第4話「人魚」
「夜の海で歌を聞いたら、
振り返っちゃいけないよ」
不意に。
祖母の声を思い出した。
波音が静かに響く。
凪は岩場へ座ったまま、
隣のノアを見る。
白金の髪が、
月明かりを受けて淡く光っていた。
今日は珍しく、
ノアが先に歌っていた。
波へ溶けるような、
静かな旋律。
凪はギターを弾く手を止め、
その声へ耳を傾ける。
綺麗だと思う。
聞けば聞くほど。
胸の奥へ、
ゆっくり沈んでいくみたいな声だった。
歌い終えたノアが、
こちらを見る。
「……どうしたの?」
「え?」
「今日は、
あんまり弾かないね」
柔らかい声。
凪は少し視線を逸らした。
「いや……
昔話、思い出してた」
「昔話?」
ノアが首を傾げる。
その仕草が妙に可愛くて、
凪は少し笑ってしまう。
「この島、
人魚の話あるんだよ」
その瞬間、
ノアの瞳がわずかに揺れた。
けれど凪は気付かない。
「夜の海で歌を聞いたら、
魂を奪われるって」
ざあ、と波が揺れる。
ノアは黙ったまま、
静かに凪を見る。
「人魚は綺麗だから、
みんな海へ行きたくなるってさ」
凪は苦笑する。
「子供の頃、
ちょっと怖かった」
「……今は?」
ノアの声は、
少しだけ小さかった。
凪は海を見る。
月光が、
静かな波間を照らしている。
その中でノアの尾ひれだけが、
宝石みたいに光っていた。
怖い、
とは思わない。
むしろ。
「……綺麗だなって思う」
ノアが息を止める。
凪は気付かないまま、
ぽつりと続けた。
「歌も」
「尾ひれも」
「お前も」
言った瞬間。
ノアがぴたりと動きを止めた。
「……む」
「え」
「“お前”やだ」
凪は瞬きをする。
ノアは少し不満そうに眉を寄せた。
「ちゃんと名前あるのに」
「……いや、
つい」
「ノアは名前呼ぶと、
嬉しくなる」
真っ直ぐな声だった。
どくり、と胸が鳴る。
ノアはじっと凪を見る。
「だから、
ナギも呼んで」
潮風が吹く。
波音が揺れる。
凪は妙に落ち着かなくなって、
視線を逸らした。
「……ノア」
名前を呼ぶ。
その瞬間。
ノアの表情が、
ぱっと明るくなる。
本当に嬉しそうに笑った。
「うん」
その顔が綺麗すぎて、
凪は心臓を押さえたくなる。
まずい。
最近ずっと、
調子がおかしい。
ノアを見るたび、
胸の奥が落ち着かなくなる。
視線を向けられるだけで、
呼吸が浅くなる。
ノアはそんな凪を見ながら、
小さく笑った。
「ナギは、
怖くないんだね」
凪は少し考える。
普通なら怖いのかもしれない。
人じゃない存在。
夜の海。
人魚。
でも。
初めて会った時から、
不思議と恐怖はなかった。
それよりずっと強く、
惹かれてしまった。
「……ノアが、
怖そうに見えないからじゃない」
そう言うと、
ノアは少しだけ目を見開いた。
それから、
ふっと笑う。
月明かりの下で笑うその顔は、
あまりにも綺麗だった。
凪の心臓が、
どくん、と大きく鳴る。
祖母は言っていた。
“人魚は、
海へ連れていく”
本当にそうかもしれない、
と思う。
だって今。
凪はもう、
夜になるたび。
ノアのいる海へ、
来てしまうのだから。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




