第三百二十七話 天正十年の幕開け
天正九年十二月。
甲斐国、新府城。
武田勝頼は、新たな本拠となる新府城の整備を急がせていた。
新府城は、甲府の躑躅ヶ崎館に代わる武田家の新たな本拠として築かれている城である。
勝頼は、織田・徳川両家との戦いが厳しくなるなか、武田家の防衛体制を立て直すため、この城の築城を進めていた。
南信濃を失ったことは、武田家にとって大きな痛手だった。
それまで武田家は、信濃の広い地域を支配し、そこから兵や兵糧を集めていた。
しかし、織田軍との戦いによって南信濃の支配を失い、武田家の勢力圏は大きく縮小していた。
しかも、敵の進出はそれだけでは終わらなかった。
織田信忠と滝川一益は、信濃方面から武田領への圧力を強めていた。
一方、徳川家康は駿河方面から武田領を脅かしていた。
武田家は、信濃と駿河の両方面から攻撃を受ける危険にさらされていたのである。
もっとも、武田軍の主力が完全に失われたわけではない。
南信濃での戦いでは大きな損害を受けたものの、勝頼のもとには、なお多くの将兵が残っていた。
武田家には長年の戦で鍛えられた武将や兵が存在し、領内の城も健在だった。
勝頼は、それらの戦力を集め、守りを固めれば、まだ織田・徳川両軍に対抗できると考えていた。
しかし、問題は兵の数だけではなかった。
長年にわたる戦争によって、武田家の領国は疲弊していた。
軍勢を動かすたびに大量の兵糧が必要となり、武具や軍馬の補充にも銭がかかる。
その負担は家臣や領民にも及んでいた。
しかも、戦を続けても領地が増えるどころか、南信濃を失っている。
武田家の将来に不安を抱く者が増えていたのである。
*
「……新府の普請は、どこまで進んでおる?」
勝頼は、家臣から築城の報告を受けていた。
「はっ。主要な曲輪と堀の整備は、ほぼ完了しております。
城内の建物もおおむね出来上がり、御移転に支障はございませぬ。
ただし、一部の建物や周辺の整備には、まだ日数を要する見込みにございます」
「うむ。では、予定どおり新府へ移るぞ。
残る普請も急がせよ。織田がいつ攻め寄せてくるか分からぬ」
「はっ!」
勝頼は新府城の縄張り図に目を落とした。
躑躅ヶ崎館は、武田信玄の代から本拠として使われてきた場所である。
しかし、織田軍が信濃へ進出し、徳川軍が駿河方面から迫る現在の情勢では、甲府の館だけに頼るわけにはいかなかった。
新府城は、周囲の地形を利用して防御を固め、甲斐北西部の要地を押さえることができる。
主要な防御施設はすでに完成しており、武田家の本拠を移す準備も整いつつあった。
勝頼は、間もなく新府城へ移り、そこで武田家の軍勢を再編して、織田・徳川との戦いに備えるつもりだった。
「信忠と滝川の動きはどうなっておる?」
「はっ。信濃方面では兵の集結が続いております。
ただ、今すぐ大軍を動かす様子はございませぬ」
「……そうか」
「徳川も駿河方面で軍備を整えております」
勝頼は頷いた。
織田軍が信濃から攻め込み、それに合わせて徳川軍が駿河へ進出すれば、武田家は二方面で戦わなければならない。
それを防ぐためにも、甲斐の守りを固める必要があった。
「まだ戦える兵はおる。城も残っておる。
武田が滅んだわけではない」
勝頼は家臣たちを見渡した。
「父上が築かれた武田家を、このまま終わらせるわけにはいかぬ。
新府城が整えば、軍勢を立て直すこともできよう」
「御意!」
家臣たちは頭を下げた。
だが、勝頼自身も武田家の置かれた状況が厳しいことは理解していた。
南信濃を失ったことで、信濃の国人たちへの影響力も弱まっている。
さらに、織田家は武田家を上回る国力を持ち、失った兵や武具を次々に補充できる。
武田家が一度の戦で大きな損害を受ければ、それを取り戻すのは容易ではなかった。
