第九十四話 芋粥の切り札
那古野城。
冬の乾いた風が石垣を叩いていた。
門をくぐると、
知らせを受けた政成とお悠が出迎える。
「お帰りなさいませ、弥八様」
お悠は一歩進み、深く頭を下げた。
その後ろで、政成も静かに控えている。
「松丸とお会いなさいますか?」
「いや、後でよい」
秀政は即答した。
「先に皆を集めてくれ。
これからひと月ほどは那古野にいる」
お悠の目がわずかに揺れる。
「……何かございましたか?」
「殿から別の任を受けた」
その一言で、空気が変わった。
秀政は無言で、本丸・主殿に向かう。
政成とお悠は不安そうにその後を追った。
上段の間の上座に秀政が座る。
部屋の空気が引き締まる。
「浅野達を呼び戻してくれ。
村瀬は呼んであるが、到着したか?」
「は」
お悠が小姓に命じて呼びにやると、
廊下の奥からひょこりと顔が出た。
「お呼びとあらば」
村瀬である。
そして浅野も居る。
「いや、戻っておりまする。
大殿様の命で、各所の守りは勘九郎様の兵に引き継ぎました」
「そ、そうか」
秀政は苦笑した。
「早く行けという殿の圧を感じるな……」
(逃げ場、完全に塞がれてるじゃねぇか)
村瀬がにやりと笑う。
「何やら厄介な任務のようですな。
ですが、圧は感じるうちが華ですぞ」
一瞬困った顔をした秀政は、
咳払いして続ける。
「那古野から出陣を命じられた。
準備を整え、二月半ばには出立する」
浅野が首を傾げる。
「出陣……長島にございますか?」
「いや」
秀政は首を振る。
「先に簡単な方から処理する」
皆の視線が集まる。
「清隆、早馬を桑名に飛ばせ。
俺は別任務で那古野に籠る。
伊勢惣奉行代理は井口、副将は松親。
滝川殿と協力し長島に当たらせよ。
ただし無理はするな、と伝えよ」
「は!」
浅野が縁側まで行き、忍びに命じた後、
戻って座る。
秀政は深く息を吐いた。
「では本題に入る」
一拍。
「俺の出陣先は――遠江」
静まり返る。
「遠江……?」
浅野の声が低くなる。
秀政は言い切った。
「武田の様子を見よ、と。
一当てして参れとの仰せだ」
「「た……武田ぁ!?」」
皆が一瞬固まったあと、顔を見合わせ、
合唱する。
村瀬が驚きの表情を示す。
政成も顔色を失う。
お悠は息を呑んだ。
(いや、そういう反応になるよな。
俺も内心そうだった)
「おそらく相手は山県昌景。
赤備えを率いる、武田の矛だ」
その名の重さは、戦場に出ぬ者にも伝わっている。
「「あ、あの赤備えですか……」」
再び合唱。
そして、お悠が静かに問う。
「弥八様……勝ち目はございますのでしょうか?
大殿は、弥八様のお命を……軽んじておられるのでしょうか」
秀政は首を振る。
「逆だ。
期待が大きすぎる」
(試されている)
「もちろんただの一当てだ。
深追いはせぬ。
命を持って帰ることが最優先だ」
だが、と続ける。
「激戦になる」
政成が静かに言う。
「……何か策はございますか?」
その目は、不安を押し殺している。
秀政はゆっくりと頷いた。
皆を極力安心させるために、
秀政は自信に満ちた表情を作り、
言い切った。
「ある!
必勝の策だ」
一瞬、皆の顔が明るくなる。
村瀬が身を乗り出す。
「どんな策でござるか?」
秀政は口元を歪めた。
「芋粥には切り札がおる」
浅野が真顔で問う。
「それは……」
「すまぬが、
わしでは切り札になりえぬぞ?」
村瀬が割って入る。
秀政が苦笑いしながら続けた。
「村瀬、お前ではない」
「むぅ。面と向かって否定されると、
それはそれで腹立たしい」
「そう怒るな」
秀政は笑った。
「お前は“俺の”切り札だ」
村瀬が少しだけ誇らしげに胸を張る。
秀政はゆっくりと視線を移した。
「芋粥の切り札はな――義父殿だ」
政成が目を見開く。
「わ、私にございますか?」
「そうだ」
「私は戦働きでは、お役に……」
「立つ」
秀政は断言した。
「よく聞け。俺の策は……」
秀政は皆に策を披露した。
政成は汗をかきながらも納得した表情をしている。
「確かに芋粥らしい戦い方ですね。
しかし時間がかかります」
「そうだ。だから二月半ばまで準備だ」
「な、なるほど」
政成との会話が一区切りしたところで、
浅野も感心したような表情で話しかけた。
「面白い策を思いつかれましたな……。
てっきり商人の手口を使った兵站崩しかと思いましたが、
一本取られました。
はははは」
「そうよ、武田は強い。
そう簡単に兵站を崩せたら徳川殿も負けてはおらん。
度肝を抜いてこそだ。
さて、陣立てだが……。
俺が主将、そして俺の副将に村瀬と義父殿だ」
「「はは!」」
「前衛は浅野お前に任せる」
「お任せあれ!」
「佐治と忍びも連れて行く」
「は!伝えておきます」
「あとは遊撃隊として与力の前田殿が参加される。
この使い道は現地で決める」
「武田……もしこれで奴らと渡り合えたら、
芋粥の名は轟きますな」
「あぁ、そうだな」
(山県昌景か……互角に戦えたら夢のようだな。
会って武勇伝を聞きたいくらいだ……)
だが、すぐに自分を戒める。
(勝たなきゃ意味がない)
「準備を始めるぞ」
芋粥の切り札は、
すでに動き始めていた。




