第三百十七話 秀文、新たな疑問
鬼兵の再建が動き始めた。
南信濃で傷を負い、以前と同じようには戦えなくなった鬼兵たちを教える側へ回す。
坂木と上田が全体をまとめ、一般常備兵三千人を鍛え直す。
秀文の何気ない疑問から生まれた新しい育成方法は、少しずつ形になっていた。
だが――。
「やはり、時間は掛かるな」
秀政は常備兵の鍛錬を眺めながら呟いた。
やり方を変えたからといって、昨日まで普通の兵だった者が、明日には鬼兵になれるわけではない。
むしろ、鬼兵としての質を落とさないのであれば、時間を掛けて鍛えるしかない。
南信濃戦役で失った鬼兵は千人を超える。
鉄砲兵については、鈴木重秀と雑賀、根来の鉄砲撃ちを召し抱えることで、むしろ以前より増強された。
黒鬼騎馬も、長野藤綱が率いる伊勢巨馬の新たな百騎が加わる。
だが、赤鬼や青鬼を中心とした一般の鬼兵については別だった。
一般常備兵から育てるしかない。
(まあ、仕方ないか)
秀政は急がせるつもりはなかった。
急いだ結果、名ばかりの鬼兵を増やしても意味がない。
赤鬼や青鬼は、敵の精鋭と正面からぶつかる兵である。
戦線を支え、敵の攻撃を受け止め、それでも崩れない。
そこまで鍛えてこその鬼兵だった。
だから今は待つしかない。
そう考えていた数日後のことである。
*
「耀!」
鈴鹿館の廊下を歩いていた秀文が声を上げた。
少し先を歩いていた女が振り返る。
「若殿。いかがなされました?」
耀だった。
伊賀出身のくノ一であり、芋粥家には古くから仕えている。
今では所帯も持っているが、所帯を持った後も家中を離れることなく、鈴鹿館の警護や秀政一家の護衛などを務めていた。
秀文にとっても、物心がついた頃から身近にいる女である。
「今から仕事?」
「はい。館の見回りにございます」
「そうなんだ?」
秀文は耀を見上げた。
別に珍しいことではない。
耀が鈴鹿館を歩いている姿など、これまで何度も見ている。
だが、この日は少し違った。
先日から始まった常備兵の鍛錬を見たためだろう。
秀文は改めて耀の姿を見ていた。
(耀って、凄いよな)
小さい頃から知っている。
走るのは速い。
身軽である。
武器も使える。
屋根へ上る程度なら苦もなくやってのける。
周囲の変化にも敏感で、秀文がこっそり悪戯をしようとしても、かなりの確率で見つかる。
本人から聞いた話では、こうしたことは伊賀にいた頃から鍛えられていたらしい。
「耀」
「はい?」
「伊賀には、耀みたいな女の人って、たくさんいるの?」
耀は少し首を傾げた。
「私のような、と申されますと?」
「走ったり、武器を使ったりできる人」
「ああ」
耀は笑った。
「おりますよ。伊賀では女子であっても、忍び働きに必要なことを仕込まれる者は珍しくありませぬ」
「ふうん……」
秀文は何かを考えるように頷いた。
そして、その日の夕刻。
秀政のところへやって来た。
「父上」
「ん?」
書付を読んでいた秀政が顔を上げた。
「何だ?」
「女子でも白鬼として、鬼兵になれるのでしょう?」
「…………」
秀政は首を傾げた。
「白鬼は女子の部隊だからな」
「えっと……で、あれば」
秀文は少し考えてから言い直した。
「耀も、白鬼になれるのですか?」
「耀?」
秀政はちょうど部屋の外に控えていた耀を見た。
耀も突然自分の名前が出てきたため、不思議そうな顔をしている。
「まあ……」
秀政は耀を上から下まで眺めた。
忍びとして長く働いてきた女である。
身辺警護の任では、これまで敵忍びを何度か討ち取ったこともある。
兵としては、白鬼の精鋭には及ばないだろうが、身体能力は高い。
馬と鉄砲を改めて仕込めば、白鬼として使えないとは思えない。
「鍛えれば、なれるかもしれんな」
「やっぱり」
秀文が頷いた。
「それがどうした?」
「伊賀には、耀みたいな女の人がもっといるのでしょう?」
「…………」
秀政が止まった。
秀文はそのまま続ける。
「耀は小さい頃から、走ったり、武器を使ったりする稽古をしていたのでしょう?」
「ああ」
「だったら、そういう人に白鬼になってもらったら駄目なのですか?」
「…………」
秀政はもう一度、耀を見た。
耀が困ったように秀政を見る。
「殿?」
「いや……」
秀政は答えず、考え始めた。
(いるな)
伊賀にはいる。
全員が耀ほどの腕を持っているわけではないだろう。
忍びの家に生まれた女が、全員同じ鍛錬を受けているわけでもない。
だが、一定の身体訓練を受けた女ならば探せる。
幼い内にその素質を見出された女子であれば、くノ一として、走り方や身のこなし、武器の扱いなど、忍び働きに必要な技を叩き込まれているだろう。
そこで秀政の頭に、南信濃での戦いが浮かんだ。
