15.晩餐会の夜
そして黒百合家の晩餐会の夜。
黒百合家の前に、当時ではまだ珍しい自家用車を乗り付け、煌夜暁臣はやって来た。
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
高価な黒いスーツを身に纏い、胸元にハンカチを刺した暁臣は、まるで少女の夢物語から飛び出してきた王子様のように見えた。
「まあまあ、よくいらっしゃいました!」
「ささ、さっそく中へどうぞ」
椿の両親は、上機嫌に暁臣を迎え入れた。
だが、そこに椿の姿はない。
「おい、椿はまだ着替えているのか?」
父親が苦々しくつぶやく。
母親は苦笑しつつも父親をなだめた。
「あなた、女の子の準備は時間がかかるものよ。もう少し――」
そう言いかけたその時、がらりと襖が開いた。
「お待たせいたしましたわ!」
突如現れた椿の姿に、その場にいた全員が目を見開いた。
それもそのはず。椿が身に纏っていたのは、胸元に大きな金ボタンがついた、ワインレッドのワンピースだったのだ。
「どうです? このミニスカート。似合うでしょう?」
椿は小首を傾げた。
ミニスカートとは言っても、せいぜい膝丈くらいで、令和からやって来た椿からしたら全く短くは感じない代物だ。
だが当時の人の常識からしたら破廉恥極まりなく映ったに違いない。
両親の顔からさっと血の気が引くのが見てとれた。
それに何より皆が驚いたのは、椿の髪形だった。
胸下まであったはずの椿のロングヘアーが、肩の上でバッサリと切られボブヘアーになっていたのだ。
まるで雑誌の中から抜け出したような、流行最先端のモダンガールの装いに、その場に居合わせた全員が声を失う
「つ……椿」
椿は心の中でほくそ笑んだ。
(どうやらうまくいったようね。暁臣さんに嫌われるためなら、これくらい派手にやらなくちゃ!)
「椿……これは一体どういうつもりなの!?」
「お前、その格好は一体……!」
母の顔が真っ青になり、父も鬼のような形相になる。
それもそのはず、平安時代から続く由緒正しい呪術師一族の黒百合家の娘が、ミニスカートにショートカットで婚約者の前に現れるなど前代未聞なのだから。
椿は背筋を伸ばしたまま、笑顔で答えた。
「時代は変わるものですわ。私も、少し自由になってみたくなりましたの」
胸に手を当て、椿は暁臣のほうを見た。
「ねえ、暁臣様」
真っ赤なルージュが蝋燭の明かりを反射して鮮やかな椿色に光る。
この時代、まだまだ新しい髪形や服装の女性に対する風当たりは強い。
女学校で薫子や梅子に伝え聞いた噂によると、断髪をしただけで婚約破棄された女性もいたらしい。
ましてや暁臣は華族で上流階級のお坊ちゃまだ。
きっと考えも保守的だろうし、こういった最先端のファッションなど好まないに違いない。
ひょっとすると暁臣も「こんなはしたない恰好をする女とは婚約破棄する」と言ってくれるかもしれない。
椿は期待の目で暁臣を見つめた。
暁臣はというと、少し驚いたように、静かに椿の姿を見つめていた。
彼の視線が髪を、スカートの裾を、そして椿の瞳をゆっくりとたどる。
そして椿と目が合った暁臣は、口元に柔らかい笑みを浮かべた。
「――ああ。良く似合っている」
「え?」
想像もしなかった返事に、思わず椿は顔を上げた。
暁臣は少し熱っぽい瞳で椿を見つめると、おもむろに口を開いた。
「髪を切ったんだな。とても似合っている。前よりずっと君らしい」
かあっと椿の顔が熱くなる。
(ど……どうして……)
いったいこの人は何を考えているのだろう。
「……どうも」
椿はぶっきらぼうに頭を下げ、横を向いた。
(よくよく考えたら、今の言葉は客として晩餐会の雰囲気を壊さないための方便かもしれないわね。きっと後で家に帰ってから婚約破棄の手紙が届くんだわ。きっとそうよ)
そう思い、椿は暁臣の言葉を頭の隅に追いやり、特に気にしないことにした。
「ところで今日は、お姉さんは?」
暁臣の穏やかな声に、椿ははっと顔を上げ柱時計を見た。
(そうよ、恵お姉様! きっとお姉様を見たら考えが変わるに違いないわ。何せ今日のお姉様はとびきり上品で綺麗で可愛らしいんですもの……!)
だが着物の着付けは、確かに婆やに任せておいたはずなのに、こんな時間になっても姿を見せない。一体なぜだろう。
「ああ、あの子なら別に――」
母の言葉を最後まで聞く前に、椿は勢いよく廊下を駆けていった。
「私、お姉様を呼んできますわ。待っててください、お姉様ーーっ!」
紅椿の刺繍が施された袖が、疾走のたびに風を切る。
(まったくもう、お姉様ったら! よりによってこんな大事な晩餐会の日に!)
胸の奥に焦燥と苛立ちが入り混じる。
恵がシンデレラガールになれる千載一遇のチャンスだというのに、一体どこで何をしているのだろう。
「お姉様、何してるの!?」
椿は勢いよく恵の部屋の襖を開け放った。
しかし、そこには誰の姿もない。几帳面に畳まれた着物と、鏡台の前に置かれた櫛だけが残されている。
(いったい何してるの、こんな重要な時に――)
椿は額の汗を一つ拭うと、屋敷中を駆け回った。
廊下の障子を開けては閉め、庭の方へも足を向ける。
「お姉様……お姉様ーっ!」
そして、ようやく台所裏の勝手口のあたりで、人影を見つけた。
「お姉様……」
その瞬間目に映ったのは、見慣れぬ若い男と話す恵の姿だった。
渋茶色の和服に身を包んだ男は、恵とやけに親しそうに見える。
椿はぎりりと歯を噛んだ。
(だ、誰なのよ、その男は――!)




