38.鬼の痕跡
「特呪――」
「ということはやはり妖魔が関係して……?」
薫子の両親が震える声で特呪の二人に尋ねる。
「教えてください、娘は――薫子は、どうしてこんなことに? 犯人は何なのですか?」
眼鏡の男は彼女に視線を向けた。
「現時点では判断できません。しかし――」
男は薫子の包帯に覆われた体をちらりと見やり、静かに頷いた。
「この傷は、尋常ではない。 恐らく犯人は獣でも人でもない存在だろう」
病室にやって来た捜査官の低く重い声に、椿の胸はきゅっと締め付けられた。
白いカーテン越しに差し込む陽光は淡く、消毒液の匂いが鼻の奥を刺激する。
不安を押し殺したいのに、椿の心の奥からは悪い予感がどうしても離れない。
「最近、帝都で連続して起こっている異常事件にはいずれも似た痕跡が残っており、こちらとしても重大な関心を寄せています」
暁臣が真剣な表情で、茂と薫子の両親に淡々と説明していく。
その横顔はどこか冷たく、まるで椿の知らない人のようだった。
すると茂の父親と思しき男が、恐る恐る声を発した。
「あの……例の噂は本当なのでしょうか」
「例の噂というと?」
「この事件には鬼が関わっているという噂です」
椿は思わず息を飲み、暁臣の顔を見た。
すると暁臣の隣に立つ男が、重々しい声で答える。
「これは決して口外しないでいただきたいのですが――場合によっては特級妖魔、もしくは鬼種の再出現の可能性すらあるとふんでいます」
捜査官の言葉に、薫子の母親が小さく悲鳴を漏らす。
思わず息を呑む音が部屋に響いた。
(鬼種……って、鬼のことよね)
椿の胸の奥がひやりと冷たくなる。
暁臣は蒼い顔をしたままの梅子に問いかける。
「梅子さん、あなたは、薫子さんが襲われた際に一緒にいたとのことですが」
「え、ええ」
「犯人の姿は見ましたか?」
「いえ、後ろから襲われて……すぐに気を失ったので」
梅子は震える指を握りしめて思い出すように話す。
次にもう一人の捜査官も梅子に問いかける。
「そうですか。では、薫子さんが誰かに恨みを買っていた、ということはありませんか?」
「いえ、心当たりはないです」
捜査官の二人が梅子に質問をするの聞きながら、 椿はぼんやりと考える。
(もし本当に鬼が現れたのだとしたら、やっぱりその原因は自分にあるのかもしれない)
喉がひりつく。心臓の鼓動が痛いほどに早くなる。
(だとしたら、この件は私が何とかしないと)
椿は震える指で制服の胸をぎゅっと握りしめた。
***
「おかえりなさいニャ、椿様」
煌夜家の玄関に足を踏み入れた途端、フワフワの毛並みを揺らし、ミケが駆け寄ってくる。
「え、ええ。ただいま、ミケ」
いつもならばその愛らしさに少しだけ心が和らぐはずなのに、胸の奥の黒いモヤは晴れないままだ。
「椿様、どうしたニャ? 元気ないニャ。それに何か、血の匂いがするような……」
ミケがフンフンと鼻を動かした瞬間、その全身の毛がバッと逆立った。
(さすが猫の妖魔。においに敏感なのね)
椿は苦笑いをして答える。
「え、ええ。今日は病院に行ってきたの。その、お友達が怪我をして」
「そうだったのかニャ!」
いつもののんびりしたミケの声が引き締まり、真剣な色が宿る。
「ああ、それで椿様の周りに妖気が纏わりついているニャね」
「えっ、そう?」
「はいニャ。もしかしてその知り合いの人は妖魔にやられたニャか? かなり強い気を感じるニャ」
「え、ええ。そうなの」
椿はそう答えると、下を向いて考えこんだ。
(ほんの少しの間一緒に病室にいただけなのに、ミケにまで力の強さを感じられるだなんて。やはり相手は相当の呪力の持ち主なのね)
どこまで話すべきか迷いながらも、椿は小さく息を吸い、決意を固めた。
「ねえ、ミケ。この家に呪術書や妖魔に関する書物が置かれている場所ってあるかしら。私、お友達を襲った妖魔について調べてみたいのだけれど」
ミケは一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐに表情を引き締めてうなずいた。
「はい、それなら母屋の方に資料室がありますニャ」
(母屋かあ)
椿の肩がわずかに震えた。
そこは敦子や椿が暮らす洋館とは別の、ツネが住む日本家屋のことだ。
いかにも格式高い場所だし、今まで足を踏み入れたこともない。
(途中でツネさんに会ったら気まずいけれど)
しかし今はそんなことを気にしていられない。
椿は顔を上げ、ミケの緑の瞳を正面から見つめる。
「ミケ、案内して」
「はい、かしこまりましたニャ!」
ミケが小さな体で先導し、椿はその後を急いだ。
広い敷地を進むにつれ、夜風が頬を撫で、木々の影が静かに揺れる。
(それにしても、本当に広い。まるでお屋敷の敷地というより、ひとつの町みたい)
母屋に入るのは初めてだ。椿は緊張で指先まで冷たくなった。
使用人に案内を許可され、旅館のような大きな玄関を抜ける。
椿が落ち着かない気持ちで静まり返った家の中を歩くと、長い廊下の奥に、古い木の香りが漂う書斎が広がっていた。
そこは天井まで届く本棚が並び、まるで小さな図書館のようだ。
(ええと、鬼……鬼に関する本は……)
背表紙を読みながら手を伸ばし、椿は気になる本をいくつか取り出した。
「これって借りていっていいのかしら?」
ミケに尋ねようとしたその瞬間、書斎の扉が静かに開く音がした。
ギィ。
「何の本を借りようとしているんだい」
椿が驚いて振り返ると、夕暮れの薄明かりを背に、鋭い眼差しを宿した暁臣がそこに立っていた。
「暁臣さん」
椿は思わず体の後ろに本を隠した。
だがそのうちの一冊が手のひらから零れ落ち、足元に転がる。
暁臣は赤い絨毯を踏みながら、ゆっくりとそれを拾い上げた。
「鬼の本――? こんなもの、どうして椿さんが?」