それでも、勝頼は戦い続けるつもりだった。
武田家には、まだ再起の可能性が残されている。
少なくとも、勝頼はそう信じていた。
*
一方、信濃国木曾谷。
木曾義昌は、武田家の情勢について家臣たちと話し合っていた。
木曾家は、木曾谷を本拠とする国人領主である。
木曾谷は山々に囲まれた地域であり、信濃と美濃を結ぶ交通の要地でもあった。
そのため、木曾家がどちらの勢力に属するかは、武田家にとっても織田家にとっても重要だった。
「……武田は、持ち直せると思うか?」
義昌の問いに、家臣の一人が答えた。
「勝頼様は新府城を築き、軍勢の立て直しを進めておられます。
ですが、織田の勢いは増すばかりにございます」
「うむ」
「南信濃を失ったことも大きゅうございます。
織田軍がさらに信濃へ進めば、木曾谷も戦場となりましょう」
義昌は腕を組んだ。
木曾家は長年、武田家に従ってきた。
しかし、武田家の勢力が衰え、織田軍が信濃へ進出してきた以上、これまでと同じように武田家へ従い続けることが、木曾家の存続につながるとは限らない。
勝頼が新府城を築いていることは知っている。
武田軍に、まだ多くの兵が残っていることも承知していた。
だが、織田家との国力の差は大きい。
このまま戦いが続けば、武田家はさらに領地を失う可能性が高かった。
「……織田は、我らを受け入れると思うか?」
義昌が尋ねると、家臣たちは顔を見合わせた。
やがて、一人が口を開いた。
「木曾谷を織田方が押さえれば、信濃への進軍も容易になります。
織田にとって、我らを味方にする利はございましょう」
「そうか……」
義昌は考え込んだ。
武田家を裏切れば、勝頼の怒りを買うことになる。
それだけではない。
木曾家は武田家と縁戚関係にあり、長年にわたって武田家の家臣として戦ってきた。
簡単に離反を決められる立場ではなかった。
しかし、武田家と運命をともにすれば、木曾家まで滅びるかもしれない。
義昌には、木曾谷の領主として家臣や領民を守る責任があった。
「……まずは、織田の意向を探ってみるか」
「殿。それは……」
「分かっておる。
まだ武田を離れると決めたわけではない」
義昌は家臣を制した。
「だが、いざというときに、ほかに道がないというのも困る。
織田が我らをどう扱うつもりなのか、それだけでも知っておきたい」
「……承知いたしました」
「くれぐれも内密にな」
「はっ」
義昌はそう命じると、再び木曾谷の地図に目を落とした。
勝頼は新府城を整備し、武田家の再建を進めている。
しかし、その一方で、武田家に従ってきた国人たちは、自分たちの将来を考え始めていた。
木曾義昌も、その一人だった。
武田家の滅亡につながる動きは、すでに始まろうとしていた。
*
そして、年が明けた。
天正十年一月三日。
近江国、安土城。
この日、安土城の大広間には、織田一門をはじめ、各地から集まった宿老や家老たちが顔を揃えていた。
新年の挨拶を行い、信長から今年の方針を聞くためである。
大広間には、織田家の重臣たちが次々と姿を見せていた。
各地を任されている武将たちである。
もっとも、戦の最中にある軍団の大将たちが、全員揃っているわけではない。
各地には守りの兵を残し、宿老をはじめとした、必要な者だけが安土へ参集していた。
秀政もまた、伊勢から安土城へ登城していた。
新年の挨拶は、織田家の宿老として欠かせない務めである。
しかし、秀政が気にしているのは、それだけではなかった。
(……いよいよ天正十年か)
秀政は、広間に集まった武将たちを眺めながら考えていた。
史実では、この年に武田家が滅亡する。
そして、そのわずか数か月後に本能寺の変が起こる。
秀政にとって、天正十年という年は、決して忘れることのできない年だった。
