広がる世界 思惑
主人公が七歳になった。
弟と妹が生まれてから一年近くが経ち、屋敷での生活にも少しずつ変化が生まれていた。
双子は順調に成長しており、以前よりも表情が豊かになっている。主人公も二人のことを気にかけ、時間があれば顔を見に行くようになっていた。
「お兄ちゃんですよー」
眠っている弟の顔を覗き込みながら、主人公は小さな声で話しかける。
隣では妹が母親に抱かれ、気持ちよさそうに眠っていた。
「ふふっ。二人とも、お兄ちゃんが来ると嬉しそうね」
「そうなの? ぼくがわかるの?」
「きっとわかっているわよ」
母親の言葉に、主人公は嬉しそうに笑った。
そんな穏やかな日常を送りながら、主人公は七歳から新しい勉強を始めることになった。
これまで中心だった魔法の基礎学習に加え、貴族としての振る舞いや、ノルゼア大陸に関する知識を学ぶことになったのだ。
◇
午前中は魔法の授業。
「それでは、本日は八属性の基礎について復習しましょう」
「はい、先生!」
主人公は元気よく返事をした。
五歳の能力鑑定で、全八属性への適性が判明した主人公は、六歳から少しずつ各属性の魔法を学んできた。
七歳になった現在では、火、水、雷、土、風、無の六属性については、ある程度安定して魔法を扱えるようになっていた。
しかし、光と闇の二属性については、まだ苦戦している。
「まずは光属性からです。焦らず、マナの流れを意識してください」
「わかった!」
主人公は両手を前に出し、意識を集中させた。
身体の中にあるマナを感じ取り、少しずつ手のひらへと集めていく。
やがて、指先に淡い光が灯った。
だが、その光は安定せず、明滅を繰り返している。
「あっ、消えちゃった」
「惜しいですね。ですが、以前よりも制御できていますよ」
「本当?」
「ええ。少しずつ上達しています」
主人公は嬉しそうに頷いた。
続いて闇属性にも挑戦したが、こちらも思うようにいかない。
光とは異なる感覚に戸惑いながらも、何度も練習を繰り返す。
しばらくすると、手のひらに小さな黒い靄のようなものが浮かび上がった。
「できた!」
「見事です。まだ不安定ですが、闇属性も扱えるようになってきましたね」
主人公は得意げに笑った。
全属性に適性を持っているとはいえ、すべてを簡単に扱えるわけではない。
家庭教師も、その成長を急がせることなく、一つずつ丁寧に教えていた。
しかし、魔法の階級だけは相変わらずだった。
どれほど練習を重ねても、主人公が扱えるのは初級魔法まで。
中級魔法を発動させようとしても、成功することは一度もなかった。
「先生、ぼくはいつになったら中級魔法が使えるようになるの?」
「それは、まだわかりません。ですが、今できることを積み重ねていきましょう」
「うん!」
主人公は諦めることなく、再び魔法の練習を始めた。
◇
午後になると、魔法とは別の授業が始まる。
この日は貴族としての礼儀作法についてだった。
「坊ちゃま、背筋を伸ばしてください」
「こう?」
「もう少しです。相手に挨拶をするときは、目線と姿勢にも気を配りましょう」
主人公は姿勢を正し、教えられたとおりに頭を下げる。
名門貴族の長男である以上、将来的には多くの貴族や王族と接する機会がある。
そのため、礼儀作法や社交の場での振る舞いは、幼いうちから身につけておかなければならない。
挨拶の仕方、食事の作法、目上の人物への接し方。
覚えることは多く、主人公にとっては魔法の勉強よりも退屈に感じることもあった。
「坊ちゃま、次は食事の際の作法です」
「まだあるの……?」
「もちろんです」
「うぅ……」
主人公は小さく肩を落とした。
それでも、家の長男として恥ずかしくない振る舞いができるよう、少しずつ覚えていった。
◇
貴族としての教育と並行して、主人公は屋敷の外に広がる世界についても学び始めた。
家庭教師は大きな地図を広げ、ノルゼア大陸と六つの界について説明する。
「こちらがノルゼア大陸です。そして、この世界には人界、精霊界、匠界、海界、龍界、獣界という六つの界が存在しています」
「先生、全部違う世界なの?」
「はい。それぞれに異なる種族が暮らしています」
人間族、エルフ族、ドワーフ族、人魚族、龍人族、獣人族。
それぞれが独自の文化や国家を持ち、長い歴史を築いてきた。
六つの界には転移門が存在するが、種族は自分以外の種族の転移門を通過することができない。
そのため、六種族は昔からノルゼア大陸に集まり、交易や交流を続けてきたのだという。
「すごい! ぼくもいつか行ってみたい!」
「いずれ、その機会もあるでしょう」
主人公は地図を覗き込み、まだ見ぬ土地に思いを巡らせた。
人間族の国だけでも広大なのに、ほかの種族の国や六つの界まで存在する。
この世界には、自分の知らないことがまだまだたくさんある。
それを知ることが、主人公にはとても楽しかった。
◇
ある日の授業。
「坊ちゃまは、魔物についてどこまで知っていますか?」
「魔物? マナ溜りから生まれる生き物だよね?」
