第六十七話 伊勢芋粥の戦力
新たな家臣団は、ひとまず形を整えた。
秀政は即座に手を打つ。
田丸行家と、その子・行房はまず那古野へと向かわせた。
万丸の教育を任せるため――
そして、いずれ京と繋がるための“窓口”としてだ。
田丸行家という人物は伊勢に常駐させておく必要がない。
むしろ「北畠の一門が、芋粥の庇護下に入った」
という事実そのものが伊勢にとって意味を持つ。
名門の名が持つ威信とは、本人がそこに居るかどうかではなく「どこに属しているか」で効力を発揮する。
田丸行家は那古野で、その知と雅を万丸たちに教えるだけで良い。
それだけで、伊勢には静かな追い風が吹く。
*
日根野正勝は、鷺山利玄の与力として配された。
形式上は陪臣。
だが、実態は違う。
日根野は斎藤家に忠誠を誓ってきた男だ。
その忠誠は、家ではなく血に向いている。
利玄――
斎藤義龍の血を引く者を、日根野は疑いなく主君と認めていた。
与力としたのは、秀政の直感でもあった。
正解だったと言える。
利玄が鈴鹿の山から引き連れてきたのは、山賊、夜盗、流れ者――
いわば有象無象の荒くれどもだった。
だが、いまさら捨てるわけにもいかない。
秀政は、彼らを伊勢惣奉行直属の常備兵として取り込んだ。
鷺山利玄と日根野正勝。
この二人を軸に編成された二百名。
これが伊勢芋粥の第一の武力となる。
無秩序だった集団は、日根野の手によって、急速に“兵”へと変わりつつあった。
日根野正勝、二十七歳。
二十四歳で浪人となるまで、父と共に美濃で戦場を渡り歩いた男だ。
槍働き、鉄砲、斎藤家伝来の奇襲戦・夜襲戦――
そのすべてを身をもって知っている。
今、その知識を惜しげもなく用い、鷺山兵を鍛え上げている。
そして同時に――利玄に軍略を叩き込んでいた。
血と力はある。
だが、それだけでは将にはなれぬ。
日根野はそれを理解している。
また利玄の血もそれを裏切らず、見る見る吸収していった。
利玄の横にこの男を置いた判断は、秀政自身が後に何度も噛み締めることになる。
*
そして――大河内盛恒。
年は二十六。
第二次伊勢侵攻では、父・盛房と共に、織田軍を苦しめた男だ。
山岳戦を得意とし、地形を読み、伏兵を使い、少数で大軍を翻弄する。
秀政は、新たに雇い入れた百名の常備兵を、そのまま盛恒に預けた。
鈴鹿・員弁――北勢の山地を知り尽くした男に、その役目は相応しい。
*
こうして揃った三百。
これが、現時点における伊勢芋粥の全戦力である。
決して多くはない。
だが、寄せ集めではない。
指揮官、戦法、役割――すべてが噛み合った“使える兵”だった。
今後、長島一向一揆との間で小競り合いが起きれば――
真っ先に矢面に立つのは、この三百である。
(足りぬが――戦える)
伊勢は、まだ荒れている。
だが、歯車は確実に組み上がりつつあった。
*
秀政はもう一つの戦力を呼び寄せた。
忍び――伊勢の表に出ぬ力だ。
姿を現したのは三人。
薬師の於菟。
艶狐と呼ばれる女忍、お凪。
そして、闇討ちを専門とする――雲雀。
「……来たか」
三人は無言で頭を下げる。
秀政はまず、凪に視線を向けた。
「凪。お前は長期で寺内雑役として、願証寺に潜り込め」
「はい。で、誰に抱かれればよろしいんで?」
即答だった。
秀政は、わずかに眉を寄せる。
「……お前は飯炊き、掃除、洗濯、使いっ走り。
ただの雑役だ。そういう女は山ほどいる。
それに紛れろ」
「艶術はご披露せんでも?」
「あぁ。派手に動くな。
その方がかえって疑われない」
一拍置いてから、言葉を足す。
「それに――あまり身を安売りするな」
凪が、面白そうに目を細めた。
「あらまぁ。殿様は私の身を案じてくださるんで?」
「そうだ。くノ一だからといって、望まぬことをする必要はない」
「お優しいことで。でも私は好きでやってるんですやえ。
その証拠を――今宵お見せしましょうか?」
「や、やめよ!」
秀政は即座に制した。
「お悠に変な勘繰りをされる!」
(……こいつはやはり早々に長島へ送った方が良さそうだな)
「残念」
凪はくすりと笑う。
「ある程度、好きにしていいが……
ここぞという時までなるべく術は封じろ。
腐ってもあそこは寺だ。
禁欲の場だぞ」
声を低くする。
「相手を間違えれば、即座に斬られる。
間違っても坊官や寺内衆に手を出すな」
凪は少し残念そうに肩をすくめた。
「心得ました」
「凪。お前は内情を事細かく洗い出せ。
人の流れ、噂、感情――内部から揺さぶる材料なら、何でもだ」
「はい」
秀政は次に於菟を見る。
「於菟。お前は基本、俺の護衛だ」
「はい」
「だが、時折、寺内町へ薬師として出向け。
女たちから情報を拾え。
凪との繋ぎも、お前がやれ」
於菟は静かに頷いた。
「まず調べるのは中間層の坊主のうち、だれが過激派か……だ。
坊主衆、小頭、寺侍――そのあたりを洗え」
「……中間層ですか?」
「そうだ」
秀政は即答する。
「上の坊官や寺内衆は、過激であっても自制が効く。
本当に危ないのは、声だけが大きく、責任を負わぬ連中だ」
於菟は、わずかに目を伏せた。
「……それで、調べてどうされるのですか?」
「間引く」
淡々とした声だった。
於菟が思わず聞き返す。
「……間引く、とは?」
秀政は、今度は雲雀へ視線を向けた。
冷たい眼差しだった。
「雲雀。目立たぬ程度にそいつらを――人知れず消せ」
雲雀は表情一つ変えずに頷く。
「死体は残すな。失踪したと思わせろ」
「承知」
「この時世だ。
我が身可愛さに逃げ出す者も多い。
人の入れ替わりも激しい」
秀政は低く言う。
「……そう見せかける。
下々を煽り、一揆を先導しかねぬ者を、軒並み消していけ。
出来るか?」
「どれほど殺りますか?」
雲雀の問いに、秀政は少しだけ考えた。
「なるだけ多くだ。
だが、一夜に数名も消えれば目立つ」
間を置く。
「十日に一人。
それくらいの間隔でやれ」
(……俺も、変わったな)
胸中でそう呟く。
(殺しを、ここまで当然のように命じられる)
「お任せください」
「期待している。行け」
その一言で、凪と雲雀は音もなく闇に溶けた。
於菟はいつも通り薬の調合を装い、自室へと戻っていく。
秀政はひとり残され、静かに息を吐いた。
(……まずは、これでいい)
(次は――伊勢を立ち直らせる)
伊勢を巡る戦いは、もはや刀だけで決するものではなかった。




