第3話「歌」
海の底では、
いつも誰かが歌っている。
眠る前の静かな歌。
幼い人魚をあやす歌。
遠く離れた仲間を呼ぶ歌。
感情は、
旋律になる。
人魚にとって歌は、
言葉より深いものだった。
白い神殿の広間でも、
今日はいくつもの歌声が重なっている。
柔らかい旋律が、
海流へ溶けていく。
ノアはその中を、
ゆっくり泳いでいた。
すると。
「ノア」
浅瀬側の年若い人魚が、
不思議そうにこちらを見る。
「最近よく歌ってるね」
ノアは目を瞬く。
「そう?」
「うん。
すごく嬉しそう」
ノアは少し考える。
嬉しい。
そう言われれば、
確かにそうかもしれない。
夜になるたび、
胸が温かくなる。
ナギの音を思い出すから。
「好きな相手でもできたの?」
別の人魚が、
くすりと笑いながら言う。
ノアはきょとんとした。
「好きな相手?」
「その歌、
求愛の歌に近いよ」
「……きゅうあい?」
聞き慣れない響きに、
ノアは首を傾げる。
すると人魚たちは、
少し驚いた顔をした。
「知らないの?」
「誰かを特別に想う時、
自然と歌が変わるんだよ」
「伴侶へ向ける歌」
その言葉に、
ノアは小さく瞬いた。
伴侶。
特別。
よく分からない。
けれど。
脳裏へ、
ひとつの光景が浮かぶ。
月夜の海。
波音。
ギターの旋律。
そこへ自分の歌を重ねた夜。
ナギが、
泣きそうな顔をしていた。
『……ノアの歌も』
そう言ってくれた声を思い出す。
胸の奥が、
またじんわり熱くなる。
ノアは無意識に、
小さく歌を零した。
すると周囲の人魚たちが、
ぱたりと黙る。
「……ノア」
「完全に求愛の歌だよ、それ」
「え?」
ノアはきょとんと目を丸くした。
そんなつもり、
全然なかった。
ただ。
ナギの音が好きで。
一緒に歌うと、
胸がいっぱいになるだけで。
「人間相手?」
誰かが小さく呟く。
その瞬間。
広間の空気が、
わずかに変わった。
ざあ、と海流が揺れる。
静かな圧。
ノアが振り返る。
そこには、
レヴィが立っていた。
深海色の瞳が、
静かにノアを見ている。
周囲の人魚たちは、
気まずそうに視線を逸らした。
レヴィはゆっくり近付く。
そして。
ノアの歌を聞いたまま、
低く呟いた。
「……やめておけ」
その声だけ、
少し苦しかった。
ノアは意味が分からず、
首を傾げる。
けれどレヴィは、
それ以上何も言わない。
ただ静かに、
目を伏せた。
ノアは小さく眉を寄せる。
どうしてそんな顔をするのだろう。
歌うと、
胸が温かくなるのに。
ナギの音を思い出すだけで、
嬉しくなるのに。
それの何が、
いけないのか。
ノアにはまだ、
分からなかった。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




