3.新たな生活
真新しい障子にやわらかな朝日が差し込み、《《椿》》はゆっくりと目を覚ました。
「ん……朝……かあ」
椿はぼんやりと部屋の中を見つめた後、部屋の隅にある小さな鏡へと視線をやった。
白磁のように透き通った肌に、艶やかに伸びる黒髪。
睫毛のびっしり生えた大きな瞳は猫のように愛らしい。
額に巻かれた包帯すら、彼女の儚げな魅力を引き出すために存在しているかのように見える。
どこをどう見ても文句のつけようのない美少女だ。
だが彼女の気持ちは晴れなかった。
(やっぱり夢じゃない……かぁ)
椿は天井の梁を見上げ、小さく息を吐いた。
ついこの間まで、自分は令和の女子高生、黒百合凛音だった。
それがまさか倒れてきた鏡に頭を打って、目覚めたら大正時代の悪女――黒百合椿になっているだなんて。
「はあ」
幼いころから黒百合恵に関する話が好きだった。
二人のラブストーリーを繰り返し繰り返し読み、自分が恵になってに煌夜暁臣に見初められるのを何度夢見たことか。
黒百合椿に憧れるがあまり、椿とは何の関係もない大正時代を舞台にした小説や漫画を読み漁ったこともある。
それが、よりにもよって恵を虐めるわがままで意地悪な妹の椿と入れ替わるだなんて。
「はあ……」
大きなため息が出る。
(何で恵じゃなくて椿なのよ。最悪)
初めは夢かと思った。
だけど一日経ち、二日経ち、段々とこれが夢ではなく現実なのだと実感せざるを得なくなってきた。
自分はこれから凛音ではなく、椿として生きていかなくてはいけないのだ。
「――覚悟を決めるしかないか」
椿はごろりと布団に横になった。
遠くで女中たちが朝ご飯の支度をする気配がする。
台所からは味噌と焼き魚の香りが微かに届き、ぐうとお腹が鳴った。
そうだ。
よく考えたら、ここでの生活もそう悪くないかもしれない。
黒百合椿は自らの能力に溺れ、邪魔者を次々とその力で殺して「血染めの椿」と呼ばれた悪女だ。
そしてついには、禁忌とされた鬼まで呼び出し、最後には自分の呼び出した鬼に喰われ悲惨な最期を迎えてしまう。
普通ならば絶対になりたくなどない存在なのだが……。
椿はじっと天井を見つめ考えた。
(でも私はその結末を知っている。要は破滅に向かわないように行動すればいいんじゃないの?)
よくよく考えれば、黒百合椿は見た目だけ見れば銀幕スターでもおかしくないほど整った顔をした美少女だ。
おまけに火・水・土の三つの能力を使いこなす呪術の才能もある。
家は名門でお金持ちだし両親にも愛されてる。
自分の行動次第では幸せな未来にたどり着けるかもしれない。
少なくとも――妹だけを溺愛していたあの両親の待つ家に帰るよりも、こちらで生活したほうが幾分かはましかもしれない。
そう椿は前向きに考えることにした。
「さあ、椿ちゃん。お粥ができたわよ」
そこまで考えたところで、上等な着物を着た女性が部屋に入って来た。
椿は一瞬ビクリと身構えたが、すぐにこの人が自分の母親だと思い出すと、笑顔を作って頭を下げた。
「ありがとうございます」
丁寧に礼を言った娘の姿を見て、母親は心配そうに眉を寄せた。
「あら、いいのよ。椿ちゃん。実の母親にそんなに丁寧な言葉づかいをしなくても」
「す、すみません」
またしても反射的に頭を下げてしまう椿。
母親によそよそしい態度をとるのは悪いと思いつつも、やはり他人なのでどうしても気後れしてしまう。
「もしかして椿ちゃん、まだ記憶が戻らないの?」
母親が恐る恐る尋ねる。
どうやら医者から頭を打って記憶喪失になったようだという説明を受けたらしい。
椿はできる限り神妙な顔を作り、小さくうなずいた。
「ええ。まだ頭がぼんやりしていて……ごめんなさい」
包帯の巻かれた頭を押さえ、悲劇のヒロインよろしく痛ましい表情を作って見せる。
まさか全く別人の魂が入っているだなんて言えやしなかった。
「まあ、そうなの。でも思い出すのはゆっくりでいいわ。無理しないでね。まずは体を直すのが一番よ」
「ありがとう、お母様」
(良かった。母親は何の疑問も抱いていないみたい)
椿が安堵していると、がらりと襖が開いた。
入ってきたのは、紺色の着物に立派な口ひげを蓄えた男性――椿の父親だ。
「目覚めたか、椿」
「は、はい」
眉一つ動かさないいかめしい顔の父親に、椿は自然と背筋を伸ばした。
「ところで椿、呪術は使えるか」
椿はごくりと唾を飲みこみ、父親から視線を逸らした。
「え――ええと」
椿は自分に呪力があることは分かっていたが、どうやって使うかまでは分からなかった。
何せ令和の世では自分は「無能」だったのだから。
父親はそんな椿の様子を見ると、苛立たしげに息を吐きだした。
「覚えていないか。では今から私の言う呪文を真似してみろ」
父親が小さい声で呪文を唱え、手元に小さな火を灯す。
椿は言われた通り、父親の真似をして呪文を唱えた。
瞬間、体中を熱い力が駆け巡るのを感じ、気が付いたときには椿の手の中に小さな火の玉が出現していた。
(――わっ、すごい!)
椿が驚いていると、父親は眉間に皺を寄せたままうなずいた。
「うむ。記憶がなくとも体が覚えていたようだな。これならばまだ使えそうだ」
父親の言葉に、椿はほっと息を吐いた。
どうやら中に入っている魂が何であれ、この体は呪力を扱えるようだ。
(呪術を自由に操れる! なんて素敵なの……!)




