第三百十五話 サイレンススズカ
「先ほど、突いた後にすぐ戻ってきた者もいたな」
「はい。
それも試しておりまする」
「何をだ?」
「突き退きにございます」
「突き退き?」
「一度突いた後、敵の中へ留まらず、そのまま抜ける。
少し離れたところで馬首を返し、また次の機会を窺いまする」
藤綱は自分の配下へ手を上げた。
それを見た一騎が、再び走り出す。
藁束へ突進。
槍を突き入れ、そのまま横を抜ける。
数十間ほど走ったところで速度を落とし、馬首を巡らせる。
そして再び、藁束へ向かって走り始めた。
「これまでの馬でも出来ぬわけではございませぬ」
藤綱が説明する。
「されど、具足武者を乗せて何度もこれを繰り返せば、どうしても馬が疲れまする。
走りも鈍る」
「ああ」
「この馬どもは、その辺りにも余裕がございます。
もちろん無限に走れるわけではございませぬが、従来の馬より、突いて離れ、再び動くという戦い方がやりやすい」
秀政は頷いた。
ただ大きいだけではない。
大柄な馬が持つ余力を、藤綱は機動そのものへ利用しようとしている。
「他にもございます」
「まだあるのか?」
「はい」
藤綱は少し笑った。
「殿。
あの馬を、下から見たことはございますか?」
「下から?」
「はい。
自分が馬へ乗るのではなく、地面に立って、こちらへ走ってくるところを見るのでございます」
秀政は下馬して、巨馬を見上げた。
確かに大きい。
芋粥家で従来使ってきた馬より、明らかに体格が違う。
「何かあるのか?」
「怖いのでございます」
「……怖い?」
「某も最初は馬鹿にしておりました」
藤綱は苦笑した。
「ですが、一度、配下に乗らせて、某は地面から見てみました。
具足を着た武者が、この馬に乗って槍を構え、真正面から駆けてくる」
藤綱は首を振った。
「分かっていても、体が固まり申した」
「お前でもか?」
「はい」
藤綱はあっさり認めた。
「馬そのものが大きい。
その上に具足武者が乗り、槍までこちらへ向いておる。
それが勢いよく迫ってくれば、頭では避けねばならぬと分かっていても、一瞬、足が止まりまする。
思うように動けませぬ」
秀政は再び巨馬を見た。
(……なるほど)
戦場で敵が感じる恐怖。
そこまで藤綱は試していた。
「それで、わざと正面から突っ込ませているのか?」
「はい。
もちろん、敵が必ず怯むとは思っておりませぬ。
慣れた武者ならば踏み止まりましょう」
「だろうな」
「されど、一瞬でも足が止まれば十分にございます」
藤綱は槍を握った。
「こちらは、その一瞬に突けばよい」
「…………」
秀政は何も言わなかった。
坂木も、いつの間にか笑みを消して藤綱を見ている。
当初、秀政がここへ来た理由は単純だった。
黒鬼騎馬隊で失った百騎を補充するために、馬を扱える者を探しに来ただけである。
だが、目の前にいたのは、単に馬に乗れる国人侍ではなかった。
芋粥家が与えた新しい馬を実際に乗り回し、従来の馬との違いを探し、その特徴を戦場でどう使うかまで自分たちで試している。
しかも、その数は二百人。
(……鉄砲に続いて、騎馬でもこれほど上手く事が運ぶとはな)
雑賀、根来まで即戦力を探しに行った。
それ自体は間違っていない。
だが騎馬については、すでに自分の領内にいた。
しかも、ただの騎馬武者ではない。
芋粥家がこれから使おうとしている新しい軍馬を、誰よりも知る者たちである。
秀政は坂木を見た。
「坂木」
「は」
「お前の案、少し変えるぞ」
「と、申されますと?」
秀政は藤綱へ向き直った。
「藤綱」
「はっ」
「お前のことが気に入った」
「……某を、でございますか?」
「ああ」
秀政は即答した。
「百人だけ貰って、お前を牧場へ残しておくのは惜しくなった」
藤綱が目を瞬いた。
「お前が選べ。
