第三百三十八話 束の間の平穏
天正十年三月一日。
織田信忠率いる軍勢が高遠城を攻め落とし、仁科盛信と内藤昌豊が討死した。
武田家の精鋭として長年戦い続けてきた赤備えも、この戦いで壊滅した。
そして、武田家の崩壊はさらに進んでいった。
同じ頃、武田一門の重臣である穴山梅雪が、徳川家康に通じて武田家から離反したのである。
穴山氏は、武田家の一門衆として重要な地位を占めていた。
その穴山梅雪までもが徳川方に寝返ったことは、武田勝頼にとって大きな打撃だった。
木曾義昌に続き、武田家の中枢を支える一門衆までが離反したのである。
もはや武田家の命運は、完全に尽きようとしていた。
三月上旬。
勝頼は、築城を進めていた新府城を放棄した。
新府城は、武田家の新たな本拠として築かれた城だった。
勝頼は、この城を中心に領国の再建を進めようとしていたのである。
しかし、織田軍の進撃と相次ぐ国衆の離反によって、もはや新府城を守り抜くことは困難となっていた。
勝頼は城に火を放ち、残された家臣や一族とともに退去した。
その後も武田方の軍勢は離散を続け、勝頼に従う者は次第に少なくなっていった。
そして、三月十一日。
甲斐国天目山。
織田軍の追撃を受けた武田勝頼は、嫡男の信勝らとともに自害した。
ここに、甲斐源氏の名門として長く続いてきた武田家は、戦国大名として滅亡したのである。
かつて武田信玄のもとで勢力を広げ、織田家や徳川家を幾度となく苦しめた武田家だった。
しかし、信玄の死後、織田家との戦いで次第に勢力を失い、ついには領国を守ることもできなくなった。
武田家の滅亡は、織田家による天下統一がさらに大きく進んだことを意味していた。
そして、その知らせは、織田家中を瞬く間に駆け巡った。
*
伊勢国、鈴鹿館。
武田勝頼が天目山で自害したという知らせは、秀政のもとにも届けられた。
「ほう……勝頼が自害したか」
秀政は、届いた報告を読みながら頷いた。
「はい。嫡男の信勝もともに自害したとのことでございます」
(結局、武田家の滅亡は史実と同じ三月十一日になったか……)
前年の南信濃戦役では、史実とは異なる戦いが繰り広げられた。
内藤昌豊も、史実では長篠で討死したはずの武将だった。
しかし、この世界では赤備えを率いて生き残り、最後は高遠城で討死した。
武田家の滅亡に至る過程は、史実とは大きく異なっている。
それでも、勝頼が天目山で最期を迎えた日は、史実と同じだったのである。
(歴史というのは、妙なところで辻褄が合うものだな……)
秀政は、そんなことを考えた。
もっとも、武田家が滅亡したこと自体は、織田家にとって大きな朗報だった。
これで東方の脅威は取り除かれたことになる。
南信濃に駐屯する芋粥軍も、いずれ伊勢へ戻ることができるだろう。
「これなら、長政や明も帰ってこられそうだな」
秀政がそう口にすると、傍らにいたお悠も嬉しそうに頷いた。
「そうですね。久しぶりに明の顔も見たいわ」
「うむ。長政も明も、長いこと南信濃に詰めておったからな」
「ええ。二人とも元気にしているとは聞いているけれど、やっぱり顔を見ないと安心できないです」
お悠は、穏やかに微笑んだ。
「帰ってきたら、しばらくゆっくりさせてあげたいですね」
「そうだな。今回ばかりは、殿も無理に兵を動かさなかった。
長政たちも、少しは休めるだろう」
秀政は、満足そうに頷いた。
武田家の滅亡によって、伊勢にも戦勝の知らせが広がっていた。
城下では織田軍の勝利を喜ぶ声が聞かれ、家臣たちの間にも安堵した空気が漂っていた。
長年にわたり織田家の東方を脅かしてきた武田家が滅んだのである。
秀政にとっても、ひとまず大きな心配の種が減ったことになる。
しかし、その喜びは長く続かなかった。
*
数日後。
秀政のもとへ、千種政成の治療に当たっている薬師が訪れた。
政成は、以前から労咳を患っていた。
病が進んでからは床に伏すことが多くなり、近頃では体調のよい日も少なくなっていた。
秀政は、薬師を小広間へ通した。
「それで、義父殿の具合はどうなのだ?」
秀政が尋ねると、薬師は神妙な面持ちで頭を下げた。
「……恐れながら、あまりよろしいとは申せませぬ」
「そうか……」
「ここしばらく、咳がひどくなっております。
熱も下がりきらず、お食事も以前ほど召し上がれなくなっております」
薬師は、政成の容態について詳しく説明した。
政成は日に日に衰弱しており、以前のように体を起こして過ごすことも難しくなっているという。
秀政は、黙って話を聞いていた。
「手の施しようはないのか?」
