表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
50/55

第5話 カイルの仕事(前編)


 帝国の街は、静かだった。


 静かすぎた。


 カイルは、クラリスと並んで石畳の通りを歩きながら、その静けさの質を測っていた。王都アスカーニエンも、朝は静かだ。しかしあちらの静けさは、賑わいが始まる前の「準備中の静けさ」だ。帝国の静けさは、違う。賑わいを避けているような、どこか息を詰めた静けさだった。


「カイルさん、帝国の街って、こんなに静かなのですか?」


 クラリスが、小声で聞いた。自然と声が小さくなってしまうような空気が、街全体に漂っていた。


「いつもこうなのか、今だけこうなのか、まだ分からない」


「今だけ、ということはありますの?」


「ある」


 カイルは、道行く人々の顔を一人ずつ確認していた。目が合うと、すぐに逸らされる。不審に思っているのか、それとも外国人を警戒しているのか。どちらでもなく、ただ誰とも目を合わせたくないのか。


「この街は二つに割れている」


「二つ、ですか?」


「保守派と革新派だ。同じ街の中で、互いを避けながら生活している」


 クラリスが、辺りを見渡した。


「見た目では分かりませんわ」


「酒場を見ろ」


 通りに面した酒場が、左右に一軒ずつある。右の酒場は老舗らしく、重厚な石造りだ。左の酒場は新しく、入り口が開け放たれて明るい雰囲気だ。右の酒場には年配の客が多く、左には若い客が多い。


