第三百二十四話 四国の火種
「しかしだ。
長宗我部元親とは、俺も何度もやり合ったことがある」
秀政は腕を組んだ。
「奴の人柄はよく分かっている。
四国の領有には、昔から強く拘っておるからな。
今更、領地を取り上げると言われて、泣き寝入りするような輩ではないぞ?」
「はい。左様かと存じます」
宗久が頷くと、傍らに控えていた神崎も口を開いた。
「殿。長宗我部が織田方についたのは、四国の領有を認められたからにございます。
その約定を覆されるとなれば、元親も黙ってはおりますまい。
あの者は謀に長ける者です。
場合によっては、九州を反織田に巻き込んで抵抗してくることも……」
「そうだろうな。
それに、殿が理不尽なことを言い出せば、織田家そのものの信頼も揺らぐ。
長宗我部だけの問題では済まぬぞ」
「御意。
今後、他家と交渉する際にも、織田との約定は守られるのかと疑われることになりましょう」
神崎の言葉に、秀政は頷いた。
「その件でございますが……」
宗久は少し考えてから口を開いた。
「上様の周囲をこれ以上深く探ることはできませぬ。
ですので、ここからは明智家より得た情報にございます」
「……明智家にも手を出しておるのか」
秀政は呆れたように宗久を見た。
「はい。もちろん、敵対的な諜報は行っておりませぬ」
「当たり前だ」
「ただ、明智家と長宗我部家の間では、最近になって使者の往来が増えております」
「ほう?」
「長宗我部家が、上様の御意向を随分と気に病んでおるようなのでございます。
日向守殿も、その対応に追われておられるとのこと」
「……なるほどな」
「そこで日向守殿は、上様が四国について何をお考えなのか、独自に調べておられるようです」
宗久は続けた。
「これから申し上げるのは、明智家が長宗我部家との交渉のために集めた情報にございます。
それを、我らが横から探り出しました。」
「……お前、随分と危険なことをしておるではないか」
「…………」
宗久は一瞬、言葉に詰まった。
「無理はしておりませぬ」
「むぅ……」
秀政は眉をひそめた。
藤林の働きは頼もしいが、織田家の重臣たちの周囲まで探っていると聞くと、さすがに気が気ではない。
もっとも、今はその情報を聞く方が先だった。
「それで、殿は長宗我部に対して何を考えておる?」
「はい。日向守殿が探られたところによりますと、上様は長宗我部家から讃岐と阿波を召し上げようとお考えのようにございます」
「……何だと?」
秀政は思わず声を上げた。
「讃岐と阿波だと?
そんなことをすれば、反発必至ではないか!」
「はい。ですが、上様にもお考えがあるようでございます」
「どのような?」
「中国攻めへの協力に対する褒美、という名目にございます」
「……褒美?」
秀政は首を傾げた。
領地を取り上げることが、どうして褒美になるのか。
「讃岐と阿波を召し上げる代わりに、九州の肥後、日向、大隅の三か国を与えるとのことにございます」
「……は?」
秀政は呆気に取られた。
「待て待て。
肥後、日向、大隅だと?」
「はい」
「それは、まだ織田の領地ではないではないか」
「左様にございます」
「ならば、長宗我部が自分で攻め取らねばならぬのだろう?」
「はい。そのように聞いております」
「……それでは褒美でも何でもない。
ただの減封ではないか!」
秀政は思わず声を荒らげた。
讃岐と阿波は、長宗我部家が苦労して手に入れた領地である。
それを召し上げられたうえ、代わりに与えられるのは、これから攻め取らなければならない九州の三か国だという。
しかも、九州には九州の大名や国人たちがいる。
簡単に領地を明け渡してくれるはずがない。
「はい。讃岐と阿波も、四国では豊かな土地にございます。
ですが、肥後、日向、大隅の三か国となれば、その広さも石高も上回りましょう」
「まあ、そうだろうな」
「ですので、建前の上では加増となります。
上様としても、長宗我部家を厚遇したと説明することができましょう」
「だが、実際に手に入るかどうかは別の話だ」
「左様にございます。
九州の侍たちを相手に戦い、三か国を平定できる保証などございませぬ。
長宗我部家からすれば、減封と受け取るのが当然かと」
そこで神崎が口を開いた。
「殿。もう一つ、問題がございます」
「何だ?」
「仮に長宗我部が九州三か国を攻め取れたとしても、四国で築いてきた支配を捨てることになります。
讃岐や阿波には、すでに長宗我部に従う国人や家臣たちもおりましょう」
「うむ」
「それらの者を九州へ連れていくのか、それとも四国に残すのか。
いずれにしても、家中に大きな混乱が生じまする」
「……確かにな」
秀政は頷いた。
「長宗我部が四国に拘るのは、単に土地が欲しいからではない。
四国をまとめるために、長年戦ってきたからだ。
その領地を手放せと言われて、納得するはずがない」
「御意。
まして、代わりの領地は自力で攻め取れという話にございます。
長宗我部家からすれば、これまでの働きを軽んじられたと受け取るでしょう」
秀政は顔をしかめた。
「……長宗我部は相当恨むぞ?」
「はい。ただし、まだ正式に決まった話ではございませぬ。
あくまで噂にございます。
それも明智家が苦労して手に入れた、まだまだ小さな噂にございます」
宗久はそう断ったうえで、話を続けた。
