揺らぐ後継者
弟と妹の能力鑑定が行われてから、数週間が過ぎた。
二人の優れた才能は、貴族社会の中で大きな話題となっていた。
人間族が得意とする火と雷の属性において、上位の魔法を扱えるほどの適性を持つ弟。
同じく火と雷に加え、風と光にも適性を持つ妹。
五歳という幼さでありながら、二人の将来を期待する声は日に日に大きくなっていた。
屋敷には、二人の才能を称賛する手紙が届き、親交のある貴族から祝いの品が送られてくることもあった。
父親と母親は、二人の成長を心から喜んでいた。
主人公も同じだった。
弟と妹が魔法の練習をする姿を見るたびに、自分のことのように嬉しくなった。
しかし、二人の才能が称賛される一方で、主人公に対する周囲の評価は、以前にも増して厳しいものになっていた。
「弟君も妹君も、実に素晴らしい才能をお持ちですね」
「さすがは名門の血筋ですな」
「それに比べて、ご長男は……」
そんな言葉を聞く機会が増えていた。
以前は珍しい八属性の適性を持つ子どもとして注目されていた主人公だったが、今では初級魔法しか使えないという事実ばかりが取り上げられる。
彼自身も、そのことに気づいていた。
それでも、弟と妹の才能を喜ぶ気持ちに変わりはなかった。
二人は自分にとって、大切な家族なのだから。
だが、主人公の周囲では、本人が知らないところで新たな問題が生まれ始めていた。
***
ある日の午後。
屋敷の一室では、父親を中心に親族たちが集まっていた。
普段は顔を合わせる機会の少ない親族も、この日は屋敷を訪れていた。
議題は、家の今後についてだった。
当主である父親が席につくと、集まった者たちはそれぞれ静かに口を開いた。
「今回の弟君と妹君の鑑定結果は、本当に素晴らしいものでしたな」
「二人とも将来が楽しみです。これほどの才能を持つ子どもが二人もいるとは、家にとって大きな財産でしょう」
「まったくです。これからの成長が楽しみですな」
最初は、二人の才能を祝福する穏やかな会話だった。
しかし、しばらくすると、話題は少しずつ別の方向へと変わっていった。
「ところで、長男のことですが……」
その言葉に、父親の視線がわずかに動いた。
「何か問題でも?」
「十歳の再鑑定で、使用できる魔法の階級は初級までと確定したそうですね」
「そうだ」
父親は短く答えた。
「本人は努力を続けていると聞いております。しかし、魔法の階級が上がらないのであれば、今後もその状況は変わらない可能性が高いのでしょう」
「現時点では、そういう結果が出ている」
「それでは、家の後継者としては不安が残るのではありませんか?」
部屋の空気が少し変わった。
それまで黙っていた別の親族が、ゆっくりと口を開く。
「弟君は火と雷の上位魔法に高い適性を持っている。妹君も同じ二属性に加えて、風と光に適性がある。二人とも、名門貴族の後継者として十分に期待できる才能でしょう」
「確かに、二人の才能は素晴らしい。それは私も認めている」
父親は落ち着いた口調で答えた。
「ですが、長男が現在の後継者であることは変わりません」
すると、親族の一人が少し身を乗り出した。
「もちろん、今すぐ変更しろと言っているわけではありません。ただ、家の将来を考えるのであれば、後継者について改めて検討する必要があるのではないでしょうか」
その意見に、数人がうなずいた。
一方で、反対する親族もいた。
「待っていただきたい。まだ子どもたちの将来が決まったわけではありません。弟君も妹君も、これから学び、成長していく段階です。それに、長男がこれまで努力してきたことも忘れるべきではないでしょう」
「努力を否定するつもりはありません。しかし、当主となる者には責任が伴います。家を背負う以上、個人の努力だけでは判断できない部分もあるでしょう」
「だからといって、魔法の階級だけで判断するのですか?」
「魔法の力は、この世界において重要な要素です。特に名門貴族であれば、なおさらでしょう」
話し合いは、次第に熱を帯びていった。
父親は全員の意見を聞きながらも、表情を変えなかった。
やがて、一度静かになったところで、父親が口を開いた。
「二人の才能を誇りに思っているのは事実だ。あの子たちがどれほど成長するのか、私も楽しみにしている」
そこで一度言葉を切る。
「だが、だからといって長男の価値が失われるわけではない。魔法の階級だけで、息子の将来を決めるつもりはない」
「しかし、当主としての判断も必要です」
「分かっている。だからこそ、今すぐ答えを出すつもりはない」
父親の言葉に、親族たちはそれ以上強く迫ることができなかった。
この日の会合で、後継者の変更が決まることはなかった。
しかし、親族の間で意見が分かれていることは、誰の目にも明らかだった。
