35.暁臣の叔母
薔薇模様のカーテンから朝日が優しく差しこみ、部屋を薄桃色に染める。
窓の外で小鳥たちが軽やかな鳴き声を奏でる中、椿は布団の上をフミフミする柔らかな肉球の感触で目を覚ました。
「おはようございますニャー。朝ですニャ」
「ううーん」
寝起きでぼんやりとした意識のまま、椿は壁の時計に視線を向けた。
煌夜家から女学校までは近いし、暁臣が来るまで送ってくれるので、まだ起きるには余裕のある時間だ。
「ミケ、まだ寝てても良い時間よ」
そう言って不満げに唇を尖らせる椿に、ミケは小さく首を振る。
「椿様、暁臣様の叔母の久子様がいらしてますニャー」
「ええっ!?」
一気に眠気が吹き飛び、椿はガバッと飛び起きる。
頭の中に、以前見かけたあの上品な和服の女性の姿が浮かんだ。
そういえば、銀座での件は誤解だということは分かったけれど、例の叔母とはまだきちんと挨拶もしていなかった。
婚約者として失礼があってはならない。
椿は慌てて着替えを済ませ、ミケに髪の乱れを整えてもらうと、急ぎ足で応接室へ向かった。
「お待たせしてしまい申し訳ありませんっ!」
勢いよく扉を開くと、紅茶の香りがふわりと漂ってくる。
そこには優雅にカップを持つ敦子、穏やかな表情の暁臣、そして気品に満ちた和服姿の久子が静かに腰掛けていた。
「あらあ、椿ちゃん。そんなに慌てなくても良いのよ」
敦子が微笑むその横で、久子も慌てた顔を見せる。
「そうそう。私も急な訪問だし、思ったより早く着きすぎてしまったから、別に気にしなくても良いのよ」
「い、いえ……大切なお客様ですし……!」
椿はきちんと正座すると、久子に深々と頭を下げた。
「初めまして。暁臣さんの婚約者の椿と申します!」
「はじめまして、叔母の久子よ。まあ、噂に聞いていた通り可愛らしいご令嬢ね」
柔らかに目を細める久子。
椿の頬はじわりと赤く染まる。
「いえ、そんな……」
椿はチラリと顔を上げ、久子の顔を見つめた。
確かに美しい女性ではあるものの、その凛とした顔立ちは確かに年相応の落ち着きを湛えていた。
そして久子の色白の頬や整った鼻筋には、どこか暁臣の面影を感じる。
やはり二人は血縁関係にあるのだ。
敦子は椿に暁臣の隣に座るように促すと、椅子の向きを変え久子に尋ねた。
「それで、雄一さんの容体は大丈夫なの?」
久子はそっとカップを置き、静かにうなずいた。
「ええ、何とか意識は取り戻したわ」
雄一さん?
聞き慣れない名前に首をかしげる椿の耳元で、暁臣がそっと小声で説明する。
「雄一さんは久子叔母さんの息子で、僕と同じく特呪に勤めているんだ」
「そうなんですね」
叔母の息子――ということは暁臣のいとこということだろうか。
椿が驚いていると、暁臣の表情が曇った。
「それが、この土日に来日した久子さんたちご夫婦と一緒に過ごして、明日には久子さんたちはフランスに帰る予定だったのに、昨日、何者かに道で襲われたんだ」
「ええっ!?」
椿の声が驚きのあまり裏返る。
久子は青い顔をして下を向いた。
「幸いにも命に別状はなかったんだけどね。ただ傷が深くて、しばらく入院が必要らしくて、看病のために帰国も延期にしたの」
「そうだったのですね……」
椿が真剣な顔でうなずいていると、久子はさらに顔を強ばらせ、声を潜めた。
「それで、ここからは誰にも話していないので内緒なのだけど、感じたのよ」
「感じた?」
敦子が眉を寄せる。
久子は深刻な表情でうなずいた。
「ええ、妖魔の気配よ」
空気がぴたりと止まる。
久子は敦子の妹であり呪術師の家系の生まれである。呪術師の力こそ持たないが、妖魔の気配を察する素質は十分にある。
そんな彼女が雄一さんを見舞った病室で、強烈な妖力を感じ取ったのだという。
「雄一は穏やかな性格だし、誰かに恨みを買うなんてまず考えられないわ。それに――」
久子は唇を震わせた。
「彼の傷跡が、刃物というより、大きな何かの爪で引き裂かれたみたいで……」
「何か?」
「ええ。獣とも人の物とも違う《《何か》》よ」
思わずリアルに想像してしまい、椿の肝がぞっと冷える。
(獣とも人とも違う何か。それはもしや――)
敦子も声を低くし、眉をひそめた。
「それが妖魔の仕業だとしたら、煌夜家としては放っておけないわね」
暁臣も拳を握りしめ、静かにうなずいた。
「分かりました。その件、特呪でも調査に当たってみましょう」
「ええ、頼むわね」
久子が暁臣に頭を下げる。
敦子は眉間に皺をよせ、あごに手を置いた。
「でも、雄一君が妖魔狙われたのだとしたら――ひょっとしたら煌夜家も狙われる可能性があるわね。例のものも、早く用意しないと」
「例のもの?」
椿が問うと、敦子はふふふと口の端を上げて笑った。
「あなたのための武器よ。呪符だけだと心もとないもの。ちゃんとした武器で自分の身を守る必要があるわ」
手を叩いて嬉しそうに武器の構想を喋りる敦子。
自分のための武器――。
そんな大層なもの、貰ってもいいのだろうか。
椿は慌てて首を横に振った。
「いえ、大丈夫です、そこまでしていただかなくても――」
「駄目よ」
敦子はぴしゃりと遠慮する椿の言葉をはねのける。
「あなたは煌夜家の大事な嫁なのよ。最近帝都も通り魔事件があったりして物騒だし、ちゃんとした武器で自分の身を守る必要があるわ」
「は、はい」
帝都を騒がす謎の通り魔事件。
敦子から通り魔事件の話を聞いた椿は、なぜだか妙な胸騒ぎを感じたのであった。




