13.椿のたくらみ
――コンコンコン。
すると戸を叩く音が部屋に響き、続いて母親の声がした。
「話は聞いたわよ。椿ちゃん、暴漢に襲われたのですって!?」
椿はびくりと身体を震わせ、慌てて身を起こした。
「え、ええ。でも大丈夫よ。大した怪我ではないし、通りかかった方に助けていただいたの」
「通りかかった方?」
その一言に、母親の目が鋭く光る。
視線はすぐに椿の手元――純白のハンカチへと吸い寄せられた。
「そのハンカチは見覚えがないわね。もしや、その方からいただいたの?」
「え、ええ。恐らく煌夜暁臣さんかと思うのだけれど」
椿がおずおずと刺繍を見せると、先ほどまでの心配が嘘のように母の顔がぱっと輝いた。
「あらあら、まあまあまあ……煌夜暁臣様に助けていただいたの!」
「え、ええ、そうなの」
椿の答えに、母親は興奮を隠しきれないように手を合わせる。
「あらそうなの! あなたは覚えていないかもしれないけれど、暁臣様はこの国きっての名門呪術師一家である煌夜家の後継ぎで、貴女の婚約者なのよ!」
母親が誇らしげな笑みを浮かべ、椿の手を取った。
母親が言うには、煌夜家は呪術師の名門一族の跡取り息子なのだという。
しかもそれだけでなく、暁臣の父親は公爵の爵位を有す華族で、母親は煌月女学園を始めとするいくつもの会社を経営している大資産家なのだという。
まさに地位も力も名誉も財産も美しさも、そのすべてを兼ね備えている存在、それが暁臣だということらしかった。
「そんな凄い人が私の婚約者なの?」
椿は信じられないように声を震わせた。
「ええ。そうよ、美しくて聡明なあなたにぴったりの婚約者でしょ」
母の瞳は野心でぎらぎらと光っていた。
どうやら母親は、この縁談にかなり乗り気らしい。
だが椿の心は反対にずんと沈んでいた。
自分が暁臣と婚約したままでは、恵と暁臣の仲を取り持つことはできない。
ここは何としても婚約破棄する方向で話を進めなければ。
椿は母親におずおずと切り出した。
「あの……せっかくですが、私は暁臣様ほどの方と結婚できるほどの娘ではありませんわ」
「えっ?」
「私にはもっとこう……庶民的なと言いますか、普通のお相手のほうが気負わなくてよいのですが」
おそるおそる椿が告げた瞬間、先ほどまで紅潮していた母親の頬がすっと青ざめ、視線が鬼のように冷たくなった。
「まあ、何を言うの! あなたほど暁臣様にふさわしい娘はいないわ! それにこの縁談は向こうの家から申し込まれたのよ」
「向こうから?」
「ええ。なんでも、暁臣様のお婆様であるツネ様の占いで黒百合家の娘が良いと出たのだとか。うちにはその縁談を断る権利なんかないのよ」
母の声音には、有無を言わせぬ力がこもっていた。
「そう……だったの」
椿は思わず視線を畳に落とした。
だがそんな椿の気持ちなど知る由もなく、母親は天にも舞い上がらんばかりの様子でこう提案した。
「そうだわ、ハンカチのお礼に暁臣様を我が家のお夕食会にお招きしてはどうかしら。さっそくお父様に相談してみるわね」
意気揚々と部屋を出て行く母親に、椿は大きなため息をついた。
黒百合家だって歴史ある呪術の名家だし、財産も周りの家よりはある。
だが煌夜家のように華族の称号があるわけでもなければ、大きな事業をやっているわけでもない。
煌夜家と黒百合家では、家の格の差は歴然としている。
確かにこちらから縁談を断るのは難しいのだろう。だとしたら――。
(こうなったら、向こうから縁談を断るように仕向けるしかないわね)
椿は赤い唇をきゅっと引き締めた。
そうだ。何とか策を練って、この婚約を向こうから破棄させるように仕向ける。
そして何としてでも恵と暁臣が結婚できるようにしなくては。
***
あくる日の午後。
授業が終わるやいなや、椿は恵の教室に行き机に駆け寄った。
「恵お姉様、一緒に帰りましょう」
まわりの生徒たちがざわめく。恵は小さく瞬きをして驚いたように椿を見つめる。
恵からしたら、椿と関われば注目を浴びるし、また誰かに嫌がらせされるかもしれないので迷惑かもしれない。
だが椿には、恵とどうしても一緒に帰らなくてはならない理由があった。
「え……でも」
「さ、行きましょ」
椿はためらいもなく恵の手を取ると、強引にその腕を引っぱった。
「え、ええ」
恵は椿の勢いに気押され、渋々一緒に歩きだした。
「一体どうしたの、椿」
「いいから。今日は私の買い物に付き合ってちょうだい。確か、この近くに百貨店ができたわよね? そこに行ってみたいから案内してほしいの」
恵は一瞬困ったように眉をひそめたが、椿の瞳の強い光に逆らえなかった。
「え、ええ。分かったわ」
小さな声でうなずく恵。その声音にはまだ迷いがにじんでいた。
「じゃあ、決まりね」
こうして二人は手をつなぎ、女学校を後にした。
石畳の道を抜け、街角を曲がると、視線の先に白亜の建物が見えてきた。
二人の目的地は、近所に最近できたばかりの百貨店だ。
窓枠に施された装飾や重厚な柱。
欧米のルネッサンス様式を思わせるその百貨店は、陽の光を受けて白くきらめいていた。
「お姉様、ここで買い物をしましょう!」
椿は手を広げ、恵に提案した。




