27.新しい朝
薄く差し込む朝日が、レースのカーテン越しに部屋を白く染めていく。
まだ体に昨日の疲れを残すけだるい朝、椿は可愛らしい声で目を覚ました。
「おはようございますニャ。朝ですニャ」
ミケの柔らかい肉球が、ぽふぽふと椿の布団を踏みつける。
椿は目元をこすりながら返事をした。
「おはよう」
眠気の奥で、じんわりと頬がゆるむ。
こうして猫に起こされる朝も悪くないかもしれない。
ミケが尻尾を揺らしながら先へ歩き出し、椿はその後をついてリビングへと向かった。
リビングへ入ると、犬介が丁寧な動作で敦子へ紅茶を運んでいる姿が目に入ってきた。
「あらあ、おはよう、椿ちゃん!」
敦子が明るい声とともにぱっと椿の手を取る。その勢いに、椿は思わず背筋を伸ばした。
「お、おはようございます、敦子さん」
軽く頭を下げたその瞬間、敦子は嬉しそうに椿の腕を引き寄せてソファへ座らせる。
「おはようございます、椿さま。紅茶、コーヒー、日本茶などありますが、椿様は何を飲まれますか?」
犬介はソファへ座った椿へと視線を向けた。
「じゃあ、紅茶で」
椿が返事をすると、犬介は美しい所作でティーポットを扱い、湯気の立つ紅茶を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
椿がカップに唇を寄せた途端、ふわりとアールグレイの香りが口いっぱいに広がった。
「うわあ、美味しい。こんなにおいしい紅茶、初めて!」
思わず声を漏らすと、敦子は少女のようにぱあっと顔を輝かせた。
「うふふ、そうでしょ。英国の商人からわざわざ取り寄せたの」
そんなやり取りをしていると、今度は奥からチュン太が現れ、パンやベーコン、オムレツ、サラダを器用に運んでくる。
「朝食は洋食でよろしかったですか? ご飯のほうがお好みであれば、ご用意できますが」
「いえ、パンで大丈夫です!」
慌てて答える椿。するとほどなく、こんがりと焼き目のついた丸パンが湯気を立てながら運ばれてきた。
「これも英国から取り寄せた石窯で焼いたパンよ」
「えっ、石窯で焼いているんですか!?」
「ええ。このバターは輸入物なんだけど、ジャムはうちの庭で取れた苺を使っているの。それから卵もうちが土地を貸してる近所のお宅から貰ったものだから新鮮よ」
敦子は誇らしげに胸を張る。
「で、では、いただきます……」
椿はまずパンへとかぶりついた。ふんわりと香ばしい小麦の香りが口の中に広がり、噛むごとに甘みがにじみ出る。
「うわあ、美味しい!」
心からそう口にすると、敦子が満足そうに微笑んだ。
「美味しいでしょ? うふふ、私、あなたのようにご飯をモリモリ美味しそうに食べる子って大好きなの」
「あ、ありがとうございます」
照れくささで頬が赤くなる。
令和にいた頃には、誰かにこんなふうに喜ばれたことなどなかったから。
しばらくして、ぽん吉が姿勢を整えて歩いてきた。
「椿様、制服のご用意が出来ました」
その腕には、実家から取り寄せた椿の制服があった。
妖魔だから毛は抜けないと敦子が教えてくれた通り、制服には毛一つ付いていない。
それどころかアイロンまで完璧にかけられている。
「ありがとう、ぽん吉」
椿は着替えを済ませ、用意された鞄を受け取って玄関へ向かった。
「送っていくよ」
椿が学校へ行く準備を一通り済ませると、背後から暁臣の声がした。
暁臣はいつもよりほんの少し早歩きで追いかけてくると、ぴたりと椿の横へ並ぶ。
「大丈夫よ。別に一人でも」
昨日のことを思い出し、赤面する椿に、暁臣は眉を少しひそめる。
「いや、君はもう煌夜家の嫁も同然なんだ。誰に狙われるかも分からないし、学校まで送っていくよ」
「は、はあ……」
(正直、一人のほうが気楽なんだけど)
そう思いつつも、拒める雰囲気ではない。
椿は暁臣に腕を取られ、渋々車へ乗り込んだ。
走りだしてしばらくすると、女学校の大きな門が見えてきた。
「見て、黒百合椿様と煌夜暁臣様よ!」
「やっぱり、あのお二人は正式に婚約なさったのね」
「素敵ね。とってもお似合いよ」
車を降りた瞬間、女生徒たちの視線が二人に集まった。
波のようなざわめきが校庭に広がる。
「おはようございまーす」
「おはようございます、椿様」
すると、人混みをかき分け、薫子と梅子がやってきた。
「おはようござい――」
と、言いかけた椿の目が丸くなる。
それもそのはず、目の前にいる薫子と梅子は髪をばっさりと切り、椿と同じようなショートヘアになっていたのだから。
「薫子さん……梅子さん……その髪は……」
椿がひきつった顔で二人を見やると、二人は顔を見合わせて笑い合った。
「ああ、これ? 椿様みたいになりたくて、二人で週末に切って来たんですの」
「どうです? 椿様ほどではないけれど似合いますでしょ?」
椿は慎重に言葉を選び、二人に尋ねた。
「え、ええ……似合いますけど……その、親御さんや婚約者の方はどうおっしゃっているのですか?」
断髪やモダンガールが流行っているとはいえ、二人は良家の子女である。
親世代には髪を切ることについてはまだまだ抵抗がある人も多い。
椿が恐る恐る尋ねると、二人は顔を見合わせて笑った。
「髪はまた伸びますし、今、椿様とお揃いでいることが重要なのですわ」
「そうそう。短い女学生生活、精一杯楽しまなくてはいけませんわ!」
そう言って、二人は椿の両側から腕を組んだ。
「見てくださいな、こうすると私たち、姉妹みたいではなくて?」
「そうそう。ブーツとリボンも椿様とおそろいにしましたの。恵様より私たちのほうが椿様にそっくりでしょう?」
なぜか恵の名を出し、対抗心を燃やす二人。
「あはは……」
椿はと言うと、乾いた笑いを浮かべるほかなかった。