配下二百人の中から、特に馬術に優れ、戦場でも使える者を、お前を入れて百人選べ」
「は」
「巨馬も百頭。
種牡馬や繁殖に必要な馬は牧場側と相談して除け。
その上で、今すぐ戦へ連れていける馬を選べ」
「……殿」
「お前たち百人を、正式に芋粥家の家臣として召し抱える」
秀政はそこで笑った。
「黒鬼巨馬隊だ」
藤綱が息を呑んだ。
「黒鬼……」
「ああ。
お前が芋粥家足軽大将として率いろ」
「某が?」
「この馬の使い方を考えたのはお前であろう」
秀政は先ほどの藁束を指した。
「ならば、お前が戦場でも試せ」
藤綱はしばらく秀政を見ていた。
やがて、その場へ膝をついた。
「……承知いたしました」
深く頭を下げる。
「長野藤綱。
この命に代えましても、黒鬼の名に恥じぬ働きをしてみせまする」
「命は簡単に捨てるな」
「は?」
「南信濃で散々失ったばかりなのだ。
今度は生きて帰ってこい」
「……はっ!」
藤綱がもう一度、深く頭を下げた。
秀政は満足そうに頷き、牧場を見渡した。
雑賀、根来から六百人。
そして、今度は伊勢の中から巨馬騎兵百騎。
失った兵を元通りに戻すつもりで始めたはずだった。
それなのに、気づけば以前とは違う軍が出来始めている。
(清隆が見たら、何と言うだろうな)
少しだけ、浅野清隆の顔が浮かんだ。
おそらく最初は難しい顔をするだろう。
そして実際に調練を見た後で、使えるかどうかを冷静に判断する。
そんな男だった。
秀政は再び、巨馬に跨がる藤綱の配下へ目を向けた。
「まずは百騎か」
まだ試験的な部隊にすぎない。
だが、この百騎が戦場で使えると分かれば、いずれ黒鬼騎馬そのものを変えることになるかもしれない。
その第一歩が、すでに自分の領内で始まっていた。
*
黒鬼巨馬隊の編成について藤綱と話を詰めていると、牧場の方から数人の男たちが近づいてきた。
先頭にいるのは、岸田牧場を預かる牧場長である。
「伊勢守様」
「どうした?」
「本日は藤綱殿らの様子を見に来られたと聞きましたが、ちょうどよい機会にございます。
殿にお見せしたい馬がございます」
「馬?」
「はい。
少々お待ちくだされ」
牧場長が後ろへ合図を送った。
すると厩の方から、四頭の馬が引き出されてきた。
「おお……」
秀政が思わず声を漏らした。
先ほどまで藤綱たちが乗っていた混血馬も、従来の伊勢馬に比べれば十分に大きかった。
だが、連れてこられた四頭はさらに目を引いた。
背が高い。
胸も厚く、四肢もしっかりとしている。
単純に体を大きくしただけの馬ではない。
軍馬として人を乗せて走ることを考え、何年も掛けて選び続けてきたことが、秀政の目にも分かった。
「これは……」
秀政は四頭の前まで歩いていった。
「随分と立派になったな」
「はい」
牧場長が嬉しそうに頷いた。
「第三期に生まれた牡馬にございます」
「三期目か」
「南蛮より渡ってきた種牡馬と伊勢の牝馬を掛け合わせ、その血を引く馬からさらに良いものを選び、体の大きさだけでなく、脚、気性、丈夫さを見ながら代を重ねてまいりました」
牧場長は一頭の首筋を撫でた。
「まだ、この先も改良は続けまする。
されど、我らが目指してきた伊勢の巨馬としては、まず完成したと言ってよい馬にございます」
「完成した伊勢巨馬か……」
秀政は改めて馬を見上げた。
思えば、随分と時間が掛かった。
南蛮から大きな馬を手に入れ、それをそのまま使うのではなく、伊勢で増やす。
日本の気候で育ち、伊勢の飼葉を食い、日本の戦場で使える大型の軍馬を作る。
そのために何年も掛けて交配を繰り返してきた。
それが今、ようやく軍馬として使えるところまで来た。
「それで、この四頭を俺に見せたかったのか?」
「いえ」
牧場長が首を横に振った。
「お見せするだけではございませぬ」
「何?」
「こちらの一頭は、殿にお渡しするために仕上げておりました」
