魔法だけがすべてではない
弟と妹の能力鑑定が行われてから、数か月が過ぎた。
主人公が十一歳になった年、貴族社会では彼の家の後継者について、さまざまな意見が交わされるようになっていた。
弟と妹は、どちらも名門貴族にふさわしい優れた魔法の才能を持っている。
一方、長男である主人公は、八つすべての属性に適性がありながら、使用できる魔法は初級まで。
十歳の再鑑定によって、その上限が変わらないことも明らかになっていた。
これまで陰で話されていた問題は、少しずつ表に出始めていた。
そして、その日は突然訪れた。
***
その日、主人公の家族は、親交のある貴族が主催する集まりに招かれていた。
会場には多くの貴族が集まり、華やかな装飾が施された広間では、あちこちで談笑する声が聞こえていた。
主人公は父親と母親のそばに立ち、貴族たちへの挨拶を続けていた。
以前からこうした場には何度も参加している。
礼儀作法も身につけており、年齢の割には落ち着いた振る舞いができていた。
「ご長男も、随分と立派になられましたな」
一人の貴族が主人公に目を向けた。
「ありがとうございます」
主人公は丁寧に頭を下げた。
しかし、その貴族の表情には、どこか値踏みするような色があった。
「ところで、君は八属性すべてに適性があるそうだね。実に珍しいことだ」
「はい。火、水、雷、土、風、無、光、闇の八属性です」
「それは素晴らしい。さぞかし高い階級の魔法も使えるのだろう?」
その問いに、主人公は少しだけ表情を曇らせた。
「いえ、僕が使えるのは初級魔法までです」
「ほう。そうだったな」
貴族はわざとらしくうなずいた。
「属性が八つもあるというのに、初級までとは。なんとも惜しい話だ」
主人公は返事をしなかった。
すると、隣にいた別の貴族が口を挟んだ。
「弟君と妹君は、随分と優れた才能をお持ちだそうですね。火と雷の上位魔法に適性がある弟君。それに風と光まで扱える妹君。将来が楽しみですな」
「ありがとうございます」
「君も兄として、二人をしっかり支えてあげなければならないね」
その言葉だけなら、何もおかしくはなかった。
しかし、続けられた言葉は違った。
「何しろ、将来は二人のどちらかが家を背負うことになるかもしれないのだから」
主人公は一瞬、言葉を失った。
周囲にいた貴族たちは、その様子を静かに見ていた。
「もちろん、君が悪いわけではない。生まれ持った才能というものは、どうにもならない部分もあるからね」
その貴族は穏やかな笑顔を浮かべていた。
しかし、その言葉には明らかな侮蔑が含まれていた。
主人公は拳を握りしめた。
悔しかった。
何も言い返せない自分が情けなかった。
魔法の階級が初級までしかないことは事実であり、それを否定することはできない。
それでも、自分がこれまで努力してきたことまで、簡単に否定されたような気がした。
「失礼します」
主人公は礼儀を崩さないように頭を下げ、その場を離れた。
少し離れた場所から、父親がこちらを見ていた。
父親は貴族たちの会話を聞いていたが、すぐに主人公を追いかけることはしなかった。
息子が自分の気持ちを整理する時間を与えようと考えたからだった。
***
会場の外にある庭園。
主人公は人の少ない場所まで歩き、静かに息を吐いた。
「……分かっているよ」
誰に向けたわけでもなく、そうつぶやいた。
自分の魔法が初級までしか使えないことは分かっている。
どれだけ練習しても、それ以上には届かないことも知っている。
それでも、他人から直接言われると、やはり心に響くものがあった。
これまで努力してきた時間。
何度も失敗し、それでも繰り返してきた練習。
八つの属性を一つずつ覚え、制御を磨き続けた日々。
そのすべてを、周囲は初級という一言で片づけてしまう。
主人公は庭園に置かれたベンチに腰を下ろした。
「僕は、これからどうすればいいんだろう……」
今までは、ひたすら魔法の練習をしてきた。
いつか中級魔法が使えるようになると信じていた。
しかし、その可能性は十歳の鑑定によって閉ざされた。
