第1話 袁紹ちゃん、号令す。③
董卓軍、中央。
徐栄は馬上から、前線の様子を鋭く睨み据えていた。
連合軍はすでに各所で崩壊していた。
敗走する部隊。散り散りになる旗。
残っているのは――袁紹の部隊のみ。
その数、およそ五千。
対して、自軍は二万。
四倍の兵力差。
包囲はすでに完成しつつある。
あとはゆっくりと締め上げ、押し潰すだけ。
徐栄の脳裏には、勝利の図が明確に描かれていた。
(……詰みだ)
時間の問題。
そう――思っていた。
だが。
ガアンッ!
キイインッ!
鋭い金属音が、耳に届く。
何度も、何度も。
音が、徐々に近づいてきている。
徐栄の眉が、わずかに動いた。
「……押されておるのか」
低く呟く。
あり得ぬ。
そう思いながらも、視線を巡らせる。
確かに。
前線の一部で、兵の流れが逆転し始めていた。
押し込んでいたはずの敵が――押し返してきている。
徐栄は、すぐに状況を切り替える。
馬を進め、声を張り上げた。
「敵はもはや虫の息だッ!!」
その声は、戦場を貫く。
「いっきに叩き潰してしまえッ!!」
オオオオオオ――ッ!!
董卓軍の鬨の声が、地を震わせる。
兵たちの士気が再び燃え上がり、前へと押し出される。
袁紹軍――中央。
田豊は、激しく揺れる戦線を見つめながら、歯を食いしばった。
(……なんとか持ち直したが、前線は拮抗しておる)
息を吐く。
(このまま戦が長引けば……兵力で劣るわが軍は、やがて力尽き崩壊するであろう)
現実は変わらない。
いくら士気が上がろうとも、数の差は埋まらない。
田豊は周囲を見回す。
かつて共に並んでいたはずの諸侯たちの軍は――すでに影も形もない。
遠くで見えるのは、敗走する背中ばかり。
「……あと一手」
唇が、わずかに動く。
「せめて……あと一手あれば……」
その時だった。
戦場の喧騒の向こう。
はるか前方――董卓軍の後方に位置する丘の上から。
オオオオオオッ!!
鬨の声が、突如として上がった。
「……なんじゃ?」
田豊目を細める。
砂塵の向こうに、旗が見える。
――「曹」
その一文字が、風に翻っていた。
次の瞬間。
その軍勢は、一気に丘を駆け下りた。
騎馬の群れが、地を叩く。
土煙を巻き上げながら――董卓軍の背後へと、突撃した。
董卓兵「ぐわッ!?」
董卓兵「ぐふうッ」
不意を突かれた董卓軍の兵たちが、次々と蹴散らされていく。
槍が突き立てられ、馬に弾き飛ばされる。
隊列が、瞬く間に崩れる。
「ぬう……曹操め。いつのまに後方に――」
徐栄の顔に、初めて明確な苛立ちが浮かぶ。
だが、その言葉が終わるよりも早く。
――影が、落ちた。
目の前に、ぬっと現れる巨体。
二メートルに迫ろうかという体躯。
短髪を後ろへ撫でつけた男。
その目は、獲物を射抜く猛禽のように鋭い。
徐栄が武器を構える間もなかった。
ブシュウッ!!
槍が、一直線に突き上げられる。
徐栄の身体が、持ち上がる。
息が止まる。
手が震え、槍を掴もうとする。
だが――力が、入らない。
指先が、ほどけていく。
槍が、引き抜かれる。
同時に、徐栄の身体は馬上から崩れ落ちた。
地面に叩きつけられ――動かない。
大男「……フンッ」
低く鼻を鳴らす。
槍についた血を、軽く払う。
それだけだった。
だが――その光景は、十分すぎるほどだった。
董卓兵「じょ、徐栄様が討たれたぞ……」
董卓兵「そ……そんな……俺たち、どうすれば……」
動揺が、波紋のように広がる。
誰かが一歩下がる。
その一歩が、連鎖する。
一人が逃げる。
二人が逃げる。
やがて――
董卓兵たちは、次々と武器を捨て始めた。
槍が落ちる音。
剣が地に転がる音。
そして。
一斉に、背を向ける。
敗走。
堰を切ったように――軍そのものが崩壊していく。
その様子を、静かに見つめる男がいた。
先ほど徐栄を討った大男の、すぐ後ろ。
整った顔立ち。
だがその瞳は冷たく、鋭く。
戦場のすべてを見透かしているかのような、計算に満ちた眼差し。
兵が慌てて馬を寄せる。
「曹操様! 敵が敗走を始めましたッ!」
名を呼ばれた青年――曹操は、わずかに頷いた。
そして、大男へと声を飛ばす。
曹操「敵を追撃するぞッ! 夏侯惇ッ!」
夏侯惇「オウッ!!」
豪快な返事。
大男――夏侯惇が槍を構え直す。
次の瞬間。
曹操軍が、一斉に動いた。
崩壊した董卓軍へと、容赦なく追いすがる。
逃げる背中へ、槍が突き立てられる。
戦場は――完全に、勝敗を決していた。