「もっとも、長宗我部家も独自に諜報を行っております。
奴らも明智家を探り、この噂について耳にしたのでしょう」
「そうだろうな」
「日向守殿は、何とか長宗我部家を宥めておられるようですが……」
宗久はそこで言葉を切った。
「どうした?」
「長宗我部家の怒りの矛先が、明智家にも向き始めているとのことにございます」
「……明智殿にもか」
「はい。日向守殿は、これまで長宗我部家と織田家の間を取り持ってこられました。
その日向守殿が約定を守らせることができぬとなれば、長宗我部家としても不満を抱くのは当然でございましょう」
「……難しい立場だな」
秀政が呟くと、神崎も頷いた。
「殿。日向守殿にとっては、まことに厄介な話にございます」
「どういうことだ?」
「上様の御意向に逆らえば、主君への忠節を疑われかねませぬ。
かといって、長宗我部との約定を反故にすることを認めれば、今度は長宗我部からの信頼を失います」
「……そうだな」
「しかも、その約定を取りまとめたのは日向守殿ご自身。
長宗我部からすれば、約定を守らせる責任があると考えるでしょう」
秀政は黙り込んだ。
信長が長宗我部との約定を覆せば、元親は反発する。
そして、その約定を取りまとめた光秀は、信長からも長宗我部からも責められる立場になる。
神崎の言う通り、光秀はどちらを選んでも、いずれかの信頼を失うことになる。
(……まずいな)
秀政は腕を組んだまま、考え込んだ。
「友清、宗久。
お前たちは、長宗我部がどう出ると思う?」
先に答えたのは宗久だった。
「十中八九、上様に逆らいましょう。
織田家と手切れし、毛利、あるいは九州の勢力と結ぶやもしれませぬ」
「やはり、そうなるか」
「ただし、長宗我部も一度は毛利との盟約を破り、織田方についております。
再び毛利と結んだところで、以前のように信用されることはありますまい」
すると、神崎が口を開いた。
「はい。とはいえ、毛利も織田家に対抗するためであれば、長宗我部と再び手を結ぶでしょう。
ですが、互いに不信感を抱えたままでは、以前ほど一枚岩にはなれますまい」
「なるほどな」
「それと、伊勢守様。
一つ気になることがございます」
「何だ?」
「先ほど宗久殿が申された、伊勢守様の中国遠征軍への編入でございます」
「……俺のか?」
「はい。中国攻めの増援というだけでなく、中国地方から長宗我部を牽制する役割もあるのではございませぬか?」
秀政は少し考えた。
長宗我部が織田家に反旗を翻せば、毛利との再同盟も考えられる。
その場合、中国方面に大軍を配置しておけば、毛利だけでなく長宗我部の動きも牽制できる。
「なるほどな。
元親との腐れ縁もなかなか途切れぬものだ。
あ奴の天敵である俺を中国方面へ送り、秀吉と二人で毛利と長宗我部を睨ませるわけか」
「左様にございます」
「そして明智殿は、畿内を長宗我部から守るために残す、と」
宗久が頷いた。
「御意。そのようなお考えであれば、上様の御意向にも筋が通りまする」
「ふむ……」
秀政は腕を組み直した。
「では、もう一つ聞こう」
二人が秀政を見た。
「もし明智殿が長宗我部と組み、織田に反旗を翻した場合はどうなる?」
宗久はすぐには答えなかった。
代わりに、神崎が口を開いた。
「……考えにくうございますな」
「なぜだ?」
「勝算がございませぬ」
神崎は落ち着いた口調で説明した。
「仮に日向守殿が長宗我部と結んだとしても、中国方面には筑前守殿と伊勢守様がおられます。
畿内も日向守殿が総大将とはいえ、上様に逆らうとなれば従わぬ者も多いと考えられます。
しかも中国方面には織田の大軍が控えており、畿内で兵を挙げたところで、たちまち挟み撃ちにされましょう」
「……確かにな」
「日向守殿ほどの御方であれば、その程度のことは正しく見極められるかと存じます」
神崎はそう答え、頭を下げた。
だが、その内心は違っていた。
(いや……十分に勝算は見出せるだろうな)
光秀が畿内で兵を挙げるとしても、必ずしも織田の全軍を相手にする必要はない。
信長自身を討ち取ることができれば、織田家の諸将が直ちに一つにまとまるとは限らない。
(ただ、あともう一押し必要かもしれぬ)
神崎はそれ以上、何も口にしなかった。
「そうだろうな」
秀政は頷いた。
「それに、殿はあのように見えて、明智殿を信頼しておる。
殿は合理で動く方だからな」
光秀は織田家の重臣として、これまで数多くの功績を挙げてきた。
信長も、その能力を高く評価している。
少なくとも、秀政にはそう見えていた。
だが、そう言いながらも、秀政の胸には疑念が残っていた。
(……果たして、そうだろうか)
史実の本能寺の変には、いまだに謎が多い。
光秀がなぜ信長を討ったのか、その動機すらはっきりしていない。
この世界では、史実とは異なる出来事が数多く起きている。
それでも、光秀と信長の間に不信感が生じているのであれば、同じような事件が起こらないとは言い切れなかった。
(……この世界でも本能寺の変が起こるのか。
注意して見ておく必要があるな)
秀政は宗久に向き直った。
「宗久!」
「はっ!」
「危険は冒すなと申したばかりではあるが、明智殿と殿の動向については、逐一調べて報告せよ!」
「承知いたしました!」
宗久は深々と頭を下げた。




