第三百十九話 女四百人
白鬼を五百人体制へ拡大する。
そう決めた秀政は、伊賀へ使者を送り、四百人余りの仕官希望者を全員受け入れる旨を伝えた。
同時に、綾芽をはじめとする白鬼の幹部にも、新たな体制について検討するよう命じた。
現在の白鬼は九十二人。
そこへ伊賀から四百人余りを加える。
まず南信濃で生じた八人の欠員を埋め、その上で白妙、雪音、氷花、紗雪の四隊を、それぞれ五十人まで増員する。
この増員には、四百人の希望者の中から、特に馬術や鉄砲への適性が高い者が選ばれた。
それによって白鬼本隊は二百人へと拡張された。
そして残る三百人ほどについては、白鬼になるための鍛錬を受ける新たな部隊として編成することにした。
名は、新雪隊。
まだ誰にも踏まれていない新雪のように、これから白鬼として鍛えられていく者たちである。
騎乗、鉄砲、偵察、伝令。
そして白鬼独自の騎馬鉄砲戦術。
それらを新雪隊で身につけさせ、十分な力量を得た者から白鬼本隊へ昇格させる。
赤鬼や青鬼に一般常備兵という補充母体があるように、白鬼にも恒常的な補充と育成の仕組みを持たせるのである。
そこまではよかった。
問題は――。
「……また、悠に銭を貰わねばならんな」
秀政は呟いた。
四百人余りを召し抱える。
禄が要る。
白鬼用の具足も要る。
鉄砲も要る。
そして何より、白鬼は騎馬鉄砲兵である。
馬が要る。
一度に全員分を揃える必要はないにしても、これから三百人もの新雪隊員を育てるのであれば、相当な数の馬を確保しなければならない。
当然、そのための銭も必要になる。
だが、秀政はそれほど心配していなかった。
(まあ、大丈夫だろう)
つい先日のことである。
雑賀、根来から集まった鉄砲撃ちについて、秀政は六百人まで絞った。
ところがお悠は、
『何故、その二百名を返したのですか!』
と怒った。
腕の立つ兵を銭が掛かるという理由で逃すな。
必要な銭なら自分が何とかする。
そう言い切ったのである。
今回は四百人余り。
しかも伊賀の上忍たちが選び、その能力に太鼓判を押した女たちである。
南信濃で白鬼が大きな働きをしたことも、お悠は知っている。
(八百人でも採れと言ったのだ。
四百人なら問題あるまい)
そう考えた秀政は、必要になる費用をまとめた書付を持って、お悠のところへ向かった。
*
「なりませぬ」
「…………え?」
秀政は目を瞬いた。
聞き間違えたのかと思った。
「悠。
もう一度申してくれ」
「なりませぬ、と申し上げました」
「何故だ!?」
思わず声が大きくなった。
予想とまったく違った。
お悠は秀政から渡された書付を前に、明らかに不機嫌な顔をしている。
「待て待て。
この前、雑賀と根来の鉄砲撃ち八百人は、全員採れと言ったではないか」
「申しました」
「俺が六百人まで絞ったら、何故二百人を帰したのかと怒ったではないか」
「怒りました」
「ならば何故、今回は駄目なのだ!?」
秀政には分からなかった。
「こちらは四百人だぞ。
半分ではないか」
「人数の問題ではございませぬ」
「では何だ?」
お悠は秀政をじっと見た。
「女子ではございませぬか」
「…………」
秀政はしばらく黙った。
「白鬼だからな」
「ええ」
「白鬼は女子の部隊だぞ?」
「存じております」
「ならば女子を集めるしかなかろう?」
「それは分かっております!」
お悠の声が少し大きくなった。
秀政はますます分からなくなった。
「では、何が問題なのだ?」
「弥八様」
「何だ?」
お悠は疑わしそうな目で秀政を見た。
「本当に、白鬼を増やしたいだけなのでございますか?」
「…………は?」
「四百人も女子を召し抱えて」
「いや、だから白鬼は女子で――」
「そんなことを申しましても!」
お悠が身を乗り出した。
「弥八様は、周りに女子を侍らしたいだけでございましょう!」
「違う違う!」
秀政は慌てて両手を振った。
「何を言っておる!