白鬼。
南信濃戦役で、白鬼は武田の赤備えを相手に目覚ましい働きを見せた。
《飛燕連環陣》。
そして《廻天連砲陣》。
馬と鉄砲を組み合わせた機動戦によって赤備えを翻弄し、徒歩の赤備えに対しては一方的に銃撃を浴びせ続けた。
しかも損害は少ない。
戦死六人。
復帰困難となった者が二人。
百人いた白鬼のうち、恒久的に失ったのは八人だけだった。
現在も九十二人が残っている。
(待てよ……)
鬼兵を一人育てるには時間が掛かる。
敵の精鋭と正面から槍を合わせ、戦線を維持できるだけの体力と武技が必要になるからだ。
だが、鬼兵の中でも、白鬼だけは少し違う。
もちろん弱いわけではない。
だが、求められている強さの種類が違う。
騎乗、鉄砲、素早い移動に、周囲を見る力。
それは偵察や伝令、特殊戦術での射撃にも役立つ。
そうしたものが、白鬼の強さを支えている。
そして――。
(伊賀の女なら、そのいくつかは最初から持っている)
秀政は立ち上がった。
「父上?」
「秀文」
「はい」
「お前、また妙なところに気づいたな」
「妙?」
秀文は何を言われているのか分からないらしい。
秀政は笑った。
「いや、褒めておる」
「本当?」
「ああ」
秀文が嬉しそうに笑った。
その顔を見ながら、秀政は再び考える。
白鬼を増やしたところで、失った赤鬼や青鬼の代わりにはならない。
そこを混同するつもりはなかった。
南信濃でも、土屋昌恒率いる赤備え騎馬に捕まった時には、白鬼から六人もの戦死者が出た。
軽装の白鬼に、重装した男の精鋭と正面から槍をぶつけ合わせるつもりはない。
赤鬼や青鬼は、これまで通り育てる。
だが、それとは別に白鬼を増やす。
(百人くらいなら、いけるんじゃないか?)
現在の九十二人へ新たに百人ほど加える。
それだけでも、白鬼はほぼ倍になる。
しかも一から人を集める必要はない。
すでに一定の身体訓練を受けている伊賀の女たちを集め、そこから選抜して、馬と鉄砲を重点的に仕込めばよい。
秀政はすぐに動いた。
*
数日後。
秀政は伊賀にいた。
今回ばかりは使者だけで済ませなかった。
単に忍びを借りたいわけではないからである。
伊賀の女たちを、芋粥家の正式な家臣として召し抱える。
禄を与える。
働きに応じて評価する。
功を立てれば昇進もさせる。
それを直接伝えるために、秀政自身が伊賀の上忍たちと顔を合わせることにした。
「百人……でございますか?」
話を聞いた上忍の一人が、驚いたように聞き返した。
「ああ」
秀政は頷いた。
「できれば若く、身体の丈夫な者がよい。
忍びとしての基礎を仕込まれておれば、なおよい」
「その者たちを、白鬼へ?」
「そうだ」
秀政は南信濃での白鬼の働きを説明した。
武田の赤備えと戦い、騎馬鉄砲を使って敵を翻弄した。
さらに白鬼が、一時的に集められた女兵ではなく、芋粥家の正式な常備兵であることも伝えた。
「働き次第では隊を率いさせる。
足軽大将格へ上げることもある。
さらに功を立てるなら、その先もある。
所帯を持つことも許す。
子を身籠もれば、軍役も一時免除しよう。
子を産んだ後、再び隊に戻ってくれればよい。
ちょうど綾芽がそうだ」
上忍たちが顔を見合わせた。
秀政は気づかなかったが、この条件は彼らが考えていた以上に大きなものだった。
忍びの働きは、表へ出ない。
どれほど大きな功を立てても、誰が成し遂げたのか公然と語られないことも珍しくない。
ところが白鬼なら、芋粥家の正式な家臣として禄を受け、戦場で功を立てれば評価される。
しかも女であることを理由に、上へ進む道を閉ざされているわけでもない。
すでに綾芽をはじめ、女たちが隊を率いている。
伊賀の女たちにとっては、これまでになかった奉公先だった。
「いかがであろう?」
秀政が尋ねると、上忍の一人が頭を下げた。
「承知いたしました。
各家へ話を通してみましょう」
「頼む」
「ただ、百人となりますと、少々時をいただきたく」
「構わん」
秀政は頷いた。
「こちらも明日から戦場へ出せるとは思っておらん。
まずは候補を集めてもらえればよい。
選別もこちらで行う。
とにかく希望者を募ってくれ」
そう答えながら、秀政は内心で計算していた。
百人。
全員が白鬼になれるわけではないだろう。
馬に馴染めない者もいるかもしれない。
鉄砲の扱いに向かない者もいる。
多少多めに候補を出してもらい、その中から選べばよい。
この時、秀政は百人も集まれば十分だと考えていた。
だが、この話は伊賀で秀政の想像を遥かに超える勢いで広まっていく。
百人どころでは済まなかった。
図らずも秀政は「女性のエンパワーメント」を引き起こしてしまった。




