2.凛音と椿
「はあ……」
凛音が肩を落としながらも暁臣と恵の功績をノートに写していると、ふと目の端にきらりと光るものが見えた。
「あれっ、こんな展示、あったかな」
部屋の隅に置かれていたのは、立派な装飾のついた姿見の鏡だった。
古びた木枠には黒ずんだ金属の細工が施され、花とも獣ともつかない不気味な模様が絡み合っている。
恐らく暁臣と恵の私物だろうか。ひどく古めかしく見える。
凛音は鏡の正体を知ろうと説明書きを探した。
だが、どこにもこの鏡について書かれた解説はない。
(この鏡……なんだろう)
凛音はなぜだかその鏡にひどく興味を惹かれた。
目を逸らそうとしても自然と視線が引き寄せられ、離せない。
「なんだろう、これ」
気がつくと、凛音は無意識のうちに鏡へと歩み寄っていた。
近づくにつれて、鏡から背筋をなぞるような冷気が漂ってくる。
まるで鏡の奥から何かがこちらを覗いているかのような――。
「これは……」
凛音が鏡に手を伸ばしかけたその瞬間、地面がぐらりと揺れた。
「地震!?」
展示品がカタカタと震え、吊るされた照明が激しく揺れる。
かなり大きい揺れだ。
凛音は足元がふらつきその場にしゃがみこんだ。
――ギィ。
その瞬間、鏡が重苦しい音を立てて傾き、凛音の体に向かって倒れてくる。
「きゃあっ……!」
反射的に頭を覆ったが、どうすることもできない。
視界が真っ白になり感覚が消え失せる。
そして気が付いた時には、凛音の意識は静かに闇の底へと沈んでいったのだった。
***
「――椿、椿っ」
誰だろう。
この声――妙に懐かしい。
「――椿、目を覚まして。お願いよ」
どこか切実な少女の声。
でも自分は椿ではなく凛音。
声の主は誰かと間違えているのだろうか?
凛音はきつく目をつぶった。
「――椿、椿っ!」
だがその声が止まることはなく、凛音は仕方なく目を開けた。
(ん……うるさいなあ)
凛音が薄目を開けて辺りを見回すと、そこは見覚えのない場所だった。
純和風の梁と天井に、煤けた畳。
隅には古めかしい桐箪笥が置かれており、その上には何体もの日本人形が並んでいる。
そして壁には、呪術資料館で見たあの古い姿見がひっそりとこちらを見下ろしていた。
ここはどこだろう。妙に古い建物のようだ。
そうだ、自分は確か、呪術博物館であの鏡の下敷きになって――。
――ズキン。
「うっ」
身を起こそうとした瞬間、頭が割れるような痛みが襲い、凛音は再びその場に横たわった。
手にぬらりとした感覚がして、慌てて見ると、手にはべっとりと赤い血が付いている。
(えっ……これって……血!?)
ぎょっとして目を見開く。
どうやら額から出血しているらしい。
(どの程度の出血なのかしら。傷は深いの?)
本当は立ち上がらないほうがいいのかもしれない。
そう思いつつも、傷の具合が気になった凛音は、ゆっくりと身を起こし、鏡のほうへと向かった。
「椿、大丈夫!? 目を覚ましたの!?」
すると、凛音と同じくらいの年の見知らぬ少女が駆けよって来た。
どうやらこの子が先ほどの声の主らしい。
凛音は首をかしげた。
「違うわ。私の名前は椿なんかじゃ――」
そう言いかけた凛音だったが、ふと鏡に映った自分の姿を見て言葉を失った。
そこに映っていたのは、見慣れた自分の顔ではなかったからだ。
「……っ!?」
(ちょっと待って。これ、自分の顔じゃない)
一重で、どちらかというと和風の地味な目鼻立ちだった顔は、ぱっちり二重の彫りの深い顔に。
日焼けしていたはずの肌も雪のように白く、短かった髪は腰まで伸びる艶やかなロングヘアーになっている。
(……この顔、資料館で古い写真を見たことがあるわ)
凛音はさっと顔から血の気が引くのを感じた。
心臓がバクバクと音を立て、背中を冷たいものが伝う。
この顔は、煌夜恵の腹違いの妹にして「血染めの椿」と呼ばれた稀代の悪女。近代最悪の呪術師――。
「黒百合……椿」
震える唇から名が漏れた。
(どういうこと? 何で私が黒百合椿の姿になっているの!?)
「大丈夫? まだどこか具合が悪いの?」
目の前の少女が心配そうに自分の顔をのぞきこむ。
その瞬間、凛音は目の前の少女の顔に見覚えがあることに気が付いた。
目の前の少女は先ほど資料館で見たばかりの恵の写真に瓜二つだったのだ。
資料館の写真は四十代か五十代くらいで、目の前のこの子はまだ十六か十七くらいだけど、間違いない。
「あなた……まさか黒百合恵?」
凛音は震える手で目の前の少女を指さした。
「え、ええ、そうよ。どうしたの、椿。様子がおかしいわ。もしかして頭を打って記憶が――」
心配そうにこちらを見つめる恵。
いっぽう凛音――いや椿はというと、頭を抱えてその場に立ち尽くしたのだった。
(もしかして私、あの地震の衝撃で大正時代の悪女――黒百合椿と入れ替わってしまったの!?)




