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夜凪に溶ける  作者: 深幸-みさき-
第3章:「海の底の世界」
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第6話「海の王」


海底遺跡の最奥は、

いつ訪れても静かだった。


人魚たちの歌声も届かない。


海流さえ、

ここでは穏やかになる。


巨大な石柱が並ぶ神殿。


その奥へ続く白い階段を、

ノアはゆっくり泳いでいた。


呼ばれたのだ。


海の王に。


何か悪いことをしただろうか。


少しだけ考えたけれど、

思い当たることが多すぎてやめた。


最近は海面へよく行っている。


レヴィにも何度も注意されている。


だから少しだけ緊張する。


神殿の最奥。


巨大な石柱の間に、

ひとりの男が立っていた。


長い黒髪。


深海みたいな暗い瞳。


白銀にも見える巨大な尾びれ。


圧倒的な存在感。


海の王だった。


その場にいるだけで、

周囲の海流すら従っているように見える。


幼い頃から見ている父親なのに。


時々ノアは思う。


お父様は本当に人魚なのだろうかと。


もっと別の、

海そのものに近い何かなのではないかと。


「お父様」


ノアが頭を下げる。


王は静かにこちらを見た。


深海より深い瞳。


何を考えているのか、

いつも分からない。


しばらく沈黙が落ちる。


その静けさすら、

どこか心地良かった。


やがて。


王がぽつりと口を開く。


「最近、

月の匂いがするな」


ノアは目を瞬いた。


「……分かるの?」


王は答えない。


ただ静かに、

ノアを見ている。


その視線は責めるものではなく。


どこか遠いものを見るような目だった。


「海面へ行っているそうだな」


怒られると思った。


けれど声は穏やかだった。


ノアは素直に頷く。


「うん」


「綺麗か」


その問いに、

ノアは少し笑った。


「綺麗だよ」


すぐに答えられた。


夜の海。


月の光。


波の音。


ナギのギター。


全部が綺麗だった。


王は静かに聞いている。


ノアは続けた。


「光もいっぱいあるし」


「歌もあるの」


「歌?」


初めて、

王の瞳が少しだけ揺れた。


ノアは嬉しくなって話す。


「ギターっていうんだよ」


「人間の音楽」


「海にはない音なの」


思い出すだけで、

胸が温かくなる。


ノアは自然と笑っていた。


王はそんな息子を見つめている。


その表情は、

いつもより少しだけ柔らかかった。


「そうか」


ただ一言。


それだけだった。


けれど。


その声には、

どこか懐かしむような響きがあった。


ノアは少し首を傾げる。


「お父様も、

海面へ行ったことあるの?」


王は答えない。


代わりに、

遥か上を見上げた。


遠い海面。


届かない月。


その瞳に映ったものを、

ノアは知らない。


長い沈黙の後。


王は静かに言った。


「海は広い」


ノアは瞬く。


「深海だけが、

海ではない」


その言葉は、

どこか不思議だった。


まるで許しているみたいで。


まるで警告しているみたいで。


意味はよく分からない。


けれど。


王の声は優しかった。


その時。


神殿の入り口から、

ひとつの気配が近付く。


レヴィだった。


王を見る。


ノアを見る。


それから小さく眉を寄せた。


「……お前、

また海面へ行ったのか」


「行った」


「ノア」


「お父様は怒らなかったよ」


その瞬間。


レヴィが無言で父親を見る。


王は何も言わない。


ただ静かに佇んでいる。


レヴィは小さく息を吐いた。


その様子が少し面白くて、

ノアは笑った。


「お兄様だけ厳しい」


「お前が無防備すぎるんだ」


「そうかな?」


「そうだ」


即答だった。


ノアはくすくす笑う。


レヴィは呆れた顔をしている。


王はそんな二人を見つめながら、

静かに目を細めた。


深海の王。


海そのものに近い存在。


けれどその時だけは、

どこか普通の父親みたいに見えた。


やがて。


王はふたりへ背を向ける。


長い尾びれが、

ゆっくり海流を揺らした。


「レヴィ」


低い声。


レヴィが顔を上げる。


「見失うな」


短い言葉。


けれど。


その一言だけ、

どこか重かった。


レヴィの表情が僅かに固まる。


ノアだけが、

意味を理解できず首を傾げた。


神殿の外では、

深海の海流が静かに揺れていた。

ご覧いただきありがとうございます。

『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『深海に溺れる』

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