31.内緒の買い物
二人は市電に乗り込み、揺れに身を任せながら銀座へ向かった。
窓の外に流れていく街並みはだんだんと華やぎ、道ゆく人々の装いも洗練されてゆく。
銀座に降り立つと、まるでそこは別世界だった。
「わあ……何度来ても活気があるわね、銀座って」
椿は目を輝かせる。
街中には白い洋風建築が立ち並び、店先にはガラス越しに宝飾品がきらびやかに展示されている。
外国語の看板もちらほら見え、行きかう人々からは上質な香水の香りがした。
鉄太は少し頬をかきながら周囲を見渡した。
「俺みたいなのが来ていい場所なのか、ちょっと不安になるな……」
「大丈夫よ、背を伸ばして歩けば、貴女だって立派な紳士に見えるし、プレゼントを買うにはぴったりだわ」
そう背中を押すと、鉄太の表情が少しだけ柔らいだ。
「そうだな。恵ちゃんにピッタリの指輪を探そう」
二人は街を歩きながら、いくつかの宝飾店を外から覗き込んだ。
ウィンドウに飾られたダイヤの指輪やサファイアのブローチ、金縁の懐中時計――どれも眩しいほど美しい。
「このお店にする?」
「ああ、そうだな」
椿と鉄太は、一番入りやすそうな洋館風の宝飾店に目をつけると、そっと扉を押した。
店内には淡いランプの光が灯り、静かなクラシック音楽が流れている。
磨き抜かれたガラスケースの中には、繊細な指輪やネックレスが整然と並んでいた。
「いらっしゃいませ」
控えめな声とともに、店員が恭しく一礼する。
鉄太は緊張のあまり背筋を伸ばし、まるで軍人のようにぎこちなく会釈をした。
椿は思わず口元を緩める。
(鉄太さん、本当に恵お姉様のことが好きなのね)
鉄太の誠実さが胸にしみて、椿はなんだかとても微笑ましくなったのだった。
「婚約指輪を探しているのですが」と椿が代わりに説明すると、店員は目を軽く見開き、丁寧に頷いた。
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
案内されたガラスケースの中には、小粒ながらも透明度の高いダイヤが載った指輪が並んでいた。
光の角度が変わるたび、小さな星が瞬くようにきらめく。
「す、すげえ……」
鉄太の喉が思わず鳴る。
「恵お姉様なら、派手すぎず上品な指輪のほうが似合うと思うの」
椿がそう言うと、店員も微笑んでうなずいた。
「こちらなどは、最近外国の婦人方に人気のデザインです。シンプルですが、光の入り方が美しいですよ」
差し出された指輪は、細い銀のリングの上に小さなダイヤが一つ、控えめに輝いていた。
鉄太はしばらくそれを見つめ、真剣な声でつぶやいた。
「恵ちゃん、喜ぶかな」
「絶対に喜ぶわ」
椿の即答に、鉄太は照れたようにはにかみ、それから小さく息を吸った。
「じゃあ、これをください」
そう言った瞬間、椿の胸の奥がじんわりと熱くなる。
指輪はきっと、恵を幸せにする。
そして自分は今、その大切な瞬間を一緒に見届けている。
「鉄太さん、素敵な選択よ」
椿が微笑むと、鉄太は耳の先まで真っ赤になりながら、包みを受け取った。
外へ出ると、鉄太はようやく解放されたという顔をして大きく息を吐いた。
「ふう、疲れた」
鉄太は肩をぐるりと回し、長いため息をついた。
そんな鉄太の様子が可笑しくて、椿は思わずクスリと笑った。
銀座大通りには、週末の買い物客がひしめき合っている。
きらびやかなショーウィンドウ。すれ違う香水の甘い匂い。
都会ならではのざわめきが二人のまわりを通り過ぎていった。
「またどこかのカフェにでも入って休む?」
「そうだなあ」
鉄太は額の汗を手の甲で乱暴に拭い、ふう、ともう一度息を吐く。
けれど――その動作の途中で、まるで何かに気づいたようにピタリと固まった。
「どうしたの?」
怪訝そうに椿が首をかしげる。
「ちょ、ちょっと来い」
鉄太は低い声で呟いたかと思うと、次の瞬間には椿の手首をとらえ、通りを外れた建物の影へぐいっと引き込んでいた。
「どうしたっていうのよ」
突然のことに椿は目を丸くするが、鉄太はそれどころではないらしく、そわそわと周囲をうかがっている。
「いいから見てみろ」
鉄太が顎で示す方向へ、椿はそっと身を寄せ、柱の影から通りをのぞいた。
そして――椿は、はっと息を呑んだ。
人波の中をゆっくり歩く一組の男女。
黒い外套を涼しく着こなす長身の男は、まぎれもなく暁臣だ。
そして彼の隣には、上等な和服をさらりと着こなした品の良い貴婦人がいた。
腕を軽く添え、仲睦まじい様子で暁臣に話しかけている。
二人の距離は近く、まるで恋人どうしのようだ。
(誰なの、あの人は)
胸の奥がちくちくと痛む。
「大丈夫かい、椿ちゃん」
思わず足がよろめいた椿の肩を、鉄太が支える。
「え、ええ。大丈夫よ、これしき」
椿ははっと気を取り戻すと、毅然と胸を張った。
「……別に、私たちは元々政略結婚ですし、暁臣さんは素敵な方ですから、他にお相手が居たとしても驚きません」
(そうよ、私の望みはあくまで恵お姉様を幸せにすること。お姉様が意中の相手と添い遂げれるのならば、別にそれでいいじゃない)
椿はそう考えて自分を納得させようとした。
別に暁臣に他に意中の人がいたところで、自分に優しいことには変わりない。
それに煌夜家には地位も名誉もお金もある。
ミケや犬介、他の使用人たち、敦子も優しい。
何不自由なく生活を送れるだろう。
結婚生活に不満なんてあるわけない。
だけど――なぜだか椿は自分の胸が痛むのを感じたのであった。