「右が保守派、左が革新派だ。おそらく」


「お酒を飲む場所まで、分かれているのですか」


「意識してそうしているわけではないだろう。ただ、自然にそうなっている」


 クラリスが、その光景を見ながら黙った。




 昼前、カイルは一人で動いた。


 クラリスを街の広場のベンチに待たせ、路地の奥へと向かった。フリーダから事前に教えてもらっていた場所だ。革新派の連絡役が、昼前に必ずここを通るという。


 路地の突き当たりに、小さな雑貨屋があった。


 カイルは、店先に並んだ木箱を眺めるふりをしながら、フリーダに教わった合言葉を店主に告げた。


「北の苔は、まだ青いか」


 店主が、一瞬だけ目を細めた。それから、何事もなかったように答えた。


「もう少し待てば、青くなる」




 店主が「少し待て」と目で示した。カイルは木箱を眺め続けた。


 五分ほどして、店の奥から若い男が出てきた。二十代前半で、醸造師の革のエプロンをつけている。


「外国の騎士か」


「ああ」


「フリーダの紹介か」


「そうだ」


 若い男が、周囲を素早く確認してから、カイルの隣に並んだ。木箱を眺めるふりをしながら、小声で話した。


「保守派が、外国人の動きを監視している。醸造院の中で何かが起きていることは、街にも伝わっている」


「どんな話が広まっている?」


「外国人の令嬢が、帝国の醸造院に乗り込んで、院長と対峙しているという話だ。院長が三日間、醸造室を開放したという話も」


「それは、保守派の耳にも入っているか」


「当然だ。ケッセル侯爵の動きが、昨日から活発になっている」


「ケッセル侯爵?」


「保守派の中心人物だ。帝国宮廷の重鎮で、院長の方針を支持している。…その侯爵が、昨日から側近を街に出して、情報を集めている」


 カイルは、その情報を頭に刻んだ。


「院長に直接働きかける可能性はあるか」


「ある。というより、すでに動いているかもしれない」


「醸造院の中への連絡手段はあるか。フリーダへ伝えたい」


「夜の集まりを使う方法があるが、日中は難しい」


「夜で構わない。今夜、集まりに参加できるか」


「外国の騎士が来れば、目立つが」


「俺ではなく、あの女が行く」


 若い男が、少し驚いた顔をした。


「あの、小さな女か。何もできないように見えるが」


「できる」


 カイルは、それだけ言った。




 広場に戻ると、クラリスがベンチに座ったまま、辺りを観察していた。その目が、思ったより鋭かった。


「カイルさん、どうでしたか?」


「ケッセル侯爵という人物が動き始めている。レオノーラたちに伝える必要がある」


「ど…どうやって伝えますの?」


「今夜の革新派の集まりを使う。お前に行ってもらいたい」


「わたくしが?」


「フリーダと繋がっている。外国人の女が来ても、あの集まりなら受け入れてもらえる」


 クラリスが、少し考えてから頷いた。


「分かりましたわ。…カイルさんは?」


「北部の森へ行く。フリーダが頼んでいた苔を取ってくる」


「一人で大丈夫ですか?」


「俺のことは心配するな」


「でも」


「お前こそ、一人で大丈夫か」


 クラリスが、背筋を伸ばした。


「お任せください。私だってやれば出来るのですから!」


 カイルは、その言葉を聞いて少し黙った。



 そして、クラリスを見た。


 王都を出た頃と、少し顔が違う。自信とまでは言えないが、根拠のある落ち着きが、その顔に滲んでいた。


「分かった。何かあれば、夜の集まりの場所で落ち合う」


「はい」


「無理はするな」


「カイルさんこそ」




 カイルが北部の森へ向かう前に、もう一か所立ち寄った。


 街の外れにある、小さな食堂だ。革新派の連絡役が、昼食をここで取ると言っていた。情報をもう一つだけ確認したかった。


 食堂に入ると、革新派の若い男がすでにいた。カイルが向かいに座った。


「ケッセル侯爵の動きについて、もう少し教えてくれ」


「昨日、侯爵の側近が醸造院を訪問したという話が出ている。院長と会ったかどうかは分からないが」


「目的は何だと思う?」


「外国人を追い出すことだろう。侯爵は、院長が外国人に醸造室を開放したことを、快く思っていない」


「院長自身は、どう思っているんだ」


「それは誰にも分からない。…院長は、自分の考えを外に出さない人だから」


 カイルは、料理を頼みながら考えた。


 ケッセル侯爵が動いている。三日間という期限の中で、外から圧力がかかる可能性がある。レオノーラたちが醸造室で作業をしている間に、状況が変わるかもしれない。


「最後に一つだけ聞く。革新派は、外国人の令嬢を信頼しているか」


 若い男が、少し間を置いてから答えた。


「昨夜の集まりで話を聞いてから、変わってきている。…あの令嬢が言ったことが、頭に残っている者が多い」


「何を言ったんだ」


「戦い方の話ばかりで、造りたいものの話をしていない、と言われた。…図星だったから、言い返せなかった」


「それで、信頼するようになったか」


「正確には、信頼するかどうかを考えるようになった。…それだけでも、昨日の朝とは違う」


 カイルは、料理を一口食べた。


 帝国の食事は、王都より素朴で塩辛かった。しかし悪くはなかった。


「分かった。ありがとう」


「外国の騎士は、令嬢の護衛か?」


「まあ、そういうものだ」


「令嬢を信頼しているか?」


 カイルは少し考えてから、答えた。


「している」


「なぜ?」


「あの人は、ジョッキを持った時に一番良い顔をする。…それだけで、十分だ」


 若い男が、その言葉の意味を少し考えてから、小さく頷いた。


「…そうか」




 食堂を出て、カイルは北部の森へ向かう道へ足を向けた。


 馬で半日の距離だ。往復すれば、夜には戻ってこられる。


 馬に跨りながら、カイルは帝国の街を振り返った。


 石造りの建物が整然と並んでいる。白い息を吐きながら歩く人々。そして、どこか息を詰めた空気。


 その街の中で、レオノーラが動いている。捕まっていながら、醸造室で一杯を造っている。フリーダと革新派の若者たちを巻き込みながら、帝国という巨大な頑固さに、一杯で向き合おうとしている。


「…相変わらずだな」


 独り言のように呟いた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