「俺に?」
秀政は目を丸くした。
牧場長が一頭を前へ出させた。
四頭の中でも特に体格がよく、毛並みも美しい。
だが荒々しい様子はなく、人が近づいても落ち着いている。
「巨馬の生産が軌道に乗ったなら、まずは当家の大将方へお渡ししようと以前から考えておりました」
「なるほど」
「大将が乗る馬は、ただ走ればよいものではございませぬ」
牧場長は馬を見上げた。
「戦場で一目見て、大将と分かることも大切にございます。
これほどの馬に立派な馬具を付け、殿が跨がれば、それだけでも兵の目を引きましょう」
「…………」
秀政は想像した。
確かに悪くない。
大柄な馬に立派な馬具。
その上に大将用の具足を着た武将が跨がる。
実際の強さとは別の話として、見栄えは明らかに違う。
戦場では、それも決して無意味ではない。
「つまり、将としての箔を付けろということか?」
「左様にございます」
牧場長が笑った。
秀政も笑った。
「ははは。
それなら俺には必要かもしれんな」
秀政自身、武芸では家臣たちに到底及ばない。
せめて馬くらいは立派なものに乗って、大将らしく見せるのも悪くない。
「分かった。
ありがたく貰おう」
「はっ!」
「今日、このまま連れて帰ってよいのか?」
「もちろんにございます。
殿がお乗りになるための馬具も、すでに用意しておりまする」
「用意がいいな」
「何年も前から、この日のために育ててきた馬にございますゆえ」
秀政は感心しながら、残る三頭を見た。
「では、あの三頭はどうする?」
「そちらも、大将方へお渡しいただければと」
牧場長は答えた。
「一頭は備前守様へ。
一頭は千種伊勢介様。
そして、もう一頭は鷺山玄蕃様へ下賜なされてはいかがでしょう?」
「長政、政親、鷺山か」
「はい。
いずれも芋粥家を代表する大将方にございます」
「なるほどな」
秀政は三頭を順番に見た。
長政は間違いなく喜ぶだろう。
政親は少々困った顔をしながらも、実用性を確認して受け取るに違いない。
そして――。
「鷺山は大喜びするだろうな」
秀政は思わず笑った。
「新しい巨馬をやるなどと言ったら、その日のうちに乗り回しかねん」
坂木も笑う。
「玄蕃様ならば、翌朝には黒鬼と競走でもしておりそうですな」
「あり得るな」
秀政はもう一度、自分へ与えられる馬を見上げた。
巨馬を作る。
最初にその話を始めた頃は、いつ実用になるのかも分からない試みにすぎなかった。
今では藤綱たちが巨馬独自の戦い方を考え、百騎の黒鬼巨馬隊まで作ろうとしている。
大将が乗るための馬まで、こうして目の前にいる。
「……よし」
秀政は馬の首を軽く叩いた。
「今日から俺の馬だ」
馬は嫌がることもなく、秀政の手を受け入れた。
「名前は?」
「まだ付けておりませぬ」
「そうか」
秀政は少し考えた。
そして、隣にいる坂木を見る。
「何か強そうな名前を考えるか」
「殿がご自分でお決めくだされ」
「こういうのは苦手なのだ」
「ご自分の愛馬でしょうが」
「だから困っておる。
他の三頭はそれぞれ持ち主に決めさせるか」
秀政は改めて、自分の馬を見上げた。
大きな馬である。
しかも伊勢で生まれ、鈴鹿で育った馬だ。
「鈴鹿……」
「はい?」
「そうだな。
静鈴鹿とするか」
「しずすずか……でございますか?」
坂木が何とも言えない顔をした。
「あ、いや。
何とも反応に困る名にございますな」
「うるさい。
俺が決めたのだからよいのだ」
秀政は苦笑しながら、馬の首を撫でた。
(お前は、サイレンススズカだ)
無論、誰にも通じるはずがない。
だが秀政にとっては、それでよかった。
「よろしくな、静鈴鹿」
秀政はもう一度、その大きな首を撫でた。
藤綱たちによる黒鬼巨馬隊の編成が始まり、大将用の巨馬も完成した。
長年続けてきた巨馬作りは、ようやく実戦で使う段階まで来ていた。




