46.絶体絶命
「さあ、今こそ二人で協力して、鬼を呼び出そう!」
そう言って右手を差し出す利一。
ぎらつく瞳が、薄闇に恐ろしく浮き上がって見える。
椿は顔をしかめた。
「いいえ、無理よ。鬼の力は人間には制御できない。呼び出したところで鬼に喰われて死ぬのがせいぜいだわ」
夜気が揺れ、利一はぎりりと歯を食いしばった。
「そんなの、やってみなければ分からないだろう!」
激高する利一に、椿は黙って首を横に振った。
「いいえ、分かるわ」
だって自分は、未来で何が起こるのか、すべての結末を知っているのだから。
椿は強い視線で利一を睨んだ。
だが利一は口元には薄い笑いを浮かべた。
「まあいい。邪魔をするのなら、お前も葬るまでだ。元々そのつもりだったしな」
その言葉を聞き、椿は眉を寄せた。
「そのつもりだった?」
その時、椿が思い出したのは、被害者の場所を赤い線でつないだ際、一か所だけ点が外れていたことだった。
薫子が襲われた場所だ。
初めは単なる犯人のミスかと思ったが――よく考えると、薫子は最近になり椿の真似をして髪を切っていた。
背も椿と同じく長身だし、身に着けている小物も椿の真似をし、リボンや靴、鞄に至るまですべて同じだった。
椿はそっと目を伏せた。
「そう、やはり薫子さんは私と間違われて襲われたのね」
利一は肩をすくめた。
「ああ。記憶を失ったお前は邪魔でしかなかったから襲おうとしたのだが、後姿では見分けがつかなかったからな」
「何てこと」
つまり、薫子が襲われたのはやはり自分のせいだったのだ。
椿はぎりりと奥歯を噛みしめる。
その拳は震え、胸元で固く握られている。
「若い女や優秀な呪術師の血には特別な力がある。この術式を完成させるにはお前の血はもってこいだ」
利一は手に持っていた巨大な黒い爪を掲げた。
血を啜る獣の牙のような黒い爪は、見る見るうちに伸びて黒いひと振りの刀となった。
光を吸い込む漆黒が、見る者の心を犯していく。
「見ていろ、今すぐ鬼の養分にしてやろう」
瞬間、黒い爪の周りに紫色に光る禍々しい気が集まって来る。
空気が弾けるように震える。
――きぃん。
耳鳴りがした。
空間そのものが悲鳴を上げるかのようだ。
(どんな術を使う気なの!?)
椿が身構えていると、急に視界がぐらついた。
足元が崩れ落ちるような錯覚――。
(――えっ)
腹部に鋭い痛み。
時間が一瞬止まったかのように、何の予兆もなく。
気が付くと、椿は腹部をぱっくりと斬られ、大量に血が噴き出していた。
温かい液体がコートを濡らし、鉄錆の匂いが鼻を刺す。
「くっ……」
椿は腹を抑え、その場に倒れこんだ。
(まさか……こんなにも強いだなんて)
地面に血がじわりとひろがっていく。
椿は霞む視界の中、唇を噛んだ。
目の前に、にやりと口をゆがめて笑う利一の顔が映る。
その顔の背後に、黒い角の生えた影が重なった。
「ふふふ……この力、素晴らしい。もっとこの娘の血を鬼の爪に吸わせて、鬼の力を取り戻そう……」
(まさか利一……兄さん……鬼に魂まで乗っ取られて……)
椿は必死でその場から逃れようとした。
だが、痛みと出血がひどく、体が動かない。手足の感覚が遠ざかる。
そうこうしているうちに、どんどん意識が遠くなっていく。
視界の端がぼやけて、闇が滲んでくる。
「死ね……!」
地面に横たわる椿へと、無情にも振り下ろされる鬼の爪。
椿が死を覚悟し、目をつぶった。その時――。
――カキン。
金属同士がこすれ合う鈍い音がした。
暗闇に白い火花が散る。
目を開けると、椿の目の前には暁臣が立っていた。
「暁臣……さん……」
椿は目を見開いた。
銀の刀身は月光を反射して輝き、降り下ろされた黒爪を受け止めている。
「椿!」
「椿様っ!」
そこへ駆け寄ってきたのは、ミケと恵だ。
「お姉様……特呪に連れていかれたのでは」
椿が尋ねると、恵は首を横に振った。
「ええ……でも証拠も足りないし、誤解が解けてすぐに解放されたの」
「そうだったの」
「それより早く、手当てをするにゃ」
言うなり、ミケは空に浮かぶ満月を仰ぎ見た。
ミケの瞳が赤く光ったかと思うと、その体は見る見るうちに膨れ上がる。
毛皮が逆立ち、骨が軋む音がする。やがて猫の姿を超え、トラかと思うほどの大きさになる。
椿はミケに背負われ、校舎の横まで運ばれた。
夜風が頬を冷やす。遠くでざわざわと木々が鳴る。
「とりあえず、敦子様に連絡して病院を手配してもらうニャ」
そう言うミケに、恵は首を横に振った。
「いえ、その必要はありません」
恵はそう言うと、椿の傷口に手を当てた。
白く温かい光が腹部を包む。
まるで春の陽光が雪を融かすように、痛みが薄れていく。
気が付くと椿の傷は綺麗さっぱり治っていた。
(そういえば、黒百合恵の能力は『治癒』だったわね)
「ありがとう、おかげで助かったわ」
椿が恵に礼を言うと、恵は少し驚いたような顔をした。
その頬がわずかに紅潮する。
「いえ……それにしても、椿は私が呪術を使えること、知っていたの? 家族にはこの力のことを隠していたし、驚くかなと思っていたけど」
「そ、それは――ほら、私の額の傷! あの傷、一生治らないかもって言われてたけど、ある日突然消えたでしょ? あの時、お姉様が何かしたような気がしたのよ」
すると恵は口に少し笑みを作り、下を向いた。
その黒髪が頬にかかり、夜風に揺れる。
「そう、あの時、椿に能力を使ったのを見られていたのね」
「そ、そうなの」
椿は苦笑いを浮かべた。
まさか未来から来たから知っているだなんて、言えやしなかった。




