9.女学校の朝
「ふんふんふん」
椿は鏡の前で、鼻歌を歌いながら矢絣模様の着物に袖を通した。
次に海老茶色の袴に足を通し、しゅっとひもを結ぶ。
艶やかな黒髪を丹念に梳かして、袴と同じ色の大きなリボンを結ぶと、鏡の中には絵に描いたような大正時代の美少女が映っていた。
(うわあ、やっぱり大正時代の女学生って素敵。まるでハイカラさんみたい!)
思わず頬がゆるみ、鏡に映る自分へと夢中で見惚れる。
いよいよ今日から椿は女学校へと復帰することとなる。
楽しみなような、不安なような……。
(あ……そういえば)
ふと掌で前髪を上げると、額にあったはずの傷跡は綺麗さっぱり消え去っていた。
(やっぱり昨日のあれは恵お姉様で、お姉様は呪術を使えたんだわ)
でもどうして呪術を使えることを黙っていたのだろう。
(まあ、呪術が使えたところで、前妻の子である恵お姉様の扱いが良くなることはないだろうし、話したって無駄だから話さなかったのかもしれないわね)
椿は何となくモヤモヤとしながらも、そう自分を納得させた。
と、ふと時計を見ると、もうすぐ登校時刻が迫っている。
「いけない、急がなきゃ」
椿ははたと気づくと、ぱたぱたと足音を立てて廊下に出た。
目指すは恵の部屋だ。
「恵お姉様、恵お姉様!」
椿は恵の部屋の戸を勢いよく開けた。
よく考えれば、女学校への道も、どの教室に入ればいいかも、どんな友人がいるのかも何ひとつ覚えていない。いや、そもそも知らないのだ。
だが恵も黒百合家の令嬢。同じ女学校に通っているのなら、案内してもらえばいい。そう思ったのだけれど――。
「……お姉様?」
椿は自分の部屋の三分の一ほどしかない、簡素な恵の部屋を開けた。
だが中には、整えられた寝具と小さな机があるだけで人の気配はない。
「恵お姉様、どこにいるの?」
不安になり屋敷の中を駆け回ると、ようやく椿は玄関に立つ恵の姿を見つけた。
玄関先の恵は粗末な靴を履き、外へ出ようとしていたところだった。
白く細いその横顔は、どこか儚げで神聖に見え、椿は思わず足を止めた。
(お姉様……なんて綺麗なの)
椿は目が大きくて彫りが深く西洋人形のような美少女だ。
だがこうして見ると、恵もタイプこそ違うものの目鼻立ちの整った純和風の美人に見える。
椿は自分の編み上げブーツを手に取ると、恵に声をかけた。
「お姉様、探したのよ。どうして先に行ってしまうの?」
椿の問いに、恵は瞳に困惑の色を滲ませる。
「どうしてって……私みたいな無能と一緒にいたら、椿の評判まで下がってしまうわ」
小さく肩を震わせ下を向く恵。
「無能」――その言葉を聞いた瞬間、椿の胸がちくりとナイフで刺されたように痛くなった。
「いいえ、恵お姉様は無能なんかじゃないわ!」
椿の声が思わず強くなった。自分でも驚くほどに。
恵は目を丸くして椿を見返す。
(だってお姉様は呪術が使えるじゃない。何でそんなことを言うの?)
そう言いかけたが、本人が内緒にしているのだし、それ以上詮索することはやめた。
椿は一歩踏み出し、彼女の手をぎゅっと握りしめた。
「それより私、記憶喪失で学校への道も覚えていないの。だから……恵お姉様、案内してくださる?」
握る指先に自然と力がこもる。
恵は困惑しがらも小さくうなずき、その手を握り返した。
「え、ええ」
道が分からないと言われては、放っておくわけにはいかない。
二人はそのまま手をつなぎ、屋敷の門を後にした。
靴音を軽快に鳴らして石畳を歩くたびに袴の裾がさらりと揺れる。
行き交う人々の視線が美しい二人の少女たちへと注がれているのが椿にも分かった。
(ああ……なんて素晴らしいのかしら!)
椿は恵と並んで歩けることが何よりも誇らしく思えたのだった。
煌月女学園は、外から見ればただの女学校である。
だが実際は、代々呪術師の家系に生まれた子女を教育するための、由緒正しい学び舎だった。
白漆喰の塀に囲まれた広大な敷地。
重厚な鉄製の門扉には外界と内側を隔てる結界の紋が刻まれており、正門から伸びる石畳の道には、魔よけの香が微かに漂っている。
この学園の設立者は煌夜一臣。
いずれ恵の夫となる予定の煌夜暁臣の祖父だ。
そして現在はその息子の嫁――暁臣の母にあたる敦子夫人が学長を務めている。
椿と恵は、朝の爽やかな光を浴びながらそんな煌月女学園の門へと手を握りつつ向かっていた。
つないだ手から伝わる小さなぬくもりに椿が頬をほころばせる。
だが正門の影が目前に迫ったその瞬間、恵はまるで何かに怯えるように、さっと椿の手を放した。
「どうしたの?」
椿が問いかけた瞬間、背後から甲高い声が響いてきた。
「椿様~! ご無事ですの? お怪我をなされたと伺いましたけれど!」
「どうぞ荷物はわたくしたちにお任せくださいまし!」
振り返ると、ちょうど紫色の袴を身にまとった二人の女学生が駆け寄ってくるところだった。
(……誰?)




