第1話 袁紹ちゃん、号令す。①
西暦190年、中国大陸。
漢帝国、首都――洛陽。
その近郊の大地は、すでに戦場と化していた。
怒号。悲鳴。金属のぶつかり合う甲高い音。
ガキィンッ!
ドゴォッ!
槍と槍がぶつかり、剣が鎧を叩き、兵が倒れる。
その混沌の中で――二つの軍勢が、激しくぶつかり合っていた。
西側に陣を敷くのは、董卓軍先鋒――徐栄。
兵の統率は乱れず、一歩一歩、確実に前へと進んでいた。
漢帝国の幼き皇帝を掌中に収め、絶大な権力を振るう董卓。
その配下として名を轟かせる、知勇兼備の名将である。
対する東側。
董卓の暴政を打ち倒すべく結成された、小領主たちの同盟軍。
反董卓連合軍。
しかし、その実態は寄せ集め。
志は同じでも、統率も練度もばらばらだった。
その盟主を務めるのが――袁紹。
名門・袁家の嫡流にして、この連合軍の象徴ともいえる存在。
その袁紹の軍が、徐栄軍の猛攻を、必死に押しとどめていた。
だが――
「押し返せ!」「隊列を崩すな!」
飛び交う号令とは裏腹に、戦線はじわじわと後退していく。
董卓軍の突撃は鋭く、無駄がない。
徐栄の指揮のもと、兵たちは一糸乱れぬ動きで敵を圧迫していた。
対して連合軍は、各所で綻びが生じている。
「うわああああッ!」
「持たん! 退け、退けぇ!」
次々と敗走する領主たち。
踏みとどまっているのは――ほんの一部だけ。
その中央。
白馬に跨り、戦場を睨み据える男がいた。
――袁紹。
髭を短く整え、堂々たる体躯の好青年。
きらびやかな金色の鎧は、名門袁家の威光を象徴するかのように、砂塵の中でもなお輝いている。
だが。
その眉間には深い皺が刻まれ、目には明らかな焦りが滲んでいた。
袁紹「なにをしておるッ! 押されておるではないかッ!」
怒声が戦場に響く。
兵たちがびくりと肩を震わせるが、状況は変わらない。
その脇へ、一騎の馬が駆け寄った。
白髪と白髭を蓄えた老将――田豊。
袁紹軍の軍師である。
田豊「袁紹様ッ! 敵の勢いが強すぎます! このままでは戦線が崩壊いたします!
ここは一旦、後退し――」
必死の進言。
だが――
袁紹「ばかを申すなッ!」
鋭く遮る怒声。
袁紹は手綱を強く引き、馬を踏みとどまらせる。
袁紹「我らは名門袁家の軍ッ!ここで敵に背を向けるなど、あってはならぬ!」
その声には、誇りと――そして、引くに引けない意地が混じっていた。
だが、その瞬間。
ヒュンッ――
細い風切り音。
一本の矢が、戦場の喧騒をすり抜けるように飛来した。
一直線に――袁紹の額へと吸い込まれるように。
ドスッ
鈍い音。
袁紹「――っ」
声にならない声。
身体が、わずかに揺れる。
田豊「……え?」
時間が、止まったかのような一瞬。
次の瞬間。
バタアアーーンッ!!
袁紹の身体が、馬上から崩れ落ちた。
重い音を立てて地面に叩きつけられる。
動かない。
微動だにしない。
額には、深々と突き刺さった矢。
目は大きく見開かれたまま。
口は、何かを言おうとした形のまま――完全に、止まっていた。
即死だった。
田豊「……袁紹様……?」
震える声。
馬から飛び降り、駆け寄る。
膝をつき、顔を覗き込む。
――動かない。
その現実が、遅れて理解に追いつく。
田豊「え……袁紹様ッ!!」
叫びが、戦場にかき消される。
田豊の顔が、みるみる青ざめていく。
名門の象徴。
連合軍の旗頭。
その存在が――今、この場で、消えた。