***
その頃、主人公は屋敷の庭で魔法の練習をしていた。
十一歳になった今も、彼の日課は変わっていない。
火、水、雷、土、風、無、光、闇。
八つの属性の初級魔法を、一つずつ丁寧に扱う。
威力を無理に高めようとはせず、魔力の流れや形を整え、できる限り正確に制御する。
二年間の努力によって身につけた技術は、今も少しずつ磨かれていた。
「お兄ちゃん!」
庭の向こうから、弟の声が聞こえた。
振り返ると、妹と一緒にこちらへ走ってくる姿が見えた。
「どうしたの?」
「一緒に遊ぼう!」
「お兄ちゃん、魔法の練習終わった?」
二人は、兄を見つけるといつも嬉しそうに近寄ってくる。
「もう少しで終わるよ。少し待っていてね」
「うん!」
弟と妹は庭の端に並んで座り、兄の練習を眺め始めた。
主人公が水を生み出し、それを小さな氷へと変えると、二人は目を輝かせた。
「すごい! 水が凍った!」
「お兄ちゃん、もう一回見せて!」
「いいよ。でも、今度は二人もやってみようか」
主人公は二人に基本的な魔法の使い方を教えた。
まだ五歳の二人には難しい部分も多かったが、楽しそうに魔法を使おうとする姿は、見ていて微笑ましかった。
主人公は笑顔で二人を褒めた。
この時間だけは、周囲の評価も後継者の問題も関係なかった。
ただ兄弟として、一緒に過ごせる大切な時間だった。
***
夕方。
主人公が庭から戻ろうとしたとき、廊下の向こうから複数の声が聞こえてきた。
親族たちの会合は、まだ続いているようだった。
「長男の努力は認めます。しかし、これ以上状況が変わらないのであれば、後継者としての立場を考え直す必要があるでしょう」
「弟君と妹君は、まだ五歳です。今から将来を決めつけるのは早いのでは?」
「だからこそ、早いうちに考えておくべきなのです。長男が当主となった後に問題が起きてからでは遅い」
主人公は、その場で足を止めた。
自分の名前こそ出ていなかったものの、話の内容はすぐに理解できた。
――自分のことだ。
もう少しだけ耳を傾けると、別の声が聞こえた。
「私は、長男をそのまま後継者にすることには賛成できません。弟君か妹君のどちらかを、将来の候補として育てるべきではないでしょうか」
「それでは、長男はどうなるのです?」
「それは、本人と当主が考えることでしょう」
主人公は静かにその場を離れた。
誰かに見つかったわけではない。
それでも、胸の奥に小さな重みが残っていた。
自分の知らないところで、自分の将来が話し合われている。
そして、そこには自分を支持してくれる人もいれば、弟や妹を後継者にするべきだと考える人もいる。
主人公は自室へ戻り、窓の外を眺めた。
「僕が、この家を継ぐことは……本当に正しいのかな」
小さな声でつぶやいた。
自分は長男として生まれた。
幼い頃から、いつか家を支える存在になることを期待されてきた。
だからこそ、五歳の能力鑑定で全属性の適性が判明したときも、両親や親族は大きな期待を寄せていた。
しかし、その期待は初級魔法しか使えないという結果によって、少しずつ失われていった。
弟と妹には、自分にはない才能がある。
二人が成長すれば、自分よりも家を支える力を持つようになるかもしれない。
そう考えることはできた。
それでも、自分が後継者でなくなるかもしれないという話を聞いて、何も感じないわけではなかった。
主人公は自分の手を見つめた。
そこには、今まで何度も魔法を使い、鍛えてきた跡がある。
どれだけ努力しても、初級魔法の壁を越えることはできない。
それは、もう分かっている。
「……少し、考えすぎかな」
そうつぶやいたとき、部屋の扉が軽く叩かれた。
「入ってもいい?」
母親の声だった。
「うん、いいよ」
母親は部屋に入り、主人公の隣に座った。
「今日は少し元気がないみたいね」
「そんなことないよ」
「本当に?」
主人公は少し迷ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「今日、親族の人たちが話しているのを聞いちゃったんだ」
母親は何も言わず、続きを待った。
「僕が後継者にふさわしくないって。弟や妹のほうが、家を継ぐのに向いているんじゃないかって……」
母親は主人公の手を優しく握った。
「そう。聞いてしまったのね」
「僕は、二人のことが嫌いなわけじゃないよ。むしろ、二人がすごい魔法を使えるようになるのは嬉しい。でも、僕のせいで家の中が揉めているのかなって思ったんだ」
母親は少しだけ目を伏せ、それから息子の顔を見つめた。
「あなたのせいではないわ。大人たちが、それぞれ自分の考えを話しているだけ。あなたが責任を感じる必要はないのよ」
「でも……」
「あなたは、あなたのままでいいの。魔法が初級までしか使えなくても、これまで努力してきたことは消えないわ」
