36.帝都通り魔事件
久子に挨拶を終えると、椿はいつものように暁臣に車で送ってもらい、女学校へと登校した。
「おはようございます、椿様」
「ごきげんよう」
「椿様、今日もお美しいですわ」
秋の冷たい風の中、女生徒たちは頬を紅潮させ、きらきらとした目で椿を迎えてくれる。
息を弾ませながら次々と寄ってくる女生徒たちに、椿はわずかに肩をすくめる。
その中には、椿の髪型に憧れたのか、薫子や梅子のように髪を短くし、首をすっきりと見せた少女がちらほらといる。
(本当に、『椿』の影響力はすごいわね。女学生たちの間に、こんなにも短かい髪が流行るだなんて)
椿は苦笑いを浮かべつつ、朝の光を受けて艶めく黒髪の少女たちに挨拶を返した。
「みなさん、おはようございます」
そうして微笑みを浮かべながら挨拶を返すと、椿は人波をそっとかき分けた。
(最初は大変だったけれど……)
周囲の注目を一身に浴びてしまうこの状況にも、椿はようやく慣れてきた。
この華やかでどこか夢のような日々も卒業までと決まっている。
卒業し結婚すれば、もう学生として過ごす時間は戻ってこない。
(だからこそ、今をちゃんと楽しんでおきたいわ)
そう胸中でそっと呟いた瞬間だった。
椿が教室に足を踏み入れると、空気がざわりと揺れた。
異様な空気だ。
今にも失神しそうなほど青い顔の者。目に涙を貯める者。眉をひそめ小声でうわさ話をする者。
まるで蜂の巣をつついたように、教室全体が落ち着かない様子であることに気付いた。
「どうしたのかしら?」
椿が眉を寄せながら室内へ進むと、クラスメイト達が駆け寄って来る。
「おはようございます、椿様」
「あ……椿さま! ごきげんよう!」
だがその中に、いつも親衛隊のように椿の両脇を固めている薫子と梅子の姿がない。
(今日は薫子さんと梅子さんはお休みなのかしら?)
疑問に思いつつも周囲を見渡すと、クラスメイト達はさっと顔色を変えて友人と何かを囁き合った。
「今日は何だか教室の様子が変ではなくて? どうなさったの?」
椿がクラスメイトたちに問いかけると、二人の女生徒は急に声を潜め、顔を寄せてきた。
「ああ、それが……今、学校は“あの事件”の話で持ちきりなのですわ!」
「そうそう。ああ、なんておぞましい。あんなことが、わたしたちの身近で起こるなんて!」
「あの事件?」
椿が聞き返すと二人の級友は神妙な顔でうなずいた。
「ええ。最近この帝都で起こっている通り魔事件のことですわ」
二人の説明によると、最近帝都では不可解な通り魔事件が続いているらしい。
しかもそれは人の仕業ではなく――妖魔の仕業ではないかという噂が流れているらしい。
椿は胸の奥がざわつくのを感じた。
「妖魔――ですって?」
椿の言葉に、女生徒たちはうなずき合う。
「ええ。頼子さんのお父様が特呪にいらっしゃるのだけれど――そこで耳にした話によると、あれは妖魔の仕業らしいって!」
「被害者は、まるで獣に引き裂かれたみたいなひっかき傷がついていたそうですわ」
「なんて恐ろしいの!」
「呪術師の中には、鬼の仕業だって言っている方もいるらしいのよ」
「まあ、この汽車が走りガス灯が灯る時代に、鬼だなんて……」
その言葉に、椿の心臓が一つ跳ねた。
「鬼……?」
椿は無意識にぎゅっと指先に力を込め拳をにぎりしめた。
頭に蘇ってきたのは、令和の時代にいた頃に読んだ伝記や歴史書の記述だった。
恵と暁臣への嫉妬に狂った椿が鬼を呼び出し、憎しみのままに人を襲わせ、最後にはその鬼に喰われて死ぬ……。
本来なら椿が鬼を呼び出さない限り、この時代に鬼が現れるはずはない。だが、もし――。
(私が歴史どおりに鬼を呼び出さなかったから、代わりに誰か別の人が鬼を呼んでしまったのなら?)
背筋に冷たいものが走ったその瞬間。
がらり、と教室の戸が勢いよく開いた。
「みなさん、落ち着いて聞いてください」
担任の女教師が慌ただしく教室入って来る。
教室中の視線が一斉に彼女に集まる。
「先生、どうしたんですか?」
クラスメイト達が不思議そうに眉をひそめたり首を傾げていると、女教師は低い声で、だがはっきりとした口調で告げた。
「先ほどご両親から連絡がありましたが、みなさんのクラスメイトである薫子さんが何者かに襲われ意識不明の重体だそうです。そして、その場に居合わせた梅子さんも軽傷を負い、一緒に病院に運ばれたそうです」
教師の言葉に、椿の目の前が真っ暗になる。
(そんな……薫子さんと梅子さんが……どうして!?)
クラスメイトから戸惑いと心配の声が上がる。
「まさか、例の通り魔事件!?」
「まあ、なんて恐ろしい」
「無事に意識が戻ると良いけど……」
クラスが不安に包まれる中、女教師は毅然とした声で言った。
「みなさん、薫子さんの意識が無事に戻るよう、クラスで祈りましょう」
その言葉に、クラスが静まり返り、全員で祈りをささげる。
手を組み目をつぶりながら、椿は考える。
――通り魔。
――例の事件。
椿は歯をぎり、と強く噛む。
――私の代わりに誰かが鬼を呼び出したのだとしたら。
――それはもしかして……私のせい……?




