39.傷ついてほしくない
橙色に揺れる部屋の灯りが、暁臣の整った輪郭に影を落とす。
「えと……」
椿は一瞬言葉に詰まり、下を向いた。
胸がきゅっと縮むように痛む。
「あ、あの……少し、調べたいことがあって……」
椿は本を握りしめながら必死で笑みを作った。
暁臣は無言で椿のそばまで歩み寄ってくると、そっと彼女の肩に手を置いた。
「昼間、病院で会って驚いたよ。被害者の薫子さんとは同じ女学校の生徒だということは知っていたけれど、まさか君の親しい友人だとは」
「え、ええ」
「薫子さんのことは残念だし、鬼のことが気になるのは分かる。だがこの件では君は無茶はしないでくれ。この件に関しては僕たち特呪で調べているのだから」
低く抑えた声には、深い心配の色がにじんでいる。
椿は首を横に振った。
「無茶なんてしてないわ。ただ、放っておけないわ。あの鬼は……ひょっとしたら私のせいかもしれないのだもの」
震える声でうつむく椿に、暁臣は尋ねる。
「どういうことだ? 僕に話してくれないか」
その言葉に、椿はぐっと息を飲んだ。
(どうしよう……)
隠しておくこともできるかもしれない。
でも、そうすれば誰かがまた傷つくかもしれない。
そう思い、椿はぽつりぽつりと話し始めた。
元の歴史では、椿が鬼を呼び出し、邪魔者を次々と殺していたこと。
自分が歴史を変えてしまったばかりに、他の者が鬼を呼び出し人々を襲っている可能性があること――。
言葉を重ねるごとに、暁臣の視線が険しくなる。
だが暁臣は言葉を遮らず、ただ椿が話しやすいようにと、自然にそばにいてくれた。
「だから……この事件、きっと私にも関わりがあると思うの」
言い終えた瞬間、椿は自分の指先が強張っていることに気付いた。
暁臣はそんな椿の手に、そっと包み込むように触れた。
椿ははっと顔を上げる。
「君のせいじゃない。そんなふうに思わないでくれ」
暁臣の手が、そっと椿の頬に触れた。
その指先は驚くほど優しくて、椿は胸がくすぐったくなって身をよじった。
「暁臣さ――」
「椿さん、どうか一人で背負おうとしないでほしい。この件に関しては、俺も、特呪のみんなも必死で捜査に当たっている。一人じゃない。だから……無茶をしないでくれ」
「……はい」
椿が視線を伏せると、暁臣はその肩を少し強く握った。
「鬼というのは、他の妖魔とは全く違う存在だ。魔物というより、災害に近い」
椿はその言葉に、大きく目を見開いて顔を上げた。
暁臣の瞳が、真剣な色で椿を見つめている。
「だから……君はこの件には手を出さないでほしい」
「でも――」
「君に傷ついてほしくないんだ。君のことが……大切だから」
そう言うと、暁臣は椿をそっと抱きしめた。
体が一瞬くすぐったくなるような、けれど甘く温かい気持ちになる。
「暁臣、さん……」
暁臣は迷うように息を吸い込み、少しだけ視線を外した。
「……こんなふうに言うのは、勝手だと分かっている。でも、君が危険なものに近づくのは耐えられない」
椿の頬がじんわり熱くなる。
まさか暁臣がこんなにも自分のことを心配してくれているだなんて。
「……分かったわ」
椿が返事をすると、暁臣はほっと頬を緩ませ、椿を抱きしめた。
「安心してくれ。鬼と……鬼の力を操る犯人は、俺が必ず捕まえる」
椿は黙って、暁臣に抱きしめられるがままでいた。
暁臣のぬくもりに、暖かさに感謝しつつも、もやもやした気持ちは晴れなかった。
(暁臣さんに任せても良いのかしら……本当に? 本当に、私は何もしなくてもいいよ?)
ことの原因は、自分にあるのかもしれないのに――。
***
椿は自室に戻ると、長く深い息を吐いた。
(暁臣さんには無茶なことはするなって言われたけど……)
薫子が襲われたのは自分のせいかもしれない。
そう思うたび胸の奥がざわつき、椿は落ち着いて座っていることさえできなくなった。
黙って事の成り行きを見ているなんて、そんなこと到底できるはずもない。
何か事件の手がかりを探さなくては。
(そういえば、そもそも元の歴史で椿の起こした鬼事件ってどんなものだったかしら)
椿はそっと瞼を閉じ、伝記に書かれていた鬼事件について詳しく思い出そうとした。
何度も何度も恵の伝記を読んだのだから思い出せるはず。
そう思ったのだが、何度思い返しても、どの本も記述の焦点は悲劇の少女である恵。
恵が暁臣に見初められ、そして呪術の発展に尽くしたという記述が中心だった。
それに比べ、肝心の椿と鬼事件についてはただの噂程度にしか触れられていなかった。
(それでも……何か……何か思い出せることはないかしら)
頭の中に伝記のページを一枚ずつ思い描き、指先で確かめるように捲っていく。
恵に憧れて何度も何度も読み返した本たちだ。
必死に記憶を探れば、どこかにヒントがあるはず――。
と、そこで椿ははたと思い当たった。
(……そうだわ。確か、伝記の中では恵お姉様が図書館で新聞記事や鬼に関する本を調べていたはずだわ。図書館に行けば、何かヒントがあるかも)
その場に差し込んだ小さな光の筋のように、記憶が繋がる。
椿は勢いよく顔を上げた。
翌日の放課後、椿は迷わず図書館へ向かうことに決めた。




