第三百十八話 白鬼新体制
秀政が伊賀を訪れてから、しばらく経った。
鈴鹿館へ戻った秀政は、伊賀からの返事を待ちながら、他の軍備再建を進めていた。
白鬼の増員については、それほど急いでいなかった。
百人ほど欲しいとは伝えた。
だが、いくら伊賀でも、すぐに百人もの女が集まるとは思っていない。
忍びとして一定の鍛錬を受け、なおかつ伊勢へ移って芋粥家へ仕える意思がある者となれば、さらに数は限られる。
五十人、六十人でも構わない。
足りなければ、時間を掛けて増やしていけばよい。
そう考えていたところへ、伊賀から使者がやって来た。
「殿。
伊賀より、白鬼仕官を望む女子について知らせが参っております」
「おお、来たか」
秀政は書付から顔を上げた。
「それで、何人集まった?」
「四百名余りにございます」
「…………」
秀政は黙った。
そして、もう一度尋ねた。
「何人?」
「四百名余りにございます」
「百ではなく?」
「四百にございます」
「…………」
聞き間違いではなかった。
秀政は使者から渡された書付を受け取った。
確かに書いてある。
伊賀各地の上忍、中忍の家々から集められた仕官希望者。
その数、四百名余り。
しかも当初はもっと多かったようだが、伊賀上忍の側で一次の篩をかけ、それでも甲乙つけ難い四百名余りを、致し方なく全員推挙するとのことだった。
「いや、待て」
秀政は書付を見ながら首を傾げた。
「俺は百人ほど欲しいと申したのだぞ?」
「はい」
「何故、四百人も集まる?
しかもあの厳しい上忍家から見ても優秀だというからには、どれほど優秀なくノ一というのだ」
使者に尋ねても分かるはずがない。
だが、添えられていた上忍からの書状を読んでいくうちに、その理由が分かってきた。
秀政が考えていた以上に、白鬼という奉公先は伊賀の女たちにとって魅力的だったのである。
まず、芋粥家の正式な家臣となれる。
忍びとして働く場合、その仕事の多くは表へ出ない。
敵地へ潜り、情報を持ち帰ったとしても、それを誰が成し遂げたのか公に語られることは少ない。
功績そのものを隠さなければならない場合さえある。
だが、白鬼は違う。
芋粥家から正式に禄を受ける常備兵である。
戦場で働けば、その功績が認められる。
実力があれば隊を率いることもできる。
しかも、それは単なる約束ではない。
すでに実例があった。
綾芽を筆頭に、霞、朧、凛、雫といった女たちが実際に白鬼を率いている。
綾芽に至っては、芋粥家の中でも相応の地位を与えられていた。
そして所帯を持ったからといって、辞める必要もない。
秀政は伊賀の上忍たちへ、
『子を身籠もれば軍役を免除し、産んだ後に戻ればよい』
とまで明言している。
「……なるほどな」
秀政は書状を置いた。
伊賀の女たちにとってみれば、白鬼への仕官は単に働き口が一つ増えたという話ではなかった。
これまでとは違う生き方が選べる。
忍びの技を身につけた女が、その能力を使って武家へ正式に仕官し、禄を得る。
しかも働き次第では出世までできる。
その話が伊賀中へ広まった結果――。
四百人も集まってしまった。
「どうなされます?」
傍らにいた坂木が尋ねた。
「どうするも何も……」
秀政は腕を組んだ。
当初欲しかったのは百人程度である。
現在の白鬼は九十二人。
南信濃で失った八人を補充した上で、さらに百人ほど増やせば、およそ二百人体制にできる。
従来の白妙、雪音、氷花、紗雪の四隊は、それぞれ二十五人だった。
これを五十人ずつに増やす。
白妙隊、雪音隊、氷花隊、紗雪隊、各五十。
これで二百人だ。
秀政が考えていたのは、その程度だった。
ところが四百人余りも来る。
全員を召し抱えれば、白鬼は一気に五百人規模になる。
「さすがに多いな……」
「左様ですな」
坂木も頷いた。
「白鬼は騎馬鉄砲兵。
人だけ召し抱えれば済むものでもございませぬ」
「馬も要る。
鉄砲も要る。
具足も馬具も必要になる」
「はい」
当然、禄も必要になる。
秀政は眉間に皺を寄せた。
先日、雑賀、根来の鉄砲撃ちを予定以上に召し抱えたばかりである。
お悠からは、
『腕の良い者ならば全員連れ戻してきなさい』
と言われた。
言われたのだが――。
(だからといって、今度は女を四百人増やしましたと言ったら、どうなるんだ?)