(武田は、もう長くは持たんだろうな)
南信濃を失った武田家は、織田・徳川両家から強い圧力を受けている。
勝頼は新府城を築いて軍勢の立て直しを進めているが、武田家の国力はすでに大きく衰えていた。
織田信忠と滝川一益が信濃方面から攻め込み、徳川家康が駿河方面から進出すれば、武田家は二方面で戦わなければならない。
しかも、武田家の内部では家臣たちの動揺も広がっているはずだった。
(今年こそ、殿は武田にけりをつけるおつもりだろう)
秀政は、そう考えていた。
信長にとって、武田家は長年にわたって織田家の東方を脅かしてきた大敵である。
その武田家が弱体化した今、討伐の好機を逃すとは思えなかった。
ただし、秀政自身が最後まで武田攻めに加わるとは限らない。
(……それに、俺は中国方面へ回されるかもしれんな)
以前から、秀政には中国方面軍への転属の可能性が伝えられていた。
羽柴秀吉は鳥取城を攻略したものの、毛利家は依然として大きな勢力を維持している。
毛利輝元、吉川元春、小早川隆景らが健在である以上、中国攻略にはまだ相当な兵力と時間が必要になるだろう。
一方、武田家との戦いは、すでに織田信忠と滝川一益を中心に進められている。
東方の戦況に見通しが立てば、秀政の軍勢を中国方面へ振り向けることも十分に考えられた。
(殿がどのような御下知をなさるか……)
秀政は、今日の年始の席で軍団の配置について何らかの沙汰があるのではないかと考えていた。
そのとき、ふと広間の一角に目が留まった。
明智光秀である。
光秀は、ほかの重臣たちと挨拶を交わしていた。
しかし、その表情はいつもより冴えなかった。
(……明智殿か)
秀政は、しばらく光秀の様子を眺めた。
(相変わらず辛気臭い顔をしておるな)
もともと光秀は、物事を慎重に考える性格である。
だが、最近は以前にも増して難しい顔をしているように見えた。
秀政には、その理由に心当たりがあった。
長宗我部元親との外交問題である。
光秀は、長宗我部家との交渉を担当してきた。
その結果、元親は毛利家との関係を改め、織田家に従う道を選んだ。
ところが、信長が阿波・讃岐の召し上げを考えているという噂が流れている。
元親から両国を取り上げるとなれば、長宗我部家との関係が悪化することは避けられない。
光秀にとっては、自分が取りまとめた外交が覆されかねない重大な問題だった。
(……今日、長宗我部の去就についても何か示されるやもしれん)
秀政は、そう考えた。
信長が四国政策について明確な方針を示せば、光秀の不安も多少は解消されるだろう。
しかし、阿波・讃岐の召し上げを正式に命じれば、今度は長宗我部元親が反発する可能性がある。
いずれにせよ、簡単な問題ではなかった。
(殿も難しい判断を迫られておられるな……)
秀政は、改めて広間を見渡した。
織田家の勢力は、すでに天下の大半をうかがうほどに拡大している。
だが、北陸には上杉家があり、中国には毛利家がいる。
東方の武田家も、まだ滅んだわけではない。
四国の長宗我部家についても、今後の扱いを決めなければならなかった。
信長が今年、どの方面を優先して攻めるのか。
どの軍団を動かし、誰に何を任せるのか。
その判断によって、織田家の戦況は大きく変わることになる。
やがて、大広間に集まっていた武将たちの話し声が収まった。
「上様のおなり!」
小姓の声が響いた。
それまで立って挨拶を交わしていた武将たちは、それぞれの序列に従って所定の位置に着座した。
秀政も自分の席に着き、姿勢を正した。
間もなく、信長が数人の小姓を従えて大広間に姿を現した。
一同は揃って頭を下げた。
天正十年。
織田家の新たな一年が、ここから始まろうとしていた。




