことがある。
まだ幼かった頃だ。
今よりずっと小さくて。
兄の後ばかり追いかけていた頃。
その日も、
ノアは神殿の中を泳いでいた。
誰かを探していたわけではない。
ただ、
白い回廊を通り抜けて。
海藻の揺れる庭を抜けて。
気付けば、
神殿の奥まで来ていた。
そこで。
歌が聞こえた。
ノアは足を止める。
静かな声だった。
深海の水へ溶けていくような、
低く美しい旋律。
人魚たちの歌は、
もっと明るいことが多い。
でもその歌は違った。
深く。
遠く。
どこまでも優しい。
ノアは思わず息を呑む。
歌声の先。
崩れた石柱の向こう。
そこに、
レヴィがいた。
ひとりで。
誰にも聞かせるつもりなどないように。
静かに歌っていた。
長い青銀の髪が揺れる。
深海色の尾ひれが、
ゆっくり海流を切る。
ノアは隠れることも忘れて、
ただ聞き入っていた。
綺麗だった。
海の中で聞いたどんな歌より。
胸がぎゅうっと苦しくなるくらい。
綺麗だった。
けれど。
今思えば。
あの歌は、
少し寂しかった。
歌が終わる。
静寂が戻る。
その時。
レヴィが振り返った。
深海色の瞳が、
真っ直ぐノアを捉える。
「……ノア」
見つかった。
ノアは慌てて姿を現す。
「ご、ごめんなさい」
怒られると思った。
でも。
レヴィは何も言わなかった。
少し困ったように目を伏せて。
それから、
小さく頭を撫でただけだった。
「誰にも言うな」
静かな声だった。
ノアは素直に頷く。
「うん」
そして。
その次の日からだった。
レヴィが歌わなくなったのは。
神殿でも。
回廊でも。
深海でも。
あの日の歌は、
二度と聞けなかった。
今では、
本当にたまに口ずさむ程度。
それも数秒で終わる。
ノアはずっと、
深海側だからだと思っていた。
お兄様は、
あまり歌わない人なのだと。
けれど。
最近になって、
少しだけ不思議に思う。
人魚にとって歌は特別だ。
感情。
祈り。
呼び声。
そして、
求愛。
歌は心そのもの。
なのに。
どうしてお兄様は、
あんな綺麗な歌を歌えるのに。
歌わなくなってしまったのだろう。
その理由を、
ノアは知らない。
知らなくていいとも思っていた。
今のノアの頭の中は、
別のことでいっぱいだから。
夜の海。
月の光。
ギターの音。
そして。
「ナギ」
小さく名前を呼ぶ。
その響きだけで、
胸が温かくなる。
ノアは知らない。
昔、
レヴィが歌っていた理由も。
歌わなくなった理由も。
だから今日も。
何も知らないまま、
嬉しそうに歌を口ずさむ。
遠い昔、
兄が失ったものと同じものを。
少しずつ、
その胸に育てながら。
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ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