母親は主人公の頭を優しく撫でた。
「私たちは、あなたが生まれてきてくれた日から、ずっとあなたを大切に思っている。それは、これから何があっても変わらないわ」
その言葉を聞いて、主人公はうつむいていた顔を上げた。
「ありがとう、お母さん」
「何か悩んだときは、いつでも話してちょうだいね」
母親が微笑むと、主人公も小さく笑った。
***
その夜、父親が主人公の部屋を訪れた。
母親から話を聞いていたのだろう。
父親は息子の向かいに座ると、静かに話し始めた。
「今日の会合のことを聞いた」
「うん……」
「お前が聞いてしまったことは仕方がない。だが、一つだけ覚えておいてほしい」
父親は息子の目をまっすぐに見た。
「私は、お前を後継者として育ててきた。その考えを、今すぐ変えるつもりはない」
主人公は黙って父親の話を聞いていた。
「弟と妹に才能があることは素晴らしいことだ。二人には、これからも自分の可能性を伸ばしてほしいと思っている。それと、お前を大切に思うことは別の話だ」
「でも、親族の人たちは……」
「全員が同じ考えを持つ必要はない。家を心配して意見を出す者もいる。弟や妹の将来を考えている者もいる。中には、別の思惑を持つ者もいるだろう」
父親の声には、少しだけ厳しさがあった。
「意見が分かれること自体は避けられない。だが、誰かの言葉に流されて、お前の将来を簡単に決めるつもりはない」
「僕は……どうすればいいの?」
父親はすぐには答えなかった。
しばらく考えてから、ゆっくりと言葉を選んだ。
「今は学ぶべきことを学び、できることを一つずつ増やしていけばいい。魔法だけが、お前のすべてではない」
主人公はその言葉を胸に刻むように、静かにうなずいた。
父親は立ち上がり、部屋を出る前にもう一度振り返った。
「それから、忘れるな。お前は私の息子だ。後継者であるかどうか以前に、それだけは変わらない」
扉が閉まったあと、主人公はしばらくその場に座っていた。
父親の言葉を聞いても、後継者の問題が解決したわけではない。
親族の中に自分を支持しない者がいることも、これから先、さらに厳しい状況になる可能性があることも分かっている。
それでも、自分を信じてくれる人がいる。
そのことが、主人公にとって大きな支えになっていた。
***
翌朝。
主人公が食堂へ向かうと、弟と妹が先に朝食を待っていた。
「お兄ちゃん!」
二人は主人公を見るなり、嬉しそうに手を振った。
「今日は一緒に魔法の練習をしようね!」
「うん! お兄ちゃんに教えてもらいたい!」
主人公は二人の隣に座った。
「もちろん。朝ご飯を食べたら庭に行こうか」
「やった!」
二人は顔を見合わせて喜んだ。
父親と母親も、その様子を微笑ましく眺めていた。
食卓には、いつもと変わらない穏やかな空気が流れていた。
大人たちの間では後継者をめぐる意見が分かれている。
貴族たちの中には、主人公を跡取りから遠ざけようと考える者もいる。
しかし、弟と妹にとって主人公は変わらず大好きな兄だった。
そして、両親にとっても、三人ともかけがえのない子どもであることに変わりはない。
主人公は二人の笑顔を見て、静かに微笑んだ。
今はまだ、何をすれば正解なのか分からない。
自分が将来どのような立場になるのかも分からない。
それでも、家族と過ごすこの時間だけは大切にしたかった。
***
その日の夜。
屋敷から離れた貴族の邸宅で、数人の貴族が再び集まっていた。
「親族の間で意見が分かれ始めたようだな」
「父親は、まだ長男を後継者から外すつもりはないらしい」
「簡単にはいかないということか」
一人の貴族が机の上に置かれた書類を見つめた。
そこには、主人公の能力鑑定の結果と、弟妹の鑑定結果がまとめられていた。
「しかし、弟君と妹君の才能は本物だ。今後の成長次第では、後継者を変更するという意見も無視できなくなるだろう」
「家の中で対立が深まれば、当主も判断を迫られることになる」
「焦る必要はない。今は親族間の意見が分かれたというだけでも十分だ」
別の貴族が、静かに笑った。
「長男本人にも、少しずつ自分の立場を考えさせればいい。自分が後継者にふさわしくないと思うようになれば、我々にとって都合がいい」
部屋の中に、短い沈黙が流れた。
彼らは、主人公の努力や人柄には興味がなかった。
必要なのは、彼を後継者としてふさわしくない存在だと周囲に思わせること。
そして、家の中に生まれた意見の違いを、さらに大きくしていくことだった。
「いずれ、家の者たちも選ばざるを得なくなるだろう」
誰も、その言葉を否定しなかった。
主人公が知らないところで、後継者をめぐる争いは静かに動き始めていた。
そして、それはまだ始まりにすぎなかった。




