34.誤解と嫉妬
「叔母さん?」
きょとんと目を見開く椿。
暁臣は椿の顔を真正面から見つめた。
「そうだよ。普段はフランスで暮らしているんだが、この週末に帰って来たから買い物に付き合うついでに婚約の報告をしたんだ」
「そうなの?」
「ああ。それに確かに遠目には若く見えるかもしれないけど、もう四十代だし、結婚もしてるし、完全に誤解だよ」
「そう……だったの」
膝から力が抜け、椿はその場にへなへなと座り込んだ。
同時に、勘違いして勝手に怒り狂っていた自分が恥ずかしく、頬がかあっと熱くなる。
そんな椿を見下ろしながら、暁臣はふっと笑った。
「嫉妬してくれたのか? 嬉しいな」
ひどく優しい声音で、椿に手を差し伸べてくる。
手を取ると、くすぐったいような、悔しいような気持ちが胸に押し寄せる。
「そっちこそ、鉄太さんに嫉妬していたくせに」
睨むように見上げると、暁臣は目を細め、ゆっくりと笑みを深めた。
「ああ、そうだよ。君を他の人にとられるかと思うと、はらわたが煮えくり返りそうになる」
「はあ!?」
思わず耳まで真っ赤になる。
「な、何言ってるのよ」
椿は耳まで真っ赤になりながらも、暁臣から顔を背けることができなかった。
暁臣は椿の指先をそっと包みこんだ。
「本当に嫉妬したんだよ。自分でも驚くぐらいにね」
穏やかなはずの瞳が、どこか熱を帯びていた。
真っ直ぐに自分だけを見てくるその目に、胸の奥がドクンと強く鳴る。
「とられたくなかった。君の笑顔も、声も……隣に立つ場所も、全部」
「なっ……」
そんなことを真正面から言われたのは初めてで、息が詰まりそうになる。
暁臣はそっと椿の手を引いた。
そして、ぐらりと身体が傾いたかと思うと、気づけば椿は暁臣の胸の中にいた。
「ちょ、ちょっと……!」
「少しだけ……このままでいさせて」
椿の頭に額を寄せるようにして、暁臣がうっすらと息を吐いた。
その吐息が髪を揺らし、背筋をくすぐる。
(ずるい……こんなの、ずるすぎるわ)
胸元に温かい体温が伝わってくる。耳元には少し早い心臓の鼓動が響く。
その一定のリズムは、不思議と安心感を呼び起こした。
「椿さん」
暁臣が低い声で囁く。
「……なに?」
「君のことが好きだよ」
「……っ!」
一瞬、頭が真っ白になった。
熱が頬から一気に噴き上がり、体が硬直する。
暁臣は少し身体を離し、椿の顔をそっと覗き込む。
「君はどうなんだい? 俺のことは……迷惑か?」
「め、迷惑なわけないでしょ……!」
勢いで言ってしまい、椿は慌てて口を押さえた。
すると暁臣が、ほころぶような笑みを浮かべる。
「じゃあ……嫌われてはいないってことだ」
「だ、だから、そういう言い方は……!」
羞恥で涙が出そうになる椿の頬に、暁臣の指先がそっと触れた。
その距離の近さに、椿は息が止まりそうになった。
「椿さんも嫉妬してたと知って、嬉しかった」
「べ、別に嫉妬なんか……」
視線を背ける椿を、暁臣は愛おしそうな目で見つめる。
「君がいない二日間、家の中が静かで仕方なかった。戻ってきてくれて、嬉しい」
そんなふうに言われて、胸がぎゅうっと締めつけられる。
「そうだ、ちょっと待ってて」
椿が返事もできずに固まっていると、暁臣は自分の部屋に戻り、何か小さな箱を持ってきた。
「これって――」
椿には、その紫の箱に見覚えがあった。まさかこれは――。
すると暁臣はすっと腰を落とし、椿の足元にひざまずいて小さな箱を開けた。
箱の中には、小さなダイヤのついた金色の細いリングがあった。
そのリングは、恐らく偶然だろうが、鉄太が恵に買ったリングとちょうど色違いに見えた。
「遅くなってしまったけれど……僕と結婚してくれますか?」
その言葉に、椿の胸はじんと暖かくなる。
ふわふわと浮足立ち、天にも昇りそうな気持になる。
「……嫌かい?」
暁臣の声は、心配と期待が入り交じっていた
椿は、はっと我に返る。胸が甘く締めつけられ、目元に涙がにじむ。
「嫌なわけないでしょ、バカッ!」
椿は、勢いよく暁臣に抱きついた。
暁臣の広い背中をきつく抱きしめると、彼の香りが鼻をくすぐる。
洗いたての髪の香りと暁臣の体温が混ざって、胸がさらに高鳴る。
胸がしめつけられて、恥ずかしくて――だけれども、幸せでたまらなかった。
しばらく二人で抱き合った後、椿が手を緩めて離れようとすると、暁臣は急に椿の腕を引っ張った。
驚きで肩が小さく跳ねる。
その瞬間、二人の唇が、ゆっくりと重なり合った。
唇の温度と、指先が触れ合う温度。
ほんの一瞬だけれど、世界のすべてが止まったように感じられた。
「――っ」
椿が目を白黒させていると、暁臣は口の端に優しく甘い笑みを浮かべた。
「それじゃ、おやすみ」
窓の外で、ゆっくりと夜が更けていく。
遠く虫の声が静かに響き、夜風が窓の隙間からひんやりと入り込む。
椿は心臓の鼓動が収まらぬまま、ゆっくりと眠りについたのだった。
まぶたの裏には、指輪の小さな輝きと暁臣の笑顔。
柔らかな夜は二人をそっと包んでいた。