さすがに限度というものがある。
秀政が考え込んでいると、坂木が口を開いた。
「殿」
「何だ?」
「某は、採ってもよろしいと思いまする」
「四百人全員か?」
「はい」
秀政が坂木を見る。
「理由は?」
「今後、同じ条件で四百人もの者が、一度に集まるとは限りませぬ」
「…………」
「しかも、ただの四百人ではございませぬのでしょう?」
坂木が伊賀から届いた書付を指した。
その通りだった。
今回集まった女たちは、単に白鬼への仕官を希望した者を片端から集めたわけではない。
伊賀で何らかの忍びとしての基礎を仕込まれた者たちである。
もちろん、その程度には差がある。
耀のように、すでに忍びとして何年も働いている者ばかりではない。
だが、上忍が甲乙つけ難しと太鼓判を押しているのだ。
少なくとも一般の領民から四百人を集めるのとは違う。
走る。
身軽に動く。
簡単な武器を扱う。
周囲へ注意を配る。
命令に従って動く。
そうした基礎を持っている。
「馬と鉄砲は、一から仕込まねばならん者も多いだろうな」
「それでも、基礎のできていない者から始めるより早うございましょう」
「まあな」
秀政は頷いた。
それこそ、秀文の疑問から始まった話だった。
耀のような女が伊賀にいる。
ならば、その者たちを白鬼へ転用できないか。
実際に探してみたところ、その候補が四百人も現れた。
ここで百人だけ選び、残る三百人を返す。
それが本当に正しいのか。
(南信濃では千人以上失ったんだよな……)
もちろん白鬼四百人を加えても、その穴が埋まるわけではない。
白鬼は赤鬼や青鬼の代わりにはならない。
敵主力と真正面からぶつかり、戦線を支えるのは赤鬼や青鬼の役目である。
白鬼を五百人にしたところで、同じ仕事をさせるつもりはなかった。
だが――。
だからといって、白鬼を増やす価値がないわけではない。
南信濃では、その機動力が存分に役立った。
偵察、伝令、追撃、遊撃。
そして白鬼にしかできない騎馬鉄砲による特殊戦術など、仕事はいくらでもある。
その兵を五百人持てる。
「…………」
秀政はしばらく考えた。
やがて、伊賀から届いた四百人余りの名簿を手に取った。
「坂木」
「は」
「全部採るか」
「は?」
「四百人余り、全員だ」
今度は坂木が秀政を見た。
「よろしいので?」
「お前が採れと言ったのであろう」
「申しましたが、殿が本当に即断されるとは思いませなんだ」
「何だそれは」
秀政は苦笑した。
だが、もう決めた。
「今後、同じように四百人も集まるとは限らん。
しかも伊賀で基礎を仕込まれた女たちだ。
逃す方が惜しい」
「はっ」
「ただし、いきなり白鬼本隊へ入れるわけではないぞ」
「もちろんにございます」
「まず全員を鍛える。
馬に乗せる。
鉄砲を撃たせる。
白鬼の戦い方も一から覚えさせる」
そして、その中から本隊へ上げる者を選ぶ。
秀政は名簿を置いた。
「まず南信濃で失った八人を補充する。
その上でさらに増員し、白妙、雪音、氷花、紗雪の四隊を、それぞれ五十人まで増やそう」
「二百人でございますな」
「ああ」
そこまでは当初の予定通りである。
問題は――。
「残る三百人か」
「はい」
すぐに本隊へ入れないのであれば、どこかで育てなければならない。
しかも今回だけではない。
今後も白鬼を維持するなら、本隊に欠員が出るたびに一から人を探すのでは効率が悪い。
赤鬼や青鬼には、一般常備兵という育成と補充の母体がある。
ならば白鬼にも、同じようなものがあってよい。
秀政は腕を組んだ。
「白鬼にも、一般常備兵のようなものを作るか」
「白鬼になる前の兵、ということで?」
「ああ」
秀政は頷いた。
「そこで三百人を鍛える。
使えるようになった者から、本隊へ上げればよい」
坂木も少し考え、頷いた。
「なるほど。
本隊に欠員が出た際も、そこから補充できますな」
「そういうことだ」
四百人も集まった。
ならば単に人数を増やすだけではない。
この機会に、白鬼そのものを維持し、育てていく仕組みまで作る。
「五百人か……」
秀政は呟いた。
百人から始まった女だけの特殊部隊。
それが南信濃で武田赤備えと戦い、大半が生き残り、今度は五百人規模へ拡大しようとしている。
「よし」
秀政は立ち上がった。
「綾芽たちも呼べ」
「はっ」
「白鬼五百人体制を作るぞ」
だが――。
五百人の白鬼を抱えるなら、本隊を増やすだけでは済まない。
育成、補充、婚姻に出産。
白鬼を五百人の兵として維持するためには、これまでにはなかった仕組みが必要になる。
秀政たちは、そこから新たな軍制を作り始めることになった。




