16.恵と幼馴染
「いやあ、恵ちゃん、見違えたよ。すごく綺麗じゃないか」
恵と密会中の男が、どこか照れくさそうに微笑む。
その言葉に、恵は頬をほんのりと染め、頬を緩ませた。
「うふふ、ありがとうございます、鉄太さん。これ、椿が買ってくれたの」
「椿ちゃんが? いやあ、記憶喪失になってから人が変わったとは聞いていたものの、珍しいこともあるもんだ」
「椿は元々優しかったのよ」
西日の差す裏庭。
夕暮れの光が二人の影を寄り添うように長く伸ばし、二人の仲をより親密に見せている。
柱の陰に身を隠した椿は、二人の会話を聞きながら、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
(だ……誰なのよその男は。そこをどきなさいよ! 恵お姉様は煌夜暁臣と結ばれる運命なのよ!?)
目の前の男――鉄太は、恵や椿と同じくらいの年だろうか。
浅黒い肌にきりりとした眉の精悍な顔立ちの若者は、屈託のない笑顔を浮かべ、恵とさも親しそうな様子で笑い合っている。
日焼けした腕は逞しくまるで野を駆ける獣のようで、色白の暁臣の貴族的な美しさとは正反対の、どこか野性味を感じさせる好男子だ。
もし仮に令和の世で出会ってたのなら、椿も彼に好感を持ったかもしれない。
だが今の椿からしたら、大事な姉に近づくどこの馬の骨とも分からぬ男である。
椿は無意識に拳を握りしめ、男をきつい視線で睨みつけた。
「あら、椿」
恵がふと振り返った。その声にはっとして、椿は無理に笑みを作った。
「あら、お姉様、こんなところにいらしたの。暁臣様がいらっしゃったから早く行きましょう」
言うなり、椿はぐいと恵の腕を取った。
一刻も早く、この男と恵を引き離したかった。
「ごめんなさい、今行くわ。鉄太さん、それじゃ私、もう行くわ」
恵が少しよろけながら鉄太に頭を下げる。
椿はほっと息を吐いた。
「そうか。では俺はこれで失礼するよ。長居して悪かった。暁臣さんによろしく言っておいてくれよな」
鉄太は口に苦笑いを浮かべ、恵に手を振り返した。
「ええ」
恵は柔らかく笑い、どこか名残惜しそうに手を振った。
鉄太はしばらくその姿を見つめた後、静かに背を向け、去って行く。
風が吹き抜け、落ち葉がひとひら、彼の後ろ姿に舞い落ちる。
椿はその背を睨みつけたまま、唇を噛み締めた。
胸の中にモヤモヤした感情が膨らんでいく。
(お姉様、どうしてあの男にあんなに優しい笑顔を向けるの? お姉様には、煌夜暁臣がいるのに。お姉様は、暁臣さんと結ばれる運命なのに――)
「い……急ぎましょう」
鉄太が去ったのを見届けたあと、椿は恵の腕をぐいと引っぱった。
「ええ、そうね。ごめんなさい。つい立ち話をしてしまったわ」
恵は頭を下げると、椿と共に走り出した。
ふたりの影が、長い廊下の上をぱたぱたと揺れる。
無言の足音だけが響くなか、椿は胸の奥で無性に落ち着かない気持ちを感じていた。
さきほど見た鉄太とかいう青年が、どうにも頭を離れない。
あの男は、恵に気があるのではないか。そんな予感が胸をよぎる。
二人は一体どういった関係なのだろう。
途中、いてもたってもいられなくなり、椿は恵の横顔に声をかけた。
「ねえ、今の方ってどなた? お姉様とはどういう関係なの?」
恵は一瞬きょとんと目を瞬かせ、それからふわりと微笑んだ。
燭台の灯りに照らされた恵の頬が、桃の花びらのように淡く染まる。
「ああ、椿は覚えていないのね。風祭鉄太さん。私たちの幼馴染よ」
幼馴染。
椿は思わず立ち止まり、眉をきつく寄せた。
「風祭」の名は、令和の世でも耳にしたことがある。
風を操る力を代々継ぐ一族で、この土地の古い名家のひとつだ。
(古くからある呪術名家の一つではあるけれど……華族の称号を持ち、巨大な権力を握る煌夜家とは比べ物にならないわ。お姉様の運命の人は呪術界の頂点である煌夜暁臣なのよ!)
椿はぎりりと歯を噛んだ。
胸の奥で焦りと苛立ちがふつふつと湧き上がって来る。
(見てなさい。私が二人をくっつけて、今までお姉様をないがしろにしてきたお父様とお母様をあっと言わせるんだから! 他の人には邪魔はさせないわ!)
椿は心の中で強く決意すると、恵の手を強く握り直し、両親と暁臣の待つ夕食会の会場へと足を速めた。
やがて扉の向こうから、食器の触れ合う微かな音と、香ばしい夕食の匂いが漂ってきた。




