1.無能力の娘
「見て見て、お母さん。この新作バッグ、可愛いくなぁい?」
妹の愛華が、スマホの画面をずいと母親に見せる。
母親の直美はリップを塗る手を止めると、狐のような目を細めた。
「まあ、良いわね。愛華にピッタリよ」
母親の甘ったるい声に、愛華はあざとく小首をかしげた。
「でもぉ、これ、愛華のお小遣いじゃ少し高くてぇ」
「まあっ、でもあなたはここ黒百合家の跡取り娘なんだから、それにふさわしい恰好をする権利があるわよ。さっそくお父様にねだりしましょう」
「うんっ、そうする!」
パタパタパタ。
「ねえ、お父様ーーっ!」
愛華はスリッパの音を鳴らして書斎へと駆けていった。
(またか……一体いくつバッグを買うつもりなのかしら)
そんな二人のやり取りを、テーブルの端で冷ややかに見つめていたのは、姉の凛音だ。
足元には、何度もほころびを縫い直した、布製の古いバッグが置かれている。
妹と凛音とは、たった一歳しか違わない。
なのに、母親の態度は天と地ほどの差があった。
無理もない、妹の愛華は元々父の愛人だった直美の実の娘。
それ対し、凛音は亡くなった前妻の娘なのだ。
それだけだはない。
ここ黒百合家は代々続く呪術師の家系で、古くは平安時代から、ここ日本を鬼や妖魔から守ってきた名家である。
そのため一族の多くの者には呪力と呼ばれる妖魔を退治する不思議な力があった。
だが凛音には、その才能が一切なかった。
それに対して愛華は、小さいころから強い呪術の能力があり、十六歳になる今では、一人で下級霊や小鬼くらいなら退治できるほどだ。
そのため、愛華は跡取り娘として贅沢を与えられ、愛される存在。
凛音はというと、「無能」と呼ばれ、家に必要のないお荷物として扱われることとなってしまったのだった。
凛音がぼんやりと愛華の走っていった方向を見ていると、直美の笑顔がふいに消えた。
「凛音、あんた何見てるの! まさかあんたまでバッグが欲しいなんて言うんじゃないでしょうね!」
「い、いえ、私は別に――」
慌てて否定しようとした凛音だったが、母の冷たい叱責が続く。
「いい? あなたは愛華と違って無能なんだから、贅沢は許しませんよ! ここにいられるだけでもありがたいと思いなさい!」
「わ、分かっています」
凛音はノートと資料を古いバッグに押し込み、そっと立ち上がった。
「ちょっと、話は終わっていないわよ。どこへ行くの」
直美の冷たい声に、凛音は慌てて笑顔を作った。
「……呪術資料館です。夏休みの課題で、ご先祖さまのことを調べに」
直美はきつく腕を組むと、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ふん、何の力も使えないくせに、呪術について調べて何になるのかしら」
小さくつぶやかれた言葉を無視するかのように、凛音は家を出た。
「行ってきます」
外には、真夏の陽射しが容赦なく降り注いでいる。
凛音は額から流れ落ちる汗をハンカチでぬぐい、目的の場所へと急いだ。
目的地の呪術資料館は、木々に囲まれ、周囲から隠れるかのようにひっそりと建っていた。
凛音は建物に近づく。静かに自動ドアが開いた。
「まあまあ、お久しぶりです、お嬢様!」
中から現れたのは、白髪頭の老婆だ。
凛音は慌てて笑顔を作り、頭を下げた。
「お久しぶりです、婆や。今日は夏休みの自由研究の調べ物をしに来ました」
「まあ、そうでしたか。外は暑いですし、ゆっくりしていってくださいね」
「はい、そうします」
凛音は小さくうなずくと、館内へと足を踏み入れた。
建物の中はがらんとしていて、夏休みだというのに人の気配はまるでない。
無理もない。
呪術の存在は一般市民には秘匿されている。
ゆえに、この呪術資料館の存在も限られた一部の血筋の者にしか知られていないのだ。
館内はひんやりとしていて、外のうだるような暑さがまるで嘘のよう。
(涼しくて気持ちがいいな……)
凛音がゆっくりと奥へと足を進めると、この資料館のメインの展示物が見えてきた。
大正時代から昭和初期にかけて活躍し、近代呪術の基礎を築いたご煌夜暁臣とその妻の恵についての展示だ。
恵の旧姓は黒百合――つまり恵は凛音の遠い親戚に当たる。
凛音は、展示室の中央に掲げられた二人の写真をじっと見つめた。
暁臣は黒い洋装に身を包み、立派な口ひげを蓄え、涼しげな眼差しで立っている。
その隣で凛音の親戚である恵は、質素な柄の着物を着て、夫を支えるかのように優しげな表情で微笑んでいる。
(なんて素敵なんだろう)
凛音はうっとりとしながら、子供のころから繰り返し読んでいる煌夜恵の伝記を思い出した。
伝記によると、恵は呪術師一家に生まれながら呪術の才を持たず、母親や妹の椿に虐げられた存在だったらしい。
だが無能力だと思われた彼女は、名門呪術師である煌夜暁臣の妻として迎えられると、一気に才能が開花したのだという。
(いいな……)
凛音はうっとりとしながら二人の古い写真を見つめた。
いつか自分も暁臣のような素敵な王子様に迎えられ、幸せになりたい。
だが、それが夢物語だということは他ならぬ凛音自身が痛いほど分かっていた。
せめて将来は大学に通って、大好きな呪術の歴史を研究したいけれど――。
(でもそれもきっと無理ね。大学に行くお金をあの両親がわざわざ出してくれるとは思えないもん)
おそらく高校を卒業したら、親の持ってきた縁談を受けることとなるのだろう。
能力が使えないとはいえ、呪術師の家系の若い女性は貴重だ。
家系が途絶えるのを防ぐため、大金を出してでも嫁を確保したい家もあると聞く。
きっと自分も、そういった家に身売りされるように嫁がされるのだろう。