「よく覚えていましたね」
家庭教師は満足そうに頷いた。
ノルゼアには、魔物と呼ばれる存在が数多く生息している。
世界に存在するマナが特定の場所に集まると、マナ溜りが発生する。そして、そこから魔物が生まれるのだ。
「魔物は、森や山、洞窟など、さまざまな場所に存在します。種類によって性質も強さも異なり、人々の生活を脅かすこともあります」
「魔物って、そんなに危ないの?」
「ええ。小さな魔物であれば一般的な魔法使いでも対処できますが、強力な魔物になると、熟練の魔法使いでも苦戦することがあります」
「ぼくの魔法でも倒せる?」
「今はまだ知識を身につける段階です。実際に魔物と戦うのは、もっと成長してからですよ」
「そっか……」
主人公は少し残念そうにしたが、すぐに魔物の図鑑へと視線を戻した。
そこには見たこともない生き物の絵が描かれていた。
大きな角を持つ獣。
鋭い牙を持つ狼のような魔物。
空を飛ぶ巨大な鳥の魔物。
「先生! この魔物はどれくらい大きいの?」
「種類にもよりますが、大人の人間よりも大きいものもいますよ」
「そんなに!?」
主人公は目を輝かせた。
怖さよりも、未知の存在への興味が勝っているようだった。
◇
こうして、主人公の七歳の一年は過ぎていった。
魔法では八属性の基礎を学び、光と闇にも少しずつ慣れてきた。
貴族としての礼儀作法を覚え、ノルゼア大陸や六つの界についても知識を深めた。
魔物という存在を知り、屋敷の外には自分の知らない広い世界があることを実感した。
それでも、魔法の階級は初級のままだった。
全属性に適性を持つという特異な才能を持ちながら、中級以上の魔法を使うことはできない。
その理由は、まだわからない。
だが、主人公は学ぶことをやめなかった。
知らないことを知る楽しさ。
昨日できなかったことが、今日できるようになる喜び。
そうした小さな経験を積み重ねながら、少年は少しずつ成長していく。
そして、まだ見ぬ世界への好奇心を胸に、八歳へと近づいていった。
◇
主人公が暮らす屋敷から遠く離れた、ある貴族の邸宅。
その一室には、数人の貴族が集まっていた。
窓には厚いカーテンが引かれ、外の光はほとんど差し込んでいない。
円卓を囲む者たちの表情は、どれも険しいものだった。
「例の少年について、新しい報告はあるか?」
年配の貴族が口を開いた。
「現在七歳。魔法の授業を続けているようです。全八属性への適性は変わらず、使用できる魔法は初級までとのことです」
「七歳になっても、まだ初級か……」
別の貴族が鼻で笑った。
「全属性という言葉だけを聞けば聞こえはいい。だが、実際には初級魔法しか使えないのだろう?」
「ああ。あの家の長男としては、あまりにも情けない」
「名門の名を背負う者が、それでは困るな」
彼らは、主人公の能力鑑定の結果を知る貴族たちだった。
その中には、主人公の家と長年の関わりを持つ者もいれば、貴族社会で独自の勢力を築いている者もいる。
彼らは主人公の全属性という適性を、優れた才能とは考えていなかった。
むしろ、初級魔法しか使えないことを問題視していた。
「名門貴族の長男が、いつまでもその程度の魔法しか使えない。家の恥と言われても仕方あるまい」
その言葉に、数人が頷く。
「問題は、あの家の当主だ。息子を後継者として扱い続けるつもりらしい」
「当然だろう。自分の息子なのだからな」
「親心で家の将来を決められては困る。貴族の家は個人のものではない」
円卓を囲む者たちの間に、重い沈黙が流れた。
彼らの考えは一致していた。
主人公は、名門貴族の長男という立場にふさわしくない。
その存在が一族の名声を損なう前に、何らかの対処が必要だと考えていた。
「今はまだ動くな」
最初に口を開いた年配の貴族が告げた。
「少年はまだ七歳だ。今後どう成長するか、もう少し様子を見る必要がある」
「しかし、このまま放置するわけにもいきません」
「わかっている。まずは周囲の動向を探れ。あの家の内部にも、我々の考えに賛同する者がいるかもしれない」
その言葉に、ほかの貴族たちは静かに頷いた。
彼らは表向き、主人公の家と友好的な関係を保っていた。
時には屋敷を訪れ、父親と笑顔で言葉を交わすこともある。
だが、その裏側では、主人公を家の恥と見なし、その立場を危うくする機会を探っていた。
それはまだ、誰にも知られていない。
◇
その頃、主人公は屋敷の庭で魔法の練習をしていた。
「今日は昨日よりも上手にできるかな!」
小さな手のひらに、淡い光が灯る。
何度も失敗しながら、それでも楽しそうに練習を続ける少年。
その姿を、少し離れた場所から母親が微笑ましそうに見守っていた。
少年はまだ知らない。
自分の能力を知った貴族たちが、自分を名門貴族の恥と考えていることを。
そして、その者たちが自分の知らないところで、静かに動き始めていることを。
少年の日常は、今日も変わらず穏やかだった。
しかし、その穏やかな日々の裏側では、彼の未来を巡る思惑が、少しずつ動き始めていた。




