第3話 袁紹ちゃん、汜水関で覚醒す。②
董卓兵「か……華雄様が討たれた……?」
呆然とした声が、ぽつりと漏れる。
その場にいた董卓兵たちの視線が、一斉に倒れ伏した華雄へと向けられていた。
巨体は動かない。
あれほどの猛将が――一撃で、沈んだ。
董卓兵「そんな……俺達は……どうすれば……」
誰かが、かすれた声で呟く。
それをきっかけに。
空気が、崩れた。
一人、また一人と後ずさる。
足が、勝手に下がる。
やがて――
「に、逃げろッ!!」
「華雄様がやられたんだぞ!!」
叫び声が上がる。
その瞬間。
堰を切ったように、敗走が始まった。
武器を捨てる者。
仲間を押しのける者。
秩序など、もうどこにもない。
董卓軍の兵たちは雪崩のように崩れ――西へ。洛陽へと、我先にと逃げ出していった。
やがて。
戦場に残ったのは、勝者と――無数の亡骸。
汜水関の門が、ゆっくりと開かれる。
連合軍の兵たちがなだれ込み、関内を制圧していく。
旗が掲げられ、守備の兵が配置される。
そして。
馬にまたがった曹操が、前へと進み出た。
その顔には、はっきりとした勝利の色。
曹操「汜水関は占拠した!!」
高らかな声が、関内に響く。
曹操「我々の勝利だッ!! 勝鬨を上げよッ!!」
その言葉に――
連合兵「エイッ!! エイッ!! オーーッ!!」
連合兵「エイッ!! エイッ!! オーーッ!!」
勝鬨が、何重にも重なっていく。
空気が震える。
疲労に沈んでいた兵たちの顔に、ようやく笑みが戻る。
その熱気の中。
一騎の馬が、ゆっくりと進んできた。
張郃。
彼女は紹香の前で馬を止めると――軽やかに地面へ降り立つ。
そして、そのまま迷いなく歩み寄る。
足取りはしなやかで、まるで舞うよう。
紹香の前で、ぴたりと止まると。
張郃「あぁ……」
うっとりとした声を漏らす。
張郃「なんと、お美しい……」
そのまま、すっと膝をついた。
頭を垂れ、深く礼を取る。
張郃「我ら義勇兵一万――」
声は柔らかいが、はっきりと通る。
張郃「気高き袁紹様をお慕いし、その元で働きたく参上いたしました」
顔を上げる。
狂気を帯びた瞳が、真っ直ぐ紹香を射抜く。
張郃「どうか袁紹様――我らをその幕下へ、お加えください」
紹香は、その言葉を受け止めながら――わずかに視線を落とした。
紹香(袁紹って人を……慕って……)
胸の奥に、重いものが沈む。
罪悪感。
これは、自分に向けられたものではない。
本来いるはずの“誰か”へ向けられたもの。
紹香「……悪いんだけど」
ぽつりと、口を開く。
紹香「私は、本当の袁紹じゃないの」
田豊「あッ、ちょッ――」
慌てて制止しようとする。
だが、遅い。
紹香「……だから、あなたたちの期待には応えられな――」
その時。
張郃が、すっと立ち上がった。
そして、間合いを詰める。
張郃「なにをおっしゃいますか、袁紹様」
言葉を遮る。迷いがない。
そのまま、紹香の手を取った。
ぐっと引き寄せる。
そして――自らの胸へと押し当てた。
柔らかい感触。
同時に、熱。
確かな“生”のぬくもり。
張郃「私の、ココが……感じているのです」
囁くような声。
だが、その瞳は狂気に満ちている。
張郃「――あなた様が、我らの仕えるべき主であると」
そう言うと、再び深く跪いた。
その動きに呼応するように。
背後の一万の義勇兵たちが――一斉に膝をついた。
ザッ……
大地が、鳴る。
圧倒的な数の“忠誠”。
紹香の視界に広がるのは――自分に頭を垂れる、無数の人間。
紹香 (……こんなに……)
息が、わずかに詰まる。
紹香(こんなにたくさんの人が……私を慕って……)
その瞬間。
胸の奥で、何かが弾けた。
――その時、紹香の中の、『自己肯定感』が――爆上がりした。
紹香「――みなのものッ!!」
突然、声を張り上げる。
その声は、これまでとは明らかに違っていた。
思わず。
背後にいた田豊、顔良、文醜までもが――反射的に膝をつく。
田豊(み、みなのもの……? 急に口調が……)
違和感を覚えつつも、止められない。
紹香は、そのまま続けた。
紹香「――これより私は、洛陽にいるソウ卓を――」
田豊「董卓です、紹香様」
すかさず、小声で訂正が入る。
紹香「……董卓を、退治する!」
一瞬の間。
そして――
紹香「――ついてきなさいッ!!」
高らかな宣言。
その言葉に、間髪入れず。
袁紹兵「オオオオオ――ッ!!」
大歓声が、空を揺らした。
軍の空気が――完全に変わった。
顔良「……フッ」
わずかに、口元が緩む。
先日までの無気力な少女ではない。
文醜「……ヘヘッ」
鼻を鳴らす。
その脇で――田豊は、ぽかんと口を開けていた。
田豊「……い、いきなり……なんじゃ、この変わりようは……」
困惑。
だが同時に、目の奥にはかすかな期待が灯っている。
その時。
ふわり、と。
紹香の周りに、柔らかな風が吹いた。
静かで、穏やかな――だが、芯に力を秘めた風。
紹香の黄色いショートヘアが、ふわりと揺れる。
赤いマントの端が、やさしくはためく。
まるで、誰かに包まれているような感覚。
その中で。
声が、響いた。
???(――我が、かわいい子孫。紹香よ)
どこか遠くから、しかし確かに届く。
???(どうか――我が悲願を――)
言葉は、そこで途切れる。
風が、わずかに強くなる。
紹香「――?」
思わず、顔を上げる。
誰もいない。
空は高く、ただ青く広がっているだけ。
紹香(……今の、声は……?)
胸の奥に、かすかなざわめきが残る。
風は、ゆっくりと空へと昇っていく。
やがて、消えた。
静寂。
無数の兵が、その背を見つめる。
期待。畏れ。熱。
歓声の中、すべてを受けながら――少女は、静かに立っていた。