それならば、これから何を目標にすればいいのだろう。
後継者としての立場も、以前より不安定になっている。
弟と妹には優れた才能がある。
家の将来を考えれば、自分より二人のほうが向いていると考える者がいることも理解できる。
だが、自分には何もないのだろうか。
そんな考えが、頭の中を巡っていた。
***
しばらくして、父親が庭園に姿を現した。
「ここにいたのか」
「お父様……」
父親は息子の隣に座った。
「先ほどのことは聞いていた。嫌な思いをさせてしまったな」
「大丈夫だよ」
主人公はそう答えたが、父親には無理をしていることが分かっていた。
「無理に大丈夫だと言わなくてもいい」
その言葉に、主人公は少しだけ視線を落とした。
「僕は、やっぱり後継者には向いていないのかな」
父親はすぐには答えなかった。
「どうしてそう思う?」
「弟も妹も、僕よりずっと優れた魔法の才能を持っている。僕は初級魔法しか使えない。周りの人たちがそう考えるのも、仕方がないのかもしれない」
「確かに、弟と妹には素晴らしい才能がある。それは間違いない」
父親は静かに続けた。
「だが、魔法の才能だけで人のすべてが決まるわけではない」
「でも、この世界では魔法がとても大切だよね」
「ああ。魔法は生活にも、仕事にも、戦いにも必要なものだ。魔法の力が重要であることは否定しない」
父親は庭園の木々を眺めた。
「しかし、家を治める者に必要なのは魔法の力だけではない。人をまとめる力、判断する力、知識、責任感。そういったものも必要になる」
主人公は父親の言葉を聞いていた。
「お前はこれまで、魔法の練習に多くの時間を使ってきた。努力を続けてきたことも知っている。だが、これからは魔法以外のことにも目を向けてみてはどうだ?」
「魔法以外のこと……」
「ああ。剣術でもいい。歴史や政治、経済の勉強でもいい。自分が何に向いているのかを探してみるといい」
主人公は少し考え込んだ。
今まで、魔法以外の分野について深く考えたことはなかった。
家庭教師から世界の歴史や貴族の礼儀、国の仕組みなどを教わってはいたが、あくまで基礎的な知識として学んでいただけだった。
「お父様。僕は魔法以外のことも勉強してみたい」
主人公は顔を上げた。
「自分に何ができるのか、探してみたいんだ」
父親は息子の目を見て、ゆっくりとうなずいた。
「そうか。それなら、私も協力しよう」
「ありがとう、お父様」
「焦る必要はない。まだ十一歳だ。これから学べることはいくらでもある」
その言葉を聞き、主人公の心は少し軽くなった。
***
屋敷に戻った後、主人公は自分の部屋で考えを整理していた。
机の上には、これまで使っていた魔法の教本と、授業で使った地図や歴史の本が並んでいる。
主人公は新しい紙を取り出し、これから学んでみたいことを書き始めた。
まずは、これまで学んできた魔法。
階級を上げることはできなくても、初級魔法の精度をさらに高めることはできる。
八つの属性を使い分けられるという特徴もある。
異なる属性の魔法を組み合わせたり、状況に合わせて使い分けたりすれば、自分にしかできない使い方が見つかるかもしれない。
次に、剣術。
この世界では魔法が非常に強力であり、優れた魔法使いは高く評価される。
しかし、剣を扱える者も存在する。
魔法が使えないわけではないが、剣術を専門として鍛える者は決して多くない。
自分の身を守るためにも、剣術を学ぶ意味はあるかもしれない。
さらに、歴史や政治、経済についても興味が湧いていた。
ノルゼア大陸には六つの種族が暮らし、それぞれの国が存在する。
人間族だけでなく、エルフ族、ドワーフ族、人魚族、龍人族、獣人族。
種族によって文化も考え方も異なり、国同士の関係も複雑だ。
その中で国や領地を治める者には、魔法の力とは別の知識も必要になる。
「知らないことが、まだたくさんあるんだな……」
主人公は本を一冊手に取った。
それは、ノルゼア大陸の歴史について書かれた本だった。
ページをめくると、さまざまな国の成り立ちや、種族同士の交流について記されていた。
