第五十二話 芋粥の鉄砲
七月の末。
間もなく織田本隊は美濃を発つ。
進むのは――
千種政成が引き、木曾与英が通した真新しい街道だった。
幅は広く、勾配は緩やか。
行軍を妨げる無駄な起伏もなく、五万の軍勢であっても、滞りなく進める造りになっている。
道がある。
それだけで、戦は半ば終わったも同然だった。
だが道が通るだけでは、軍は動かない。
五万という大軍を養う兵站は、尾張側でも一部を担う必要があった。
その準備を、いつも通り、黙々とまとめ上げていたのが――
お悠である。
糧食。
替えの槍。
縄、鉄具、油、布。
想定される天候、遅延、損耗。
万を超える兵が動く際に起こり得る、あらゆる“もしも”を織り込んだ上での算段。
その勘定と采配は、もはや一介の城代の家老の域を超えていた。
(……正直に言って、この感性と才は、織田家中でも上位だろうな)
秀政は内心でいつもそう評価していた。
*
そんな折だった。
国友に派遣していた千種屋松之助が、慌ただしく那古野へ戻ってきた。
「義兄上、ただいま戻りました。
伊勢に発たれると聞き、急ぎ戻って参りました」
「松之助、よく戻った」
秀政はその顔色を見てすぐに察した。
「……その様子だと、上手くやったな?」
「そうですね」
松之助は少し照れたように笑った。
「我ながら、よくやれたとは思います。
義兄上に認めていただけるかは、分かりませぬが……」
「控えめに言うな」
秀政は、ぴしゃりと言った。
「千種屋を背負う身だ。
大成功なら、大成功と言え。
それこそが商人の気概ぞ」
「……はい」
松之助は背筋を正す。
「千種屋を背負い、父を越えたいと願っておりましたが……
同じ立場になってみると、その背の遠さが身に染みます」
「お前は、まだ若い」
秀政は苦笑した。
「この年で義父殿を越えたら、末恐ろしすぎるわ」
そして、促す。
「で――、国友での成果は如何に?」
「はっ」
松之助は、はっきりと答えた。
「金をばらまいて参りました。
国友は、千種屋に対し、一定量の鉄砲を卸すことを約束しております」
目録を秀政へ渡す。
「まずは――百丁。
これは芋粥の蔵に収めさせていただきました。
後でお代は請求致しますね」
「……おぉ。
ん?ただではないのか?」
秀政は思わず声を漏らした。
「まぁいい。
お悠、那古屋の軍費で払ってくれ。
しかし、鉄砲百丁か。
それは良いな」
だが、すぐに眉を上げる。
「ん?
芋粥ではなく、“千種屋に卸す”とな?」
「はい」
松之助は、悪びれずに答えた。
「義兄上には、鉄砲製造の“契約”と“繋がり”のみを求められましたので」
にやりと笑う。
「〝千種屋〟として、伝手を手に入れました。
必要であれば、千種屋よりお買い求めください」
隣で聞いていたお悠が、わずかに渋い顔をする。
だが――
「ははは」
秀政は、豪快に笑った。
「良い、良い。
商人とはそういうものだ」
「はい」
松之助も笑う。
「義兄上には、お安くご提供致します」
「うむ」
秀政は頷き、話を先へ進めた。
「それで――技術の方は?」
「はい」
松之助は、真面目な顔になる。
「義兄上のご家来衆のうち、物作りに長けて向上心のある者を五名選びました。
その者らを師事の費用と共に国友へ預けて参りました」
そして、拳を握る。
「後は――あの者たちの努力次第です」
「それも良し」
秀政は満足げに頷いた。
「技術の流出は誰もが嫌う。
……よほど、金を積んだな?」
「いやいや。
今や国友と千種屋は、盟友でございますから」
(……頼もしくなった)
秀政は内心でそう思った。
(悠にせよ、松之助にせよ。
政成の血はやはり優秀だ。
俺は、本当に良い縁を持った)
「――あとは、射手だが」
「……申し訳ありませぬ」
松之助は頭を下げた。
「これは、果たせませなんだ」
「そうか……」
秀政はゆっくりと息を吐く。
「難しいか」
「いえ」
松之助は、すぐに続けた。
「義兄上の申された“五名置いてくる”案ですが……
これは私の判断で取りやめました」
「……理由は?」
「旨味がございませぬ」
「旨味?」
秀政が聞き返す。
「鍛冶技術は、国友で学ぶのが最善。
ですが――
射撃は、国友である必要はありません」
「……ん?」
「国友一の射撃の名手を、金で買い取って参りました」
「な、なんだと?」
松之助は胸を張った。
「千種屋は、尾張に鉄砲指南所を開きます。
織田家中には、鉄砲に興味を持つ者が多数おります。
その者たちから、指南料を頂く」
「ほぉ、考えたな」
「義兄上の最初の五名は、約束通り無料ですが――
それ以上は、千種屋の道場へ」
松之助はにこにこと微笑む。
「もちろん、指南料持参で」
「はっはははは!!」
秀政は、腹を抱えて笑った。
「それは良い!!
