第六十六話 家臣団補強完了
神崎友清、鷺山利玄――
二人の登用に成功した秀政と松親は、
桑名へと戻ってきていた。
屋敷に入るなり、秀政は肩を回す。
「松親、ご苦労だったな。
……で、神崎友清だが。
使えそうか?」
松親は、あっさりと答えた。
「あー、はい。
使えそうなので、
私の家臣にしました」
「……え?」
秀政が、思わず目を見開いて聞き返す。
「は?」
「義兄上、早い者勝ちです」
「いやいやいや。
それなら俺が先に目を付けていただろうが」
「もう三十貫で召し抱えました」
「……三十貫?」
秀政の目が、わずかに見開かれる。
「若いとはいえ、そこまでか?」
「いえ、馬が合っただけです。
ということで――
譲れません」
「……」
秀政は天井を仰いだ。
「さすがに、
あんな若いのに三十貫は、
俺では払えん……」
一拍。
「まぁ、いい。
許す」
「ありがとうございます」
「その代わりだ。
お前が友清分も含めて、
きっちり成果を出せよ」
「はい!」
そこで松親が、
ふと思い出したように口を開く。
「ところで、田丸郡の北畠行家は、
どうなさいますか?」
秀政は、少し考えた。
「……うむ。
あれは、俺が行こう」
*
伊勢・田丸の外れ。
落ちぶれた武家屋敷が、
冬の風に晒されていた。
かつて名門と呼ばれた面影は、
苔むした石灯籠と、
歪んだ塀にわずかに残るだけ。
秀政は、供を連れず、
ただ一人で門をくぐり、名乗りを上げた。
やがて、十三ほどの少年が顔を出した。
「父に御用でしょうか?」
(……北畠行家は四十七。
末の子か)
「伊勢惣奉行、芋粥秀政と申します。
北畠行家殿にお目通り願いたく」
少年は一度奥へ引き、やがて戻ってきた。
「どうぞ」
通された座敷は、古びてはいるが、
掃き清められ、最低限の体裁は保たれていた。
そこにいたのは――
痩せ細れど、背筋だけは伸びた男。
衣は質素。
だが、その目には、名門の誇りが宿っている。
北畠行家。
「……伊勢惣奉行か。
織田の重臣が、何用だ」
「織田の家臣として参ったのではございませぬ」
秀政は、深く頭を下げる。
「それに、私など重臣でも何でもない。
今日は、ただの若輩として、
行家殿にお目にかかりたく」
行家の目が、秀政を鋭く睨む。
「行家殿ほどのお方が、
このような場所に忍ぶは、
あまりに惜しい」
「帰れ」
行家は、即座に切り捨てた。
「我は誰の家臣にもならぬ。
北畠の名は、土に落ちても北畠だ」
(……強情だな)
秀政は内心で頷く。
(だが、こういう男は、
弱みを突けば逆に反発し、
誇りを踏みにじれば二度と動かん)
「家臣として、ではございませぬ」
「……何?」
「我が子・万丸の師範として。
そして、我が家の“客将”として、
お迎えしたいのです」
行家の目が、揺れた。
「行家殿の雅を、
北畠の礼法と文の作法を、
我が家に授けていただきたい」
沈黙。
やがて、行家が小さく息を吐く。
「……我が雅を、
求める者が、まだおるとはな」
「ここにおります」
「我はもはや、北畠を名乗っておらぬ。
田丸行家、ただの浪人だ」
「名でお迎えするのではありません。
行家殿の“知と雅”をもって、
お迎えに参りました」
行家は、じっと秀政を見つめる。
「……その申し出、受けよう。
この田丸行家が知と雅、
そなたの家に預ける」
秀政は、深く頭を下げた。
「感謝いたします。
那古野に屋敷を用意いたします」
行家は黙って頷く。
秀政がゆっくりと言葉を繋げた。
「……ただし」
行家が、ふと目を細め、言葉を返した。
「まだ、何かあるか?」
秀政は、荒れた屋敷を一瞥し、
静かに告げる。
「田丸家が、
このまま埋もれてしまうのは、
あまりに惜しい」
行家の指が、わずかに震えた。
「先ほどご案内いただいた若武者は、
ご子息ですか?」
「そうだ、我に残された最後の息子、
行房だ」
「やはりそうですか。
では単刀直入に申し上げます。
行房殿を、我が世継ぎ・万丸の小姓として
お預かりしたく存じます」
行家の喉が鳴る。
「……それは」
「田丸家が再び世に出る、
足掛かりとなりましょう」
長い沈黙の末――
行家は、拳をゆっくりと解いた。
「……よかろう。
我が息子、行房を預けよう」
(よし、これで北畠田丸家を、
実質家臣にできた。
この血、この名は伊勢において
芋粥の大きな味方となる)
秀政は、心の中で静かに頷いた。
*
桑名へ戻ると、松親が迎えた。
「義兄上、その顔は……
上手くいきましたな?」
「あぁ、上々だ」
「次は?」
「日根野と大河内だ」
松親は、すぐに応じる。
「日根野は利玄にやらせましょう。
旧主筋から誘われれば、断れますまい」
「確かに」
「大河内は、行家殿に動いてもらいましょう。
北畠の威光は、伊勢ではまだ効きます。
ただ飯を食わせる訳には参りませぬ」
秀政は、苦笑する。
「あまり、行家殿の前で
露骨なことは言うなよ?
戯れが通じぬ者もいるからな」
「承知しております。
持ち上げるのも得意ですので。
"犬もおだてれば、虎になる"
と言いますね」
「いや、それが通じぬ戯れだと言うておろうに!
嫌われるぞ?」
そこまで言って二人は笑いあった。
結果――
松親の読み通り、
日根野正勝、大河内盛恒の登用は、
驚くほどあっさりと成功した。
こうして――
芋粥家の家臣団は、
確実に“厚み”を増していく。
伊勢を動かすための歯車が、
静かに、しかし確実に噛み合い始めていた。