「薬を用い、少しでも苦しみを和らげることはできます。
しかし、病そのものを治すことは、もはや難しいかと存じます」
「……そうか」
秀政は、眉をひそめた。
政成は、芋粥家の筆頭家老である。
秀政がまだ足軽組頭に過ぎなかった頃から、長年にわたって支えてきた重臣だった。
しかも、秀政にとって政成は、単なる家臣ではない。
妻であるお悠の父であり、義父でもある。
秀政は、薬師へ改めて尋ねた。
「それで……あと、どれほどもつ?」
薬師は、すぐには答えなかった。
しばらく考えた後、重い口を開いた。
「これまで診てまいりました患者の例から申し上げますと……」
「うむ」
「ここまで病が進んだ方は、長くとも三月ほどでございました」
「三月……」
秀政は、その言葉を繰り返した。
「もちろん、病の進み方には個人差がございます。
必ずしも、そのとおりになるとは限りませぬ」
薬師は、慎重に言葉を選んだ。
「されど、これ以上の回復を望むのは難しいと存じます。
どうか、そのおつもりでいてくだされ」
秀政は、しばらく何も言わなかった。
やがて、小さく頷いた。
「……分かった。知らせてくれて礼を言う」
「はっ」
「義父殿の苦しみを、少しでも和らげてやってくれ。
必要な薬や人手があれば、遠慮なく申し出よ」
「承知いたしました」
薬師が退出すると、秀政は一人、考え込んだ。
(義父殿が……)
秀政にとって千種政成は、この世界において実の父にも等しい。
家臣としても、秀政が伊勢の大名となるまでには、政成の働きが欠かせなかった。
その政成が、あと三月ほどしか生きられないという。
秀政は、胸の内に重いものを感じた。
ふと、薬師の言葉を思い返した。
(もって三月……)
今は、天正十年三月。
そこから三月後といえば、六月である。
(天正十年六月……か)
秀政は、思わず顔を上げた。
史実において、織田信長が本能寺で討たれたのは、天正十年六月二日のことだった。
(……よりによって、同じ時期になるのか)
秀政は、しばらく考え込んだ。
*
武田家の滅亡によって、織田家の東方における情勢は大きく変わった。
武田征伐の総大将を務めた織田信忠は、戦後も現地に留まり、旧武田領の処理に当たった。
降伏した国衆や城主の処遇を定め、各地に残る武田方の勢力を整理する必要があったためである。
信忠は、父である信長の意向を受けながら、これらの処理を進めていった。
そして、ひととおりの戦後処理を終えた後、岐阜へ帰還することになった。
一方、武田征伐で大きな功績を挙げた滝川一益には、新たな役目が与えられた。
信長は、一益に上野国を与え、関東方面軍の総大将に任じたのである。
さらに織田家の勢力を東へ広げることが、一益に与えられた役目だった。
一益は上野へ入り、関東の諸勢力に対する外交と軍事的な備えを進めることになった。
こうして、織田家の東方における軍事体制は、武田家の滅亡を機に大きく再編されたのである。
そして、芋粥秀政にも新たな命令が下された。
中国方面軍への加勢である。
信長は、秀政に対して軍勢の再編と補充を進めたうえで、秋までに羽柴秀吉の軍勢へ合流するよう命じた。
中国方面では、毛利家との戦いが続いている。
秀政は、その戦いに加わることになったのである。
もっとも、出陣までにはまだ半年近い猶予があった。
前年の南信濃戦役で損害を受けた芋粥軍にとって、兵や馬を補充し、軍備を整えるための貴重な時間だった。
そして、秀政自身にとっても、久しぶりに大きな戦のない日々を過ごせることになった。
*
伊勢国、鈴鹿館。
「秋までに中国方面軍へ合流せよ、か……」
秀政は、信長から届いた命令を読みながら呟いた。
「ずいぶんと余裕をいただいたものだな」
傍らにいたお悠が、嬉しそうに頷いた。
「それなら、しばらくは伊勢にいられますね?」
「そういうことになるな」
秀政は、満足そうに頷いた。
「去年は南信濃で散々な目に遭ったからな。
兵も馬も減ったし、軍備の立て直しも必要だ。
殿も、そのあたりを考えてくださったのだろう」
「それはありがたいことです」
「うむ。秋までに準備を整えればよいのなら、当面は大きな戦に出ずに済む」
秀政は、書状を置いた。
「ようやく、少しはのんびりできそうだ」
お悠は、その言葉に笑った。
「弥八がそう言う時は、いつも何か仕事を始めますよね」
「いやいや、今度こそ休むぞ。
家臣たちもしっかり英気を養ってもらわねばな」
秀政は、笑いながら答えた。
「それに……そろそろ孫が欲しい。
長政と明にも時間を与えねばな」
「まぁ!
