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3-4 迷い子たちの肖像【ザラメ砂糖三代記】  作者: maki_senokouji


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第2話 夕闇

 葛西臨海公園の広大な敷地で、大人たちの背中を見失った三姉妹。五歳の凜は、押し寄せる不安を小さな胸の奥に押し込め、いま自分ができる最善の策を練ります。


 凜は機敏に周囲を見回し、大人たちの足が絶え間なく行き交う向こう側に園内地図の大きな看板があるのに気づきました。

 「いい、二人とも。よく聞いて」

 看板の前で妹たちに言い聞かせる凜の語尾は、かすかに震えていましたが、その響きには決然とした意志が宿っていました。

 「私、あっちにある公園の管理事務所に行って、迷子の放送をしてもらう。でも、ここからだと結構遠いの。三人でこの距離を歩いて、もし暗くなってから途中でまた誰かがはぐれたら、今度こそ大変よ」

 凜は、近くにあった木製のベンチを指差しました。

 「あんたたちはここで、座って待ってなさい。いい? 絶対に、ここから動いちゃダメよ」

 茜は、すでに目に涙を溜めて、凜の服の裾を強く握りしめていました。一方、まさ子は、状況を把握しているのかいないのか、いつもの「ふわふわ」とした微笑みを浮かべて姉を見上げました。

 「大丈夫よ、凜姉さま。このあいだ幼稚園でも、先生から、迷子になったらその場から動かないようにって、教わったのよ。凜姉さまこそ、気をつけてね」

 その、あまりに落ち着いた物言いに、凜は一瞬だけ拍子抜けしたような顔をしました。けれど、その冷静さに救われる思いで、凜は小さく頷きました。

 「……わかったわ。できるだけ早く、ここに迎えに来てもらえるようにするから。絶対に、動かないでね」

 凜は翻るようにして、大人たちの波の中へと消えていきました。残されたのは、夕暮れが近づく公園の片隅、ポツンと置かれたベンチに座る二人の幼い影でした。


 「……ううっ、……ひっく」

 凜の姿が見えなくなってものの数分。茜の我慢が限界を迎えました。

 「まあちゃん……怖いよぉ……。みんな、いなくなっちゃった……。お父さまぁ……」

 茜のしゃくり上げる声が、潮風に混じって寂しく響きます。四歳の彼女にとって、頼れる長女が去った後の静寂は、何よりも恐ろしいものでした。

 その時、隣に座るまさ子が、茜の震える手に、自分の温かく小さな手をそっと重ねました。

 「茜ちゃん、見て。あの夕日の色、すごいわ! こんな色、滅多に見られないよ。きれい!」

 まさ子の指さす先には、燃えるような橙色と、深い紫が溶け合う、圧倒的な極彩色の空が広がっていました。まさ子の声には、恐怖の色など微塵もありませんでした。彼女の瞳には、ただただ世界の美しさだけが映っていたのです。

 「……え?」

 茜は涙を拭いながら、つられて顔を上げました。まさ子のあまりに純粋な感嘆に、茜の心の中にあった「怖い」という感情が、ほんの少しだけ脇へ押しやられました。

 「ねえ、まあちゃん。……怖くないの?」

 茜は不思議そうに尋ねました。自分はこんなに胸がつぶれる思いなのに、妹はどうして笑っていられるのだろう。

 「ぜんぜん。大丈夫よ、必ず叔父さまが迎えに来てくれるから」

 まさ子の声には、一点の曇りもありませんでした。それは幼い子供らしい無邪気さというより、もっと根源的で、揺るぎない確信に近いものでした。

 「どうして分かるの?」

 「なんとなく。叔父さまだもの」

 まさ子はただ、ふわふわと笑っていました。そこには根拠も理屈もありません。けれど彼女の中には、自分たちがどんなに遠くへ行こうとも、邦明という存在が必ず自分を繋ぎ止めてくれるという、確固とした信頼があるようでした。


 その頃、邦明は努めて冷静、かつ迅速に動いていました。

 いつも三人の子供たちに持たせているGPS発信機の信号それぞれの誤差。人混みや地形による微かな影響を、彼は計算し、解析プログラムで三人の居場所を割り出していました。

 管理事務所から迷子の放送が流れる少し前。夕闇が濃くなり始めたベンチに、長い影が落ちました。

 「……叔父さまぁ!」

 振り向いて邦明の姿を認めた瞬間、茜はベンチから飛び降り、彼の足にしがみついて泣きじゃくりました。これまでの不安が、一気に安堵の涙となって溢れ出したのです。

 対照的に、まさ子はニコニコと座ったまま、邦明を見上げています。

 「叔父さま。すごい景色が見られたんです」

 邦明は、茜の背中を片手で優しくトントンしながら、まさ子の前で屈み込んで目線を合わせました。その表情は、いつになく厳しいものです。

 「まさ子。お前、怖くなかったのか?」

 「必ず叔父さまが来て下さると思ってましたから」

 まさ子のその答えに、邦明は奥歯を噛み、彼女の小さな肩を両手でしっかりと掴みました。

 「……そりゃ行くが、俺が間に合わなくて、取り返しのつかないことだってあるんだぞ」

 邦明の声は、低く、冷徹に響きました。

 「叔父さまが間に合わなければ、諦めます」

 その瞬間、邦明の瞳に鋭い色が宿りました。

 「まさ子。俺を信じすぎるな。必ず自力でなんとかする算段を立てておけ。お前が自分自身を救う気でいないと、俺が助けようとしても、どうしようもない時がでてくる。それで後悔するようなことはまっぴら御免だ……それが俺のためだと思え。わかったか」

 まさ子は、叔父のこれほどまでに厳しい声を初めて聞きました。その瞳に少しだけ涙が溜まりましたが、彼女は素直に、叔父の言葉をその胸に刻みました。

 「……はい、分かりました。でも……必ず、叔父さまが助けに来て下さるのですよね?」

 「当たり前だ」

 邦明はそう短く答えると、ようやく表情を緩め、泣き止まない茜を抱き上げました。茜は邦明の胸に顔を埋め、ヒクヒクと甘えて鼻を鳴らしています。


 「次は凜だな」

 ちょうどその時、公園のスピーカーから、放送が流れ始めました。

『……迷子のお知らせをいたします。五歳の、山本凜さんが、公園管理事務所でお待ちです……』

邦明は、まさ子の手を握り、茜を抱えたまま、凜の待つ場所へと歩き出しました。

「凜は一人で管理事務所に行ったか。……さすがあいつらしい、いい判断だ」

邦明の呟きに、まさ子は小さく頷きました。彼女は知っていました。凜という姉が、自分たちを守るために孤独な戦いを選んだことを。


(了)

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