第3話「波打ち際」
夜の海は、
今日も静かだった。
月明かりが、
波間を白く照らしている。
凪は岩場へ腰を下ろし、
ギターケースを隣へ置いた。
その瞬間。
「ナギ」
もう聞き慣れ始めた声がする。
振り返ると、
ノアが波打ち際からこちらを見ていた。
白金の髪。
深い青の尾ひれ。
月光を溶かしたみたいな瞳。
凪は少し笑う。
「いたんだ」
「いた」
ノアは嬉しそうに頷く。
まるで、
凪が来るのを待っていたみたいだった。
そのことに気付いてしまって、
凪は少しだけ胸がむず痒くなる。
ノアは岩へ腕を乗せながら、
じっとギターを見る。
「それ、今日も持ってきた」
「まぁ」
「好き」
真っ直ぐな声。
凪は思わず苦笑した。
「お前ほんとそれ好きだな」
「ナギの音、
海と似てる」
「……海?」
「夜の海」
ノアは静かに波を見る。
「優しい音する」
凪は返事に困って、
前髪を掻き上げた。
そんなふうに言われると、
どうしていいか分からない。
ノアはふと、
海の向こうへ視線を向ける。
「人間の世界って、
夜でも明るいんだね」
遠く、
港の灯りが揺れていた。
「あれ?」
凪もそちらを見る。
「港」
「みなと……」
ノアは言葉を繰り返す。
初めて知るものを、
ひとつずつ覚えていくみたいに。
「船がいっぱいある場所」
「ふーん……」
興味津々な顔。
凪は少し笑った。
「お前、
ほんと何も知らないんだな」
「だって見たことない」
ノアは悪びれずに言う。
「人間の世界、
遠くから見るだけだった」
その言い方が妙に寂しく聞こえて、
凪は少し黙る。
ノアはすぐに表情を変え、
今度は凪のサンダルを見た。
「それも人間の?」
「サンダル?」
「サンダル」
ノアはすぐ復唱する。
凪は吹き出した。
「なんで笑う?」
「いや……
ちゃんと覚えるんだなと思って」
「覚えたい」
ノアは真剣だった。
「ナギの世界」
どくり、と胸が鳴る。
そういうことを、
なんでそんな普通に言えるんだ。
凪は誤魔化すようにギターを鳴らした。
ぽろん。
ノアの目がすぐ輝く。
本当に好きなんだな、
と思う。
「……触る?」
何気なく聞くと、
ノアがぱっと顔を上げた。
「いいの?」
「壊すなよ」
ノアはそろそろと岩へ近付く。
波打ち際から、
上半身だけ乗り出す形になる。
その距離が思ったより近くて、
凪は少しだけ緊張した。
白い肌。
濡れた髪。
潮の匂い。
近くで見ると、
やっぱり綺麗すぎる。
ノアはそんなこと気付かないまま、
恐る恐る弦へ触れる。
ぽろん。
不格好な音。
ノアが目を見開く。
「……鳴った」
「そりゃ弾いたし」
「すごい」
「いや普通」
でもノアは、
本当に感動したみたいな顔をしていた。
「ナギは、
もっと綺麗」
そう言って、
凪を見る。
距離が近い。
近すぎる。
青と金の瞳が、
すぐ目の前にある。
凪の心臓が、
急にうるさくなる。
「……っ、お前」
思わず視線を逸らす。
ノアは不思議そうに首を傾げた。
「どうした?」
「近い」
「?」
ノアは本気で分かっていない顔をする。
「だって、
よく見たかった」
悪気ゼロだった。
凪は片手で顔を覆う。
なんなんだこいつ。
こんな距離で見つめられて、
平気でいられるわけない。
けれどノアは、
そんな凪を見て少し笑う。
嬉しそうに。
波音が静かに揺れる。
夜風がふたりの間を抜けていく。
凪は胸の奥が、
少しずつ変わっていくのを感じていた。
それが何なのか、
まだちゃんとは分からないまま。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