……でも、私も早く孫の顔がみたいです」
お悠が笑って答えた。
*
一方、武田家の滅亡によって領地を広げたのは、織田家だけではなかった。
徳川家康もまた、武田征伐で大きな利益を得ていた。
家康は、攻め取った旧武田領について、信長から正式に領有を認められたのである。
これにより、徳川家の勢力は大きく拡大した。
しかし、家康が得たものは、領地だけではなかった。
武田家の滅亡によって、多くの武田家臣が仕える主君を失っていた。
信長は、最後まで抵抗した武田家の重臣や、織田家に敵対した者に対して厳しい処分を下していた。
一方、家康は旧武田家臣の中から、有能な者を積極的に召し抱える方針を取った。
武田家は、長年にわたり甲斐や信濃を支配してきた戦国大名である。
その家臣団には、領国経営に通じた者もいれば、数多くの戦を経験してきた武将もいた。
とりわけ、騎馬の扱いや騎馬部隊の運用に長けた者は、家康にとって貴重な人材だった。
家康は、そうした武田遺臣を徳川家の軍制に組み込み、軍勢の強化を図ったのである。
さらに、家康には一つの構想があった。
新たな赤備えの編成である。
武田家の赤備えは、高遠城の戦いで壊滅した。
しかし、武田家で騎馬戦術を学び、経験を積んだ者たちまで、すべて失われたわけではなかった。
家康は、そうした旧武田家臣を集め、徳川家独自の赤備えを編成しようと考えていた。
しかも、その騎馬隊には、従来の和馬とは異なる馬を用いる計画だった。
伊勢巨馬である。
以前、秀政は徳川家との秘密同盟に際して、伊勢で育成していた伊勢巨馬の第一世代にあたる牡馬を、種牡馬として家康へ贈っていた。
徳川家では、それらの種牡馬を用いた繁殖が進められていた。
家康は、この伊勢巨馬系の馬と、武田家から召し抱えた騎馬の熟練者を組み合わせようとしていたのである。
それが、後に徳川巨馬赤備え隊へと発展していくことになる。
*
こうした徳川家の動きは、やがて伊勢の秀政にも伝わった。
報告をもたらしたのは、藤林である。
「殿。徳川家にて、旧武田家臣の召し抱えが進んでおります」
「そうか」
「武田家に仕えていた者のうち、武芸や軍略に優れた者を積極的に取り立てているとのことでございます」
「なるほどな」
(これも史実に近いな)
「家康殿らしい。武田家が滅んだからといって、使える人材まで捨てる必要はないからな」
「さらに、騎馬に長けた者を集め、新たな赤備えを編成する動きもあるようにございます」
「新たな赤備え?」
秀政は、少し驚いた。
「ほう……武田の赤備えを、徳川家で復活させるのは分かる。
だが何か一工夫加えるということか?」
「そのように見受けられます」
藤林は続けた。
「はい、その一工夫とは馬についてです。
新たな騎馬隊には、以前に殿から徳川家へお渡しになった伊勢巨馬の血を引く馬を用いる計画があるとのこと」
「何?」
秀政は、思わず身を乗り出した。
「あれを使うのか」
「はっ。巨馬を用いた騎馬戦に向けて、新たな調練も始まっているようにございます」
「そうか……」
黒鬼巨馬隊を率いる長野藤綱が、巨馬に向いた戦術を試行錯誤している姿が思い浮かんだ。
(長野が思いついたことを徳川でもやるか。
さすが家康。
だがな、お前の馬は俺の馬には及ばんのだ)
伊勢巨馬の種牡馬を家康へ贈ったのは、徳川家との同盟締結の条件であり、当方としては半ば不本意でもあった。
だからこそ、伊勢巨馬の繁殖牝馬ではなく、第一世代の牡馬を贈ったのだ。
徳川家へ渡したのは、伊勢巨馬の第一世代にあたる牡馬だけだった。
そのため、徳川家では在来の牝馬との交配を重ねるしかなく、巨馬の特性を安定して受け継がせることは容易ではない。
一方、芋粥家では、第一世代から選抜した牝馬を繁殖に用い、さらにアラブ馬との交配や優良な牡馬の選抜を重ねている。
そのため、世代を重ねるほど、巨馬としての特性を強めることができた。
だが秀政は、家康が武田家の滅亡を機に、旧武田家臣を集めて巨馬の騎馬隊を編成するとは思っていなかった。
(なるほどな。武田の騎馬の経験と、伊勢巨馬を組み合わせるわけか。
牝馬を渡しておったら、とんでもない敵を作り出すところだったな)
「いやはや……家康殿も、なかなかやるな」
秀政は、思わず笑った。
「どうなされました?」
藤林が尋ねた。
「いや、こちらも黒鬼騎馬隊の巨馬化を考えているのだがな」
秀政は、腕を組んだ。
「運用開始はこちらの方が早い。
だが、赤備えの遺臣を用いた巨馬騎兵の方が目立ちそうじゃな、ははは」
秀政は、余裕を見せながら笑った。




