表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
48/55

第4話 地下の革命家(前編)



 醸造作業の二日目が始まった。


 地下醸造室には、朝から三人がいた。イリーナが冷却回路の調整を続け、フリーダが材料の下準備をし、レオノーラが全体の工程を管理している。昨日より動きが滑らかだ。三人の役割分担が、自然に定まってきていた。


 廊下には、約束通りハインリッヒが立っていた。保守派の醸造師で、昨日「監視する」と言い残して去った男だ。今朝から醸造室の扉の外に陣取り、中の様子を時折覗いている。


 レオノーラは、その視線を背中で感じながら、麦芽の状態を確認していた。


「…ハインリッヒさん、中に入って見ていただいても構いませんわよ」


 廊下から、返事はなかった。


「おーほっほっほ! 遠慮しなくていいのに」


「お嬢様、刺激しないでくださいまし」とイリーナが言った。


「刺激ではなく、招待していますわよ」


「結果は同じですわ」




 昼前、仕込みの工程が一段落した。


 フリーダがお茶を三人分持ってきた。帝国では、醸造師が仕込みの合間に飲む習慣があるらしい。ハーブを乾燥させたものを、熱い湯に浸した素朴な飲み物だ。


 三人が作業台の端に並んで座った。


「フリーダ、一つ聞いてもよろしいですか」


 レオノーラが、お茶を一口飲みながら言った。


「なに?」


「貴女は、なぜ革新派に入りましたの?」


 フリーダの手が、カップの上で止まった。


「イリーナがいなくなったから、って昨夜言ったじゃない」


「それは、きっかけですわ。本当の理由を聞いていますわよ」


 フリーダは少し黙った。窓のない地下醸造室で、三人の間に静寂が流れた。冷却回路の微かな稼働音だけが、その静寂を満たしていた。


「…昔、提案したことがあったんだ」


 フリーダが、ゆっくりと話し始めた。




「帝国の北部に、特別な苔が生えている場所があってさ。春先に採れる苔で、乾燥させると独特の香りがするんだよ。ホップとは全然違う、もっと土に近い、深い香りで」


「苔を、醸造に使うのですか?」


「使えると思ったんだよ。帝国の素材だけで、帝国にしかできない一杯が造れると思って。…それで、エルスベート院長に提案したんだ」


「どうなりましたの?」


「一言で却下された」


 フリーダが、お茶を一口飲んだ。その表情が、少し遠くなった。


「『帝国の醸造に、実験は必要ない』って言われた。それだけ。理由も、代替案も、何もなし。…その一言で終わりだった」


 イリーナが、視線を落とした。


「…お母様らしいですわ」


「イリーナは知ってたの?」


「知りませんでしたわ。でも、その反応は想像できますわ」


「そうだよね」


 フリーダが、苦笑いした。


「その日から、革新派に近づいていったんだ。自分のアイデアを試せる場所を探してさ。…でも」


「でも?」


「革新派は、そういう場所じゃなかった」




「どういう意味ですの?」


 レオノーラが、静かに聞いた。


「革新派って、名前は革新だけど、やってることは保守派への反発ばかりなんだよ。エルスベートを批判して、帝国の伝統を否定して、外の技術を取り入れろって叫んで。…でも、新しい一杯を造ろうって話は、ほとんどしないんだ」


「なぜですの?」


「保守派に弾圧されて、材料も場所も制限されてるから、実際には造れないんだよ。だから自然と、議論が批判に向かっていく。…わたくし、それに気づいた時、少し幻滅したんだ」


 レオノーラは、フリーダの顔を見た。


 幻滅、という言葉を使いながら、しかしフリーダはまだ革新派にいる。それはなぜか。


「それでも、革新派にいるのはなぜですの?」


「他に、行ける場所がなかったから」


 フリーダが、素直に答えた。


「保守派には戻れない。でも、革新派の中でも浮いてる。…どこにも居場所がない感じ、ずっとしてた」


「今は?」


「今は、まあ…」


 フリーダが、醸造室を見渡した。


「ここにいるから、良いかな、って」


 レオノーラは少し考えてから、言った。


「で、フリーダ。貴女のやりたいことは何ですの?」


「ん?さっき言ったじゃない。帝国の素材だけで、帝国にしかできない一杯を造りたい」


「その苔の一杯、まだ試したいと思っていますの?」


「思ってるよ。…でも、材料も場所も」


「三日間、この醸造室が使えますわよ」


 フリーダが、目を丸くした。


「それは、アイスボック・インペリアルの作業があるから」


「並行してできますわよ」


「無理だよ、二つ同時には」


「わたくしとイリーナがアイスボックを担当しますわ。フリーダは、その苔の一杯を試してみなさいな」


「でも材料が…」


「苔は、どこで手に入りますの?」


「帝国の北部の森だけど、ここから馬で半日かかる」


「カイルに頼めば、取ってきてくれますわよ」


「カイルって、あの外の騎士?」


「ええ。今頃、街で情報収集していますわ。使いを出せば、足を延ばしてくれますわよ」


 フリーダは、しばらく黙っていた。


 自分のアイデアを、誰かに「試してみなさい」と言われたのは、初めてだった。エルスベートには却下された。革新派の仲間たちには、そういう話をする余裕がなかった。


「…本当に、良いの?」


「良いですわよ。…ただし」


「ただし?」


「完成したら、わたくしにも一杯くださいまし」


 フリーダが、少し笑った。


「それだけ?」


「それだけですわよ。おーほっほっほ!」




 イリーナが、二人のやり取りを聞きながら、静かに言った。


「フリーダ、一つ聞いても良いですか」


「なに、イリーナ」


「その苔の提案を却下された時、わたくしに話してくれれば良かったのに」


「…言えなかったよ」


「なぜ?」


「イリーナは天才だから。天才に、こんな素朴なアイデアを話したら、笑われると思って」


 イリーナは、少し黙った。


「笑いませんわよ」


「今だから言えるんじゃない?」


「…そうかもしれませんわ」


 イリーナが、認めた。


「帝国にいた頃のわたくしは、外のものを低く見ていましたわ。フリーダのアイデアも、きちんと聞かなかったかもしれませんわ」


「自覚はあったんだ」


「今だから、ありますわよ」


 二人が、少し笑った。


 レオノーラは、その様子を眺めながら、扇子を開いた。


「二人とも、長い付き合いですのね」


「幼馴染だから」とフリーダが言った。


「ずっと一緒にいたのに、話せなかったことがあったのですわね」


「そういうもんだよ、幼馴染って。近すぎて、言えないことがある」


「なるほど」


 レオノーラは扇子を閉じ、立ち上がった。


「では、カイルへの使いを出しますわ。苔を取ってきてもらいましょう」


「本当にやるの?」


「当然ですわよ。…フリーダ、貴女の一杯も、わたくしは楽しみにしていますわよ」


 フリーダが、少し照れくさそうに頭を掻いた。


「…変な人だよ、あなたは本当に」


「よく言われますわ」


 醸造室に、小さな笑いが広がった。


 廊下では、ハインリッヒが相変わらず立っていた。しかしその表情が、朝より少しだけ、和らいでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