松之助、お前は十分に千種屋を大きくできる。
もはや、義父殿が大旦那である必要はないな」
「おぉ!
認めていただけますか!」
松之助は、満面の笑みを浮かべた。
「ありがたき幸せ!
ところで、その名手ですが、名を甚四郎と申します。
鉄砲の射程は三十間程度の運用が主ですが、この者は五十間先の的も射抜いたことがあるようです」
「真の達人だな……」
「はい。
通常に撃たせても達人ですが、この者は狙撃に優れております。
左肘、右肘、銃床の三点で、安定させて反動を逃がす。
国友流・三点伏射が得意です。
その上、銃身を少し長くした専用の“重銃”を使います。
通常より長い銃身は初速を上げることができ、長距離を放てます」
(スナイパーじゃねぇかよ!)
「凄い者を手に入れたな」
「はい、もちろん銭はいただきますが、義兄上であれば戦場にも貸し出しますよ」
(……千種屋は傭兵もやる気か)
「いいのか?」
「えぇ、もちろん。
……そうですね。
この際、武士に取り立てましょう。
その方が箔が付きます。
名字と諱をお与えください」
(それはいいな。
うぅむ。どうしよう。
雑賀とかだと芸がないな。
火縄……、正確な種子島射撃……)
「よし、火野甚四郎正種だ」
「良い名です」
「松之助、この国友行きは大成功だぞ」
そこへ、苦笑しながらお悠が割って入る。
「もう、松之助。
弥八様には、商売っ気抜きで奉仕なさい」
「姉上、それは違いますぞ」
松之助は即座に返す。
「この私が儲けねば、義兄上は小遣いを受け取れませぬ」
「間違いないな」
秀政も愉快そうに笑った。
だが――お悠は、そこで表情を引き締めた。
「……もう!
ところで、実は弥八様と松之助に一つ話があります。
ちょうど良い機会です」
「何だ?」
「鉄砲を揃え、射手を育てたとしても――それだけでは活かせません」
「火薬だな?」
秀政は即答した。
「はい」
お悠は頷く。
「火薬には、多くの材料が必要です」
松之助も、その辺りは思慮していたようで、続きをお悠から引き取った。
「硝石――
火薬の心臓部ですが、この日ノ本では産出が極めて少ない。
南蛮、あるいは明など、海外から仕入れるしかありません。
そのためには、堺商人との伝手が必要です」
秀政とお悠が、同時に頷く。
「硫黄は、九州などから入ります。
これは、千種屋であれば、伊勢商人経由で比較的容易」
少しだけ間を空けてから繋げる。
「そして――木炭です。
ただの炭ではありません。
火薬に混ざりやすいように、柳、榛などの、柔らかい広葉樹の炭」
そこで、お悠が静かに地図を広げた。
「……それなんです。
私が考えたこと。
今日、伝えたかったことは」
広げ終わった地図を指差す。
「木曽川流域。
庄内川流域。
矢作川流域。
尾張丘陵地帯」
その後、ゆっくりと顔を上げて続ける。
「これらには、火薬用に適した柔らかい広葉樹が数多く存在します。
私は清允に命じて――」
泉川清允。
元千種屋番頭にして、今や海東郡郡代。
調停と交渉に優れた男。
「犬山。
小牧山北部。
瀬戸山間部。
尾張丘陵部。
この辺りで、農村の炭焼きを推奨させました。
専属の炭焼き職人を育てたのです」
秀政は思わず息を呑んだ。
「清允は――
〝低温で、じっくり焼く〟
〝柔らかい広葉樹を使う〟
〝粉になりやすい炭を作る〟
この三点を、徹底的に職人に叩き込みました」
お悠は淡々と続ける。
「良質の火薬用木炭を作らせ、それを――
独占的に買い付ける約束を取り付けています」
(……すごいな、お悠は)
秀政は心底そう思った。
(俺が伊勢で戦っている間に、ちゃんと芋粥家の“家老”をしている)
「つまり――」
秀政は嬉しそうに言った。
「良質な木炭を、大量に確保できる、と?」
「はい!」
お悠は力強く頷き、そのまま松之助に語り掛けた。
「松之助。
この木炭を武器に堺商人と誼を結べませんか?
安定して硝石を手に入れるのです!」
松之助は、しばし呆然とし――そして、深く息を吸った。
「……姉上。
はい。
やります。
必ず堺と繋がり、硝石を手に入れましょう」
そして、苦笑する。
「……はぁ。
私の越えるべき背中は、二つございましたか」
三人で声を立てて笑った。
(この二人がいれば、尾張の内政は回る。
安心して伊勢に行ける)
秀政は立ち上がった。
「二人とも。
俺が留守の間、尾張を頼むぞ」
二人が頭を下げる。
「お悠、くれぐれも無理はするな。
元気な子を産んでくれ」
頭を上げて、しっかりと秀政を見つめた。
「はい!」
お悠は笑顔で頷いた。
「弥八様、ご武運をお祈りしております」
こうして――後顧の憂いなく、芋粥秀政は伊勢へと向かうことになる。




