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夜凪に溶ける  作者: 深幸-みさき-
第3章:「海の底の世界」
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第5話「海の魔女」


深海には、

“行ってはいけない場所”がある。


幼い頃から、

何度もそう教えられてきた。


白い遺跡よりさらに下。


光の届かない海。


海流さえ静まり返る、

深い深い底。


そこには、

海の魔女がいる。


――そう、

歌で伝えられていた。


「本当にいるの?」


幼い頃、

ノアがそう聞いた時。


周囲の人魚たちは、

誰もすぐには答えなかった。


ただ静かに目を伏せるだけだった。


それくらい、

海の魔女は特別な存在だった。


願いを叶える。


代わりに、

何かを奪う。


名前。


声。


姿。


寿命。


海の魔女は、

そういう“代償”を好むのだと、

古い歌には残っている。


ノアは昔から、

少しだけその存在が気になっていた。


怖いのに。


どこか惹かれる。


深海のさらに下なんて、

どんな景色なのだろう。


その日も、

ノアは海底遺跡の回廊を泳いでいた。


すると。


人魚たちの小さなざわめきが聞こえる。


「……最近、

深部の海流がおかしいらしい」


「魔女が目覚めたんじゃない?」


「やめて、

縁起悪い」


静かな声。


けれど、

どこか怯えている。


ノアは少し首を傾げた。


「海の魔女って、

そんなに怖いの?」


その瞬間。


周囲の空気が、

ぴたりと止まった。


年長の人魚が、

慌てたように声を潜める。


「軽々しく名前を呼ぶものじゃない」


「どうして?」


「海に聞かれる」


ざあ、と海流が揺れた。


ノアは目を瞬く。


冗談なのか、

本気なのか分からない。


でも人魚たちの顔は、

少し強張っていた。


その時。


「ノア」


低い声が落ちる。


振り返ると、

レヴィが立っていた。


深海色の瞳が、

静かにこちらを見る。


周囲の人魚たちは、

ほっとしたように離れていった。


ノアは尾ひれを揺らす。


「お兄様」


レヴィはゆっくり近付いてくる。


「……海の魔女の話をしていたのか」


「うん」


ノアは素直に頷く。


「本当にいるの?」


一瞬だけ。


レヴィの目が、

わずかに揺れた。


それは恐れにも、

警戒にも見えた。


「……いる」


低い声。


ノアは少し驚く。


「会ったことある?」


「ない」


レヴィはすぐ答えた。


「だが、

近付くな」


その言葉には、

今までとは違う重さがあった。


ノアは小さく瞬く。


「そんなに危ないの?」


レヴィは少し黙る。


深海の水だけが、

静かに揺れていた。


やがて、

ぽつりと呟く。


「海の魔女は、

“願い”を好む」


「願い?」


「強く望むものほど、

代償も大きい」


ノアは首を傾げる。


まだ、

よく分からなかった。


願い。


代償。


そんなもの、

自分には関係ないと思っている。


今のノアにあるのは、

ただひとつだけ。


夜になれば、

ナギへ会えるという期待。


ギターの音を聞ける嬉しさ。


それだけだった。


だから。


この時のノアは、

まだ知らない。


“人間の隣へ行きたい”


という願いが。


どれほど深く、

海へ沈んでいくものなのかを。

ご覧いただきありがとうございます。

『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『深海に溺れる』

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