今まで何となく読んでいた内容も、目的を持って読むと違って見える。
魔法の練習だけをしていた頃には気づかなかった面白さが、そこにはあった。
***
翌日から、主人公の生活に少し変化が生まれた。
午前中はこれまでどおり魔法の練習を続ける。
午後は家庭教師のもとで、歴史や地理、政治の基礎を学ぶ時間を増やした。
さらに父親の紹介で、剣術の基礎を教えてくれる人物にも会うことになった。
もちろん、すぐに剣を自在に扱えるようになるわけではない。
体力も、剣を振るうための筋力も、これから鍛えていく必要がある。
最初は木剣を持つだけでも、思っていた以上に腕に負担がかかった。
「思ったより難しいな……」
主人公がつぶやくと、指導役の剣士は笑った。
「魔法と同じですよ。最初から上手くできる者などいません。まずは基本を繰り返すことです」
主人公はうなずき、木剣を構え直した。
魔法のように、努力すれば必ず階級が上がるというものではない。
それでも、剣術には剣術の道がある。
今までとは違う種類の努力を、主人公は始めようとしていた。
***
ある日の午後。
主人公が庭で木剣を振っていると、弟と妹がこちらへやってきた。
「お兄ちゃん、何してるの?」
「剣の練習だよ」
「魔法はやらないの?」
「魔法もやるよ。でも、ほかのことも勉強してみようと思ったんだ」
弟は主人公の持つ木剣に興味を示した。
「僕もやってみたい!」
妹もすぐに手を挙げる。
「わたしも!」
「それなら、少しだけ一緒にやってみようか」
主人公は二人に木剣の持ち方を教えた。
まだ小さな二人は、木剣を振るうだけでも楽しそうにしていた。
「お兄ちゃん、見て!」
弟が小さく剣を振る。
「上手だね。でも、周りに気をつけてね」
妹も真似をしながら、嬉しそうに笑った。
主人公は二人を見つめた。
この二人には、自分にはない魔法の才能がある。
けれど、それを羨ましいと思う気持ちと、二人の成長を喜ぶ気持ちは、両方あってもいいのかもしれない。
自分は自分の道を探していけばいい。
そう思えるようになっていた。
***
夕食の時間。
家族がそろった食卓で、父親が主人公に尋ねた。
「新しい勉強はどうだ?」
「まだ分からないことばかりだけど、面白いよ。歴史も政治も、今まで知らなかったことがたくさんあるんだ」
「それはよかった」
母親も嬉しそうに微笑んだ。
「剣術の練習も始めたのでしょう? 無理をしすぎないようにね」
「うん。まだ全然上手くできないけど、少しずつ頑張るよ」
弟が食事の手を止めて尋ねた。
「お兄ちゃん、強くなるの?」
主人公は少し考えてから答えた。
「そうだね。強くなれるように頑張るよ」
「僕も強くなる!」
妹も負けじと声を上げた。
「わたしも!」
その姿を見て、家族の間に笑い声が広がった。
父親と母親は、そんな子どもたちを優しく見守っていた。
主人公にとって、家族と過ごす時間は今も変わらず大切なものだった。
***
その夜。
主人公は自室の机に向かい、もう一度紙を広げた。
そこには、これから学びたいことがいくつも書かれている。
魔法の応用。
剣術。
歴史。
政治。
経済。
どれもまだ、始めたばかりだ。
自分に何が向いているのかも分からない。
いつか弟や妹のように、周囲から才能を認められる日が来るのかも分からない。
それでも、もう魔法の階級だけに自分の価値を求める必要はないのだと思えた。
「魔法だけが、すべてじゃない……」
主人公は窓の外を見つめた。
夜空には、いくつもの星が輝いている。
自分の未来は、まだ決まっていない。
後継者として家を継ぐのか、それとも別の道を歩むことになるのか。
その答えも、今はまだ分からない。
だが、一つだけ決めたことがあった。
どんな立場になったとしても、自分にできることを探し続けよう。
初級魔法しか使えないという事実は変わらない。
けれど、それだけで自分の人生まで決まるわけではない。
主人公は机の上の本を開き、再び勉強を始めた。
それは、これまでの魔法の練習とは少し違う、新しい一歩だった。




