33.鉄太からの手紙
土曜日に銀座へ買い物に出かけた椿は、日曜日は恵とゆっくりたわいのない話をしながら過ごすことにした。
そして夕方、西の空が赤らみ始めるころに再び煌夜家へと戻ってきた。
玄関をくぐった瞬間、華やかな薔薇の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「あらあ、お帰り、椿ちゃん! ご実家はどうだった? ゆっくり過ごせたかしら?」
敦子が両腕を広げ、勢いよく抱きついてくる。
椿は思わず一歩よろめいた。
「え、ええ。土曜日は買い物に出かけて、日曜日は家でゆっくり過ごしました」
軽く抱擁を返しながらそう答えると、敦子は安心したように笑みを浮かべた。
「そう。お父様とお母様は元気だった?」
「はい。いつもと変わりない様子で元気そうでしたわ」
「それは良かったわ」
微笑む敦子の横で、椿はそっと視線をずらす。
廊下の先には、荷物を抱えたミケやシバ朗に的確に指示を出している暁臣の姿があった。
落ち着いた横顔に、いけ好かないほど完璧な所作。
暁臣は何食わぬ顔で、普段どおりに振る舞っていた。
まるで土曜日のことなどなかったかのようだ。
そう思った矢先、ふと暁臣がこちらを振り返る。
「おかえり、椿さん。椿さんが居なくて寂しかった」
あまりに自然で、あまりに優しい声音。
その一言に、椿はかっと頭に血が上るような気分がした。
脳裏に、銀座で見たあの和服の女性の姿が、鮮やかに甦ってくる。
(何よ。私が家に戻ってる間に、他の女の人と会っていたくせに)
胸の奥に、じわじわと怒りが広がる。
「そ、そうですか」
ついそっけない声になってしまう。
「それでは私、疲れたので部屋に戻りますわ」
椿はぎこちない笑顔をつくり、逃げるように階段へ向かった。
「はーーあ」
自室に戻り、どさりとベッドに身を投げ出す。
天井のシャンデリアが、ちかちかと星のように瞬きながら揺れる。
(幸せな結婚生活になると思ってたのにな)
わけもなく切なくなる。胸の奥がちくりと痛んだ。
自分はただ破滅の運命を回避したいだけ。
恵に幸せになってほしいだけ。
そう願っていたはずなのに、どうしてこんなにも心が痛むのだろう。
「はーあ」
そうしてしばらくぼんやりしていると、コンコン、と控えめなノック音が聞こえた。
「……はい?」
起き上がり、恐る恐るドアを開けると、ちょこんとミケが立っていた。
「ミケ、どうしたの?」
「失礼しますニャー。椿様に、風祭様からお手紙が届いておりましたニャー」
そう言って白い封筒を差し出すミケ。
「風祭――ああ、鉄太さんから?」
椿は封筒をじっと見た。
差し出された白い封筒は、シンプルで飾り気がない。
その素朴さが、鉄太の人柄をそのまま示しているようだった。
封を開けると、中には丁寧な文字で綴られた感謝の言葉。
そして、十歳そこそこだろう、幼い椿と恵が並んで笑っている写真が一枚だけ入っていた。
三人の笑顔を見た瞬間、胸がじんわりと温かくなる。
自分と恵の幼いころの写真を見るのは初めてだった。
「わあ、ありがとう」
椿がミケの頭を撫でていると、向かいの部屋のドアが開き、暁臣が姿を現した。
「どうした、何か届け物か?」
気にしないようにしようと思っていたのに、ついぷいとそっぽを向いてしまう。
「暁臣様には関係のないことですわ」
理屈ではわかっている。
暁臣は悪くない。
ここでは椿にとてもよくしてくれるし、政略結婚とはいえ無下にされているわけでもない。
でも――どうしても、あの出来事が心に引っかかったままだった。
すると暁臣が椿の手元に視線を落とした。
「それは、鉄太くんからの手紙だからかい?」
控えめな声。どうやら二人の話が聞こえていたらしい。
「だ、だとしたらどうなのです?」
「鉄太くんは君の幼馴染だとは知っているが、俺に隠れてこっそり文を交わすほど親しいのか?」
はあ!?
椿の頭にカット血が上る。
「な、何言ってるのよ」
思わず声が裏返るほどの勢いで否定する。
鉄太は幼馴染ではあるけれど、恋愛感情なんてまるでない。
「鉄太さんには、この写真を貰っただけです」
椿は鉄太から貰った写真を見せた。
そこには幼いころの椿と恵が写っている。
鉄太の姿も写っているには写っているが、豆粒のように小さく、言われなければ鉄太だとは分からないほどだ。
「これを鉄太くんに?」
暁臣がしげしげと写真を見やる。
椿は思い切って叫んだ。
「ええ、そうよ。だいたい暁臣さんだって他の女の人と会っているくせに、私だけ責めるのは不公平でしょう!?」
椿は言った瞬間、はっと口をつぐんだ。
(しまった!)
胸がぎゅっと縮むような主になる。
「僕が他の女性と会っているだって?」
暁臣は眉をひそめ、怪訝そうな顔つきになる。
(何よ。しらばっくれちゃって!)
椿はもうこうなったら仕方ないと勢いに任せてすべてをぶちまけることにした。
「え、ええ! 私、土曜日に銀座で暁臣さんが和服の女性と歩いているところをこの目でしかと見ましたのよ!」
「土曜日に? 銀座で?」
「ええ。親しげに手まで組んで歩いているのを見ましたわ!」
椿がまくしたてると、暁臣は少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「椿さん、君は誤解しているよ」
「誤解なものですか。私と婚約しておきながら他の女性と――」
そこまで椿がまくしたてたところで、暁臣はふうと長い息を吐いた。
「いや、誤解だよ。だってその人は、俺の叔母さんなんだから」
「へっ?」
思わず変な声が出た。