そんな理由で四百人も召し抱えるか!」
「どうでしょう?」
「どうでしょうではない!」
「白鬼は、弥八様の近くで働くことも多いではございませぬか」
「主な任務は本陣の護衛なのだから当たり前だ!」
「綾芽も霞も朧も凛も雫も、皆、弥八様のお近くにおります」
「白鬼の幹部だからだ!」
秀政は必死だった。
何故、軍制の話をしていたはずなのに、こんな話になっているのか分からない。
「そもそも俺が伊賀へ行ったのは、秀文が耀を見て思いついたからだぞ!」
「秀文を言い訳に使わないでくださいませ」
「本当だ!」
「存じております」
「知っておるのか!」
秀政は頭を抱えた。
どうやら理屈の問題ではないらしい。
「とにかくだな」
秀政は一度座り直した。
「白鬼を増やすのには、ちゃんと理由がある」
「聞きましょう」
お悠が腕を組んだ。
秀政は書付を一枚取った。
「まず、南信濃で白鬼はよく働いた」
「それは存じております」
「百人で武田の赤備えを相手にした。
それでも恒久的に失ったのは八人だ」
「はい」
「赤鬼や青鬼とは使い方が違う。
白鬼を敵の主力へ正面からぶつけるつもりはない」
秀政は続けた。
「偵察、伝令、追撃、遊撃。
それに騎馬鉄砲による機動戦」
指を折りながら挙げていく。
「仕事はいくらでもある。
むしろ百人では少なかったくらいだ」
お悠は黙って聞いている。
「しかも今回集まったのは、そこらの村から集めた女子ではない。
伊賀で忍びとしての基礎を仕込まれた者たちだ」
「それも聞いております」
「ならば話は早い。
走れる。
身軽に動ける。
周囲を見ることにも慣れておる。
武器を扱ったことのある者も多い」
「ですが、馬と鉄砲は?」
「それはこれから教える」
秀政は別の書付を見せた。
「だから新雪隊を作る」
「新雪隊?」
お悠が初めて興味を示した。
「ああ。
いきなり四百人余りを全員、白鬼本隊へ入れるわけではない」
秀政は説明した。
「白妙、雪音、氷花、紗雪。
この四隊を五十人ずつに増やす。
本隊は二百人だ」
「残りは?」
「三百人ほどになる。
そちらを新雪隊として、白鬼になるための鍛錬を受けさせる」
お悠の表情が少し変わった。
秀政はそれを見逃さなかった。
「赤鬼や青鬼は、一般常備兵から補充できる。
だが白鬼には、それがなかった」
「なるほど」
「これからは新雪隊で育てる。
本隊に欠員が出れば、そこから上げる。
所帯を持つ者も出よう。
子を身籠もり、一時的に軍役から外れる者も出る」
「…………」
「そのたびに伊賀へ行って、一人二人探してくるわけにもいかん。
常に育てておく者が必要なのだ」
お悠は書付へ目を落とした。
秀政はさらに畳み掛ける。
「何より、今を逃せば、同じ条件で四百人も集められる保証はない。
伊賀の上忍たちが、一度選別した上で送ってくる者たちだぞ」
「……甲乙つけ難い者ばかりだと?」
「ああ」
「全員が?」
「そう聞いておる」
「…………」
お悠が黙った。
秀政は待った。
しばらくして、お悠が小さく息を吐く。
「軍のことだけを考えるのであれば……」
「うむ」
「理には適っております」
秀政の顔が明るくなった。
「そうだろう!
それにいきなり五百人を周りに侍らすわけではない。
あくまで戦場に連れて行くのは二百人、これまでより百人増やすだけだ。
それも戦を行う上で意味のある増員だ」
「ならば――」
「分かりました」
お悠は頷いた。
「四百名余り、召し抱えることを認めます」
「おお!」
秀政は思わず笑った。
「さすが悠だ!
話が分かる!」
「白鬼用の具足、鉄砲、馬具についても、必要な分は用意いたしましょう」
「助かる!」
「馬についても牧場側と相談いたします」
「頼む!」
思っていたより簡単に片付いた。
やはりお悠である。
最後には必要なものだと理解してくれる。
秀政が安心して立ち上がろうとした。
「ただし」
動きが止まった。
「……ただし?」
嫌な予感がした。
お悠はにっこりと笑っている。
こういう時のお悠は怖い。
「弥八様に毎年お預けしている使途不問の銭がございますね?」
「…………あるな」
秀政の声が小さくなった。
伊勢の太守である秀政が、何かをするたびに勘定方へ承認を求めるわけにもいかない。
家臣への急な褒美。
茶器や書物。
南蛮から入ってきた珍しい品。
その他、秀政が必要と判断したものを、その場で買えるように一定額の使途不問銭が認められている。
もちろん、それとは別に正式な軍費や政務費は存在する。
お悠が話に挙げたのは、秀政が理由を説明せずとも自由に使える銭だった。
「来年より、年間三百貫ほど減らします」
「えー!?」
秀政が声を上げた。
「待て!
何故そうなる!」
「白鬼四百名余りを新たに召し抱えるのでございましょう?」
「それは軍費だ!」
「軍費は別に出します」
「ならば何故、俺の銭を減らすのだ!」
「女子を四百人も増やした罰にございます」
「罰なのか!?」
「はい」
「横暴だ!」
「伊勢勘定惣奉行は私です」
「くっ……!」
秀政は言葉に詰まった。
お悠は平然としている。
「ご安心くださいませ。
白鬼に必要な銭を削るつもりはございません」
「俺の銭が削られておる!」
「残りは今まで通り、御自由にお使いくださいませ」
「三百貫も減っておるではないか!」
「十分でございましょう?」
「十分かどうかは俺が決めたい!」
「では、四百名の採用を百名に戻しますか?」
「それは駄目だ!」
秀政は即答した。
お悠が微笑んだ。
「では、決まりでございますね」
「…………」
完全に負けた。
秀政は肩を落とした。
白鬼四百人余り。
必要な禄も出る。
具足も作ってもらえる。
鉄砲も馬も用意してもらえる。
軍制改革そのものは、全面的に認められた。
その代わり、秀政個人の使途不問銭が、年間三百貫消えた。
(俺の小遣いから――三百貫)
秀政は項垂れた。
こうして白鬼五百人体制は、伊勢勘定惣奉行の正式な承認を得た。
代償を払ったのは、何故か秀政一人だった。
第十六章 織田家宿老編(東方遠征編) 終幕




