22.幸せにしたい
二人の長い影が、夕暮れの町に長く伸びる。
――そう、椿は気づいていた。
恵と鉄太が特別な関係であることを。
けれど、それを認めるのが怖かった。
だって椿が凛音だったころに読んだ伝記――彼女がずっと憧れていたシンデレラスト―リーには、鉄太なんて男は出てこなかったのだから。
自分の憧れの夫婦だった暁臣と恵は、あくまでお互いに惹かれ合って結婚したのであって、政略結婚ではない。そう信じたかった。
けれど、本当は本に書けないこともたくさんあったのかもしれない。
(本当はお姉様は幼馴染の鉄太さんが好きだったけれど、自分の気持ちを隠して家のために縁談を受けたのかしら)
でも恵にとってしてみたら、家の格や財産よりも好きな人と一緒になれるほうが幸せなのかもしれない。
風祭家とて、黒百合家と釣り合わないほど格下というわけでもないのだから。 それに――。
椿は暁臣の顔をチラリと見た。
『――僕が君と結婚したいのは『椿』ではなく、君だからだよ』
暁臣に言われたその言葉を思い返すたび、椿は体中が熱くなり、きゅっと胸がしめつけられる。
ふわふわと浮き立つような、暖かくてちょっぴり切ない、変な気持ち。
椿はそっと顔を上げ、目の前の暁臣を見つめた。
「……お姉様は、鉄太さんと一緒になったほうが幸せになれるの?」
椿が震える唇で尋ねると、暁臣は小さくうなずいた。
「ああ、きっとそうだよ。鉄太くんは明るくて人の良い男だ。きっと恵さんを幸せにしてくれると思う」
暁臣の横顔は陽射しに照らされて柔らかく、まるで先ほど見た映画のワンシーンのように美しかった。
「それに恵さんばかりじゃなく、君にだって幸せになる権利はある」
そう言って、暁臣は静かに椿の手を取った。
椿ははっと顔を上げた。
つないだ手の温もりが、じんわりと心に広がっていく。
暁臣はまっ直ぐに椿の瞳を見つめて囁いた。
「椿さん、俺は君を幸せにしたい」
暁臣のコートから、先ほど飲んだコーヒーの香ばしい香りがふわりと漂ってくる。
夕日に照らされた暁臣の顔は信じられないほど綺麗で、椿はぎゅっと胸が締め付けられた。
信じてもいいのかな。
幸せなヒロインになってもいいのかな。
こんな私でも――。
***
「お帰りなさい、椿ちゃん! 暁臣様との外出はどうだったの!?」
家に帰ると、鼻息を荒くした母親に出迎えられる。
「えと……一緒に映画を見て、カフェでコーヒーとケーキをごちそうになったわ」
椿が答えると、母親は目を輝かせた。
「あらあらそうなの、順調なようで良かったわ!」
なおも色々と聞きたげな母親の言葉を遮り、椿はすたすたと廊下を歩いた。
「それより私、クタクタなの。お風呂は沸いてる?」
「ええ、ちょうど準備させたところよ。今日は早めに入ってらっしゃい」
「ありがとう、そうするわ。」
椿は着ていたワンピースを脱ぎ捨て、風呂場へと向かった。
「ふう……」
熱い湯に肩までつかり、椿は天井を見上げた。
恵と鉄太は愛し合っている。
それならば、二人を止めることはできない。
恵を幸せにするのが当初の目的だったのだから、それを無理やり引き離すのもおかしい。
でも――それはそれとして、暁臣との縁談はどうする?
(どうしよう。私は煌夜暁臣と結婚するべき? それとも――)
ふと頭の中に、カフェで自分と結婚したいと言ってくれた暁臣の姿が浮かび、顔から火が出そうになる。
暁臣のことは嫌いではない……と思う。
椿はきゅんとしめつけられる胸を手で抑えた。
でも、いざ自分が結婚となると、まだ椿には決心がつかなかった。
なにせ令和の世に生きていたころは、自分はただの女子高生で結婚なんて考えたこともなかったのだから。
(でも、恵お姉様が暁臣さんと結婚しないとなると、私が暁臣さんとの婚約を受けるしかないのよね。それに例え断ったとしても、見知らぬ誰かとの縁談はいずれ受けなくちゃいけないし。それだったら――)
椿はふと、暁臣と自分の結婚生活を想像してみた。
暁臣の隣に妻として立つ自分。
椿は見た目は整っているし、同じく美丈夫の暁臣の妻になることは、そんなに不釣り合いには思えなかった。
共に食事をし、たまに観劇に出かけたり、映画を見たり。
暁臣とは趣味も合いそうだし、相手は華族で大富豪の御曹司だ。それほど悪い暮らしとも思えない。
(でも妻になるって、それだけじゃないのよね。例えば、寝室を共にしたりだとか――)
そこまで考えたところで、椿は火が出るほど顔が熱くなった。
(そ、そんなの無理!……どうしたらいいの!?)
椿はお風呂の中で、叫び出したい気持ちでいっぱいになった。




