第4話「海の掟」
深海の神殿には、
古い歌が残っている。
人魚がまだ幼い頃から聞かされる、
海の掟の歌。
静かで、
冷たい旋律。
“海を忘れるな”
“深海へ還れ”
“伴侶は一生に一人”
“選んだ相手を、
決して手放すな”
ノアは白い石柱へ背を預けながら、
ぼんやりその歌を聞いていた。
幼い人魚たちが、
年長の人魚から教えられている。
歌うたび、
青い海流が静かに揺れる。
「伴侶って、
そんなに大事なの?」
ノアがぽつりと聞く。
すると近くにいた年上の人魚が、
少し驚いた顔をした。
「もちろん」
「人魚にとって、
伴侶は“半身”だから」
「半身……」
ノアは小さく繰り返す。
「一度選んだら、
海へ還るまで一緒」
別の人魚が静かに歌を重ねる。
「だから、
人間との恋は禁忌なの」
ノアは目を瞬く。
「どうして?」
「寿命が違うから」
「人間は、
すぐ死んでしまう」
「それに」
人魚は少しだけ目を伏せた。
「人魚は、
愛した相手を手放せない」
静かな声だった。
けれど、
その言葉だけ妙に重かった。
ノアは少し考える。
愛した相手。
手放せない。
よく分からない。
ナギといると嬉しい。
名前を呼ばれると、
胸が温かくなる。
また会いたいと思う。
でもそれが、
そんな重いものだとは思えなかった。
その時だった。
「ノア」
低い声が響く。
振り返ると、
レヴィがいた。
深海色の瞳が、
静かにこちらを見る。
周囲の人魚たちは、
そっと距離を空けた。
ノアは尾ひれを揺らす。
「お兄様」
レヴィはゆっくり近付いてくる。
その視線は、
どこか疲れて見えた。
「掟の話をしていたのか」
「うん」
ノアは素直に頷く。
「でも、
よく分からない」
レヴィが僅かに眉を寄せる。
ノアは続けた。
「好きなら、
会いたいって思うの、
普通じゃない?」
その瞬間。
レヴィの表情が、
ほんの少しだけ揺れた。
痛みみたいに。
けれどノアは気付かない。
「歌いたいし、
名前呼んでほしいし」
ノアは小さく笑う。
「ナギといると、
嬉しいんだよ」
静かな沈黙が落ちる。
海流だけが、
ゆっくり揺れていた。
やがてレヴィは、
低い声で言う。
「……それが、
人魚にとって一番危うい」
ノアはきょとんとした。
「?」
レヴィは少し目を伏せる。
まるで、
遠い何かを思い出すみたいに。
「人魚は、
一度愛した相手を忘れられない」
その声は静かだった。
でも、
深海よりずっと重い。
「だから、
人間へ惹かれるな」
ノアは少し不満そうに唇を尖らせた。
「でも、
ナギは怖くないよ」
「ノア」
「優しいし、
音も綺麗だし」
ノアは楽しそうに続ける。
「一緒にいると、
胸が温かくなるの」
その言葉に、
レヴィは何も返さなかった。
ただ静かに、
ノアを見る。
その瞳だけが、
ひどく暗かった。
けれどノアはまだ、
知らない。
人魚にとって、
“愛する”
ということが。
どれほど逃れられないものなのかを。
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ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
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『深海に溺れる』




