42.重要参考人
『鬼爪神社 崩鬼録』はこの地にできた鬼爪神社と、そこに祀られている鬼について記された書物だ。
上質な和紙に墨で記された古びた文字はところどころ掠れており、 紙面をめくる指先に、湿った空気がまとわりつく。
この地に祀られている鬼は、名を崩鬼と言い、その身は十尺――およそ三メートルほどあり、鋭い爪と牙で人々を襲い食らっていたのだという。
ページに描かれた墨の挿絵は、半ば人形を残しながらも怪物のような姿をしており、黒く大きな爪は血を吸ったように濃く染まっていた。
「まるでヒグマね」
上巻の内容はそんな崩鬼が平安時代に起こした数々の奇怪な事件をいくつもまとめたものだった。
夜な夜な人をさらい、村が丸ごと消え、山に血の雨が降ったという記録さえある。
ぞくり、と椿の背筋を冷たいものが走る。
この地で暴れていたという崩鬼の姿を想像しただけで息が詰まりそうだ。
窓の外では庭の木々が風にざわめき、葉が擦れる微かな音さえ不気味に聞こえる。
そして上巻の最後に、当時この地で無名の呪術師だった廻という女術師が登場する。
恐らくこの術師が崩鬼を倒すか封印するかするのだろう。
そう思っていた椿だったが、彼女が鬼を倒す前に上巻が終わってしまったので、今度は下巻に手を伸ばした。
「……あれ?」
と、椿は思わずぱちくりと目を瞬かせた。
掌で紙面をなぞり、再び上巻に戻る。だが――。
(……おかしい)
椿は眉に皺を寄せた。
下巻では、いきなり時代が江戸時代に飛び、内容も神社で行われた祭りや日々の暮らし、行事の記録などに切り替わっていた。
まるで物語の核心だけをこそぎ落としたかのように、唐突に。
どうやって廻が鬼を倒したのか、その後鬼がどうなったのかといった重要な内容がすっぽりと抜けているのだ。
椿は注意深く上巻を調べた。
ページの隙間を持ち上げ、綴じ目を確認する。
しかし、誰かに破られたり抜き取られたりした跡は一切ない。
紙と紙の間は古いまま密着し、繋ぎ目も綺麗だ。それは下巻も同様である。
そこで椿ははたととある可能性に思い至った。
(もしかして――この本、上下巻ではなく上中下の三巻構成だったの?)
だとしたら、なぜ中巻だけがないのだろう。
誰かが持ち去った?
でも一体誰が、何のために中巻を持ち去ったのだろう。
椿と同じように、通り魔事件を捜査するため?
それともまさか――その人物こそが今回の事件の犯人なのだろうか。
黒百合家に出入りでき、本を持ち出せる人物となると限られた人物しかいないはずだが――。
(お父様、お母様……それともまさか――恵お姉様?)
胸の奥がひどくざわつく。
そんなわけない。
恵はずっと自分の憧れの存在だった。
美しく純粋な心を持つ、天女のような存在のはず。
そう思いつつも、嫌な想像が頭から離れない。
静かな部屋に、椿の鼓動だけがやけに大きく響く。
椿が崩鬼録を手に考えこんでいると、不意に部屋の戸がノックされた。
コンコン。
張りつめた空気が揺れる。
「はい?」
椿がドアを開けると、そこには神妙な顔をした暁臣が立っていた。
いつも冷静沈着な彼の眉が僅かに寄っている。
「どうしたの? 暁臣さん」
その問いかけに、暁臣は息を整えてから口を開いた。
「慌てないで聞いてくれ。君のお姉さん……恵さんが重要参考人として特呪に連れていかれた」
「何ですって!?」
喉の奥がカラカラに乾く。頭の中が真っ白になった。
まさか――姉の恵が重要参考人に!?
「い、いったいどうして」
椿が唇を震わせながらやっとのことで言葉を吐き出すと、暁臣は椿の肩をそっと抱き寄せた。
「それが、薫子さんの病室にこっそり忍び込んだところを見つかったらしい」
「えっ?」
どうして恵が薫子の病室に?
椿の心の中に疑問符が大量に浮かぶ。
「でもそれは……鉄太さんが病院に入院してるからついでに見舞っただけではないの? だって、同じ学校の生徒だもの」
「それが、鉄太くんが入院している病院と薫子さんが入院している病院は別の病院なんだ」
「そうなの?」
だとしたらわざわざ恵が薫子に会いに行った理由は何だろうか。
考えられるとしたら――。
(ひょっとしたら恵お姉様も一人でこの事件を調査しているの……?)
そうだ。きっとそうに違いない。
だけど――。
どうしてこんなに嫌な予感がするのだろうか。
椿はぎゅっと自分の拳を握り締めた。




