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乙女椿は悪令嬢~大正時代の悪役令嬢と入れ替わっちゃったけど、破滅の運命を回避したい!~  作者: 深水えいな@10/15『後宮炎巫伝』発売!
第五章 すれちがいの恋模様

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32.すれちがいの恋模様

 夕日がビルの隙間に沈み、街灯がぽつぽつと灯り始めるころ。


 椿と鉄太は黒百合家へと戻ってきた。


「今日はありがとう」


「いいえ。こちらこそ、楽しかったわ」


 鉄太は少し照れたように後頭部をかく。


「今度は椿ちゃんにも何かお礼をさせてもらうよ」


「いえ、とんでもない」


「別に遠慮しなくたっていいよ」


 彼の屈託のない笑顔に、椿もつられて口元を和らげた。


「それなら……」


 少しだけ迷ってから、椿は小さく息を吸った。


「鉄太さん、私とお姉様が写った写真なんか持っていたりしないかしら」


 おずおずと椿が切り出す。


 この時代、写真はまだ高価なものであったが、上流階級の家庭には家族写真も広まりつつあり、黒百合家にも何枚か写真がある。


 だがこの家で虐げられて育った恵の写真は写真はほとんどない。


 けれどひょっとしたら鉄太の家なら、幼馴染である恵との写真が残っているかもしれない。そう椿は思ったのだ。


「それなら、家を探せば何枚かあるかもしれない。うちの親父が写真好きで、カメラを持ってるから」


「本当?」


 ぱっと顔を輝かせた椿に、鉄太は軽く頷いた。


「ああ。そういえば、椿ちゃんは頭を打ってから記憶喪失になってるんだっけ? 昔の写真を見れば何か思い出すかもな。家に帰ったらちょっと探しておくよ」


 実を言うと、椿が写真を欲しい本当の理由は、記憶を取り戻すためではない。


 煌夜家に戻っても恵の顔を見たいからであった。


 煌夜家の皆は優しいけれど、やはり時々恵がいないのが寂しくなる。


 暁臣が女性と歩いているのを見た今、つばの心の支えとなるのは恵だけだ。


 そんな時、恵の写真があればいいと思ったのだ。


 けれどそんなことを鉄太に言うのは恥ずかしいので、椿は黙ってうなずいた。


「ええ、そうしてもらえると助かるわ。ありがとう」


「じゃあまた。恵さんにもよろしく」


 手を振って別れると、鉄太の背中は夕闇の中へと溶けていった。


「ただいま」


 家に戻ると、玄関に見覚えのある、恵の履き古した靴がそろえて置かれていた。


 その小さく慎ましい佇まいに、椿の胸はほっと温かくなる。


「ただいま、恵お姉様」


 恵の部屋へ向かうと、恵は読んでいた本を閉じ、控えめな微笑みを浮かべて出迎えてくれた。


「お帰りなさい。暁臣様のご実家はどうでしたか?」


「それがね――」


 椿は今日あった出来事を順を追って話した。


 ミケたち妖魔の召使いたち、敦子のこと、暁臣やツネのこと。


 そのたびに恵は「まあ」と目を丸くし、少女のような好奇心できらきらと瞳を揺らす。


 けれど、あの和服の女性の話だけは、どうしても恵に言えなかった。


 恵に余計な不安を抱かせたくなかったし、話そうとすると胸が詰まって言葉が出てこなかったからだ。


「良かった。心配したけれど、うまくいっているようね」


 恵は胸を撫でおろすように微笑んだ。


「それで、恵お姉様のほうはどうなの? 風祭家とはうまくいっているの?」


「ええ。風祭家のおばさんも旦那様も昔から知った仲だし、とてもよくしてくださるわ」


「それなら良かったわ」


「でも――」


 恵が視線を落とす。細い指がハンカチをいじり、不安を物語っていた。


「鉄太さん、昔は親しく遊んでいたはずなのに、最近何だかよそよそしいような気がするの。何かを隠してるというか――」


「えっ!?」


 椿の心臓がドキリと飛び跳ねる。


「そ、そんなことないんじゃないかしら。鉄太さんはあなたのことが好きだし、男女の関係になったのだから、そりゃ昔みたいな親しい友達のような感じにはならないわよ!」


「そ、そうよね。でも――」


 恵は椿の様子をちらと伺うように見上げた。


「私、見てしまったの。先ほど、鉄太さんと椿が仲良く家に帰ってくるところを」


「ええ!?」


 椿は全身から血の気が引いた。


 よりによって恵本人に見られていたなんて。


「そ、それはたまたま銀座で買い物していたらばったりと会って、女一人じゃ危ないからって送ってくださったのよ! 何もやましいことなんてないわ」


 慌てて説明すると、恵は安堵したように胸に手を当てた。


「そ、そうよね。私ったらてっきり……疑ってごめんなさい


「もう嫌だわ、お姉様ったら! もしかして、私と鉄太さんに嫉妬していたの!? ないない! 私は鉄太さんに興味はないし、鉄太さんも私のような女は好みじゃなくてよ!」


 椿はわざと豪快に笑ってみせた。


 恵もつられて笑うはず――そう思っていたのに。


 恵の白い頬がみるみる赤く染まり、目の端に涙がたまっていく。


「嫌だわ! お姉様、何で泣いているの!?」


「だって、安心したんですもの。私って椿のように美人でも聡明でもないし、何のとりえもないから、鉄太さんに見捨てられたらと思うと――」


 涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。


 椿は思わず恵を強く抱きしめた。恵の細い肩は震えていた。


「何言っているの、恵お姉様は可愛いし、心も清らかだし、謙虚で……良いところがたくさんあるわ」


「そうかしら」


 恵は涙をぬぐい、少し照れたように微笑んだ。


 その健気な姿を見て、ふと胸がちくりと痛む。


 ――こんないじらしくて可愛い嫁だったら、暁臣も大切にしてくれたのだろうか。


 けれど、すぐにその考えを振り払う。


 自分の望みはただひとつ。


 恵を幸せにし、破滅する未来を変えること。


 そうだ。本来ならば、自分はこの後、呼び出した鬼に喰われて死ぬはずだったのだ。


 それ以上を望むなんて、きっと贅沢なのだ。


 椿は自分にそう言い聞かせた。


 

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