#6 私の命の末路
私は望まれない子供だった。
母は駆け出しの歌手で、父はコンビニのバイト店長――一時の軽率な不貞と、少々のものぐさが生んだ結果だ。そもそも二人は馴れ初めという大層な物も無い、ただのナンパで知り合ったそうだ。
そんな私は当然疎まれた。両親の両親とすら会ったことが無い。付け加えるなら出生の証明すらもされていないのだ。なぜ知っているか? 酔った父が口を滑らしたから知っているのだ。
それに駆け出しの歌手は路線にもよるが、基本は清純でありたい。大衆の自身に対するイメージは、極力良くしたい。打算でひた隠しにされていた私に、愛などかけられなかった。
学校に行くことも無かった。戸籍上存在いないのに、学校に行けるはずもない。
名前も無い。呼ばれる時は「おいお前」か「ガキ」の二択だ。
幸いと言うべきか、暴力は殆ど無かった。泥酔して衝動的に殴られることはあったが、外部に漏れるのを余程母が恐れていたのだろう。父もそこだけは考えていた。既に私から見れば大罪人なのだが。
そのため食事にも困る事は無かった。母の血の滲む努力でそこそこ名声を得たことで、私は平均を少し下回る程度は人間的な暮らしが出来た。
とはいえ一切外に出れず幽霊のように暮らしていた私は、当たり前だが病弱になっていた。
病死すれば遺体を焼いたり、ともかく人目につく事をやらざるを得なくなる。なので私が病気に罹る度に知り合いの弁護士の子供と偽って病院に行っていた。その弁護士というのが、今現在娯楽を配給している中年だったりする。
病気に罹って薬で治して――繰り返すたびに少しずつ、私の体は脆く、弱くなっていった。
七歳の頃、私は呼吸器に慢性的な病気を患った。それを境に母は「うつる病気だから遠くで治さなきゃいけないの」と言って、私一人を山奥のこの家に移した。
感染による呼吸器障害ではなく呼吸器そのものが弱っていたので、よく考えればうつる事は無いのだが、無知だった私は頷いていた。今考えればバカだったなぁ、と自虐する時もある。
それから六年の間、私の家には日に三回食事を届ける人が来る以外、あとは全て自分でやることになった。
生活するために必要な費用は全て払われていた。せめてもの両親の良心とでも言うべきか。また、ここには表紙の擦り切れた本や、何世代も前のゲームハードとカセットがあった。おかげで退屈はしなかった。
だが、それも最後の一年には何も無くなっていた。
異変に気付いたのは五年経過した後の六月二日――叔父が来なくなって半年ほど経ったころだ。
その日を境に食事を運ぶ者すら来なくなった。困った私は本を引っ張り出して山菜やキノコを食べるようになった。
それから一か月後――水道と電気、ガスの全てが止まった。川の水を煮沸して飲むようになった。
この頃から私の体は完全に壊れた。
生活インフラが断たれてから一か月を待たず、私はベッドで寝込んだ。
慣れない事を弱い体で続けたためか、日中でも体温が上がらない。
火を熾す元気も気力も無い私は、いずれ動けなくなった。川の水を沸騰させずに飲んだため、腹を下して下痢をする。脱水症状になっても水が無いので川の水を飲む、そんな悪循環を繰り返した。
――私は捨てられたんだ。
気付いた時には――いや、叔父が来始める前にでも、一度も両親は来なかった。来たのは見知らぬ配達人と、唯一知っているのは叔父だけ。その叔父も、一年前から来なくなった。
気づいていたのに気づかないふりをしていた。
――信じていた人にも、捨てられた。
死にかけで、震えて、怖くて。そんな時に誰も寄り添ってはくれない。
七月十七日――干からびた命がついに消えかけた。とうとう死ぬのかと思った。
何も考えられなくなり、身体や喉の苦痛が無くなっていた。
意識しか存在しない状態になって、私は初めて泣いた。
――誰か、私を、愛して。
無様に泣いて、祈った。
誰も聞いてくれないけど、喚いた。
全力で叫んだ、返ってくるのは静寂だけ。
――ああ、もう、いいや。
私は目を閉じた。
七月十八日――いつも通りに私は目覚めた。
体を起こす。軽い。呼吸が阻害される感じが無い。
困惑した私は、ふと自分の体を見た。
何ら変わりのない自分の手と、腹と――そこまで見て異変を感じる。
身体が、二重に見える。上体を起こした自分に、薄っすら被っているもう一つの……「自分の体」。
私は死んだ。そして気付いた――『幽霊』となったことに。
ご拝読ありがとうございました。
今更ですが、幽霊ちゃんこと『白月幽香』ちゃんの名前にルビを振っておきました。